ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

芸能界という力学

2006-12-06 23:50:23 | Weblog
僕がこのテーマで語りたいのは、在日朝鮮人問題である。歴史的にみれば、在日朝鮮人問題というのは、日本の軍国主義がもたらした歴史的誤謬である。勿論歴史をさかのぼれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵がすぐに頭を掠めるが、最も大きな歴利的誤謬は再度言うと、日本軍国主義によって、日本に強制的に連行された朝鮮国民の日本に於ける扱いである。彼らは日本において強制労働と軍事参加を強要された。戦後、彼らは、「在日」と略され、日本に居残ることになるが、あらゆる面で差別の対象になった。これは忘れるべきではない。日本がアジア諸国に対して行なった植民地政策に関しても忘れるべきではない歴史的事実である。
僕の高校生の時代に、学生運動の激動の中で、在日の仲間たちは次々と自分が在日朝鮮人であることを、全校集会の場で声高らかにカミングアウトした。それはすばらしい光景であった。今でもその感動を僕は忘れていない。しかし、その運動はまだまだ言わばコップの中の嵐のようなもので、在日朝鮮人は、大抵は在日であることをひた隠しにしてきた。彼らに対する差別はずっと残されたままであった。
ごく最近になって、韓国に限ったことだが、韓国のスターたちが日本にたくさんのファンを生み出した。日本人は年齢を問わず、韓国のスターたちに憧れるようになった。逆に日本の若い芸能人たちも韓国ではたくさんのファンを生み出した。文化の相互交流である。文化はどの切り口から流入しても構わない。歴史をさかのぼれば、豊臣秀吉よりもずっと前、朝鮮半島は日本の文化的模範だった時期もある。朝鮮半島からはたくさんの帰化した朝鮮人が日本の政治・文化の手助けをしていたのである。この事実も僕たちは忘れてはならない。
しかし、国民的な広いレベルにおいて、日韓両国がこれほど接近したことがかつてあっただろうか。日本の国民が韓国人スターにこれほど憧れた時期があっただろうか。あるいは日本の文化もこれほど韓国に堂々と流入したことがあっただろうか。勿論、その底には政治的な力学が働いていることは否定出来ない。が、そんな政治的力学をはるかに上回る勢いで、民衆が差別という大きな壁を取り崩しているのである。それは東西ドイツの壁が民衆の手によって取り壊されたことにも匹敵する大いなる出来事である。もっと大きなうねりが起こるとよい。また現実にそうなるだろう。日本にいる在日の皆さんはこれまで差別と闘い、時には差別に屈し、在日であることに誇りをもつことが困難だった時代が何十年と続いたのである。いまこそ、日本と韓国が手を携えて、政治の世界など後追いをせざるを得ないような、芸能を通じて、大きなうねりが起き続けるはずだ。
そのように文化の交流がますます盛んになれば、朝鮮半島にも変化が起こるだろう。政治的には北朝鮮という、廃れた共産主義国家は、キム・ジョンイル総書記を中心とした一部の政治的幹部だけが利権をむさぼり、民衆は飢えに苦しんでいるのである。芸能はいまだ、政治に支配されたままである。しかし、今後韓国の芸能界の動きは例えば短波放送を通して、あるいはインターネットを通して、キム・ジョンイル体制の政治の失策の多くを、民衆のエネルギーが暴いていくことだろう。日本にはいまだ朝鮮総連という政治団体があるが、これも本国の政治的腐敗そのものが、この団体の、差別と闘う、という運動そのものをニセ物にしてしまわざるを得ないだろう。北朝鮮を支持する在日のみなさんは、本当はもう本国の限界を諒解しているはずである。この方々が芸能という手段を通して、キム・ジョンイル体制の文化的政治統制がいかに欺瞞に満ちたものかを知らせなければならないのではないか。キム・ジョンイルさん、喜び組を独占しているだけではいけない。あるいは、あなたと少数の政治的エリートだけが、文化を独占してはいけないのである。国民を飢えさせて、核開発などしている場合なのか。
僕は、学生運動の只なかで、私は朝鮮人です。本名は・・・・・です! と声高だかに宣言した何人もの仲間たちの姿を忘れない。キム・ジョンイルさん、あなたがつまらないことをやっていると、僕たちが感動したことが台無しになるんだよ。そろそろ幕を引く時期なのではないか。

〇「<在日>という根拠」竹田青嗣著。文庫になっているはずです。この本は竹田自身が在日であるという観点から、在日の文学者数名の作品に表現された作中人物たちのかなり突っ込んだ分析に仕上がっています。一読の価値があります。

喋らない青年のこと

2006-12-06 01:35:10 | Weblog
ある日僕のところに母親に連れられて、一人の青年がやってきた。父親は僕と同じくらいの歳で亡くなっているから、母親と二人の生活はもう6ー7年になるはずだ。彼は、これまでいろいろな精神科やカウンセラーのところ、あるいは発達障害の人のための作業所などを渡り歩いてきたのである。精神科の先生には発達障害によって言語機能が阻害されているという診断であるようだった。約1カ月間彼と母親は1週間ごとに僕のもとを訪れた。
青年はいつもやって来る度に、一生懸命に自分で語ろうと努力した。一回に2、3の単語が出るようになった。それは、凄い進歩だったのである。いままで、彼は頑に他人の前では口を閉ざしてきたし、口を開かないことが自己主張であるかのようなところがあったと推察される。青年は家では、母親と二人暮らしである。青年と異なり、母親は言葉が過剰であった。表現もかなりオーバーでもあった。青年は母親とだけは、言語交通が可能である。というか、むしろ母親の言によれば、よく喋るらしい。青年は小学生の時代から、喋るのが苦手な子どもであった。そのために嫌というほどつたない言葉を発することによって傷ついてきている。所謂いじめもあったらしい。
しかし、小さい頃からこの青年は父親と母親の深い愛情によって、家庭においては癒されていた様子である。父親とは特に仲がよかった、という。そんな父親をなくした青年の気持ちはどんなだっただろうか。大きな影を彼の上に投げかけたであろうことは間違いない。青年は絶望のどん底に行き着いたに違いない。自分の好きな日本中の鉄道に父親と乗り歩くことで鬱積した気持ちを昇華させることが出来ていた、優しい父親が急死したことで、結局彼は、母親としか話が出来ない状態になってしまった。
カウンセリングも1カ月が終わろうとした頃、青年は姿を見せなくなった。母親が済まなさそうに一人でやってきた。喋らなければいけない、というブレッシャーに負けたのだ、と母親は言う。しかし、僕は彼に喋ることを強要したことはない。喋る意味を教えたかっただけである。だから、彼は自分を責めていたようだが、そんな必要などもともと何もなかったのである。彼の母親との小さな世界が、大きな世界にまで広がっている、という事実を彼に分からせたかったのである。ただ、彼は僕の意図に気づく以前に、いろいろな施設や医者に発達障害という名の病気にさせられてしまっていたのである。彼は完全に自分に対する自信を失ってしまっていた。いまや彼は母親と過ごす日常の中でしか言葉を発せない、小宇宙に停まったままなのである。
僕は確信を持って言うが、青年は発達障害なんかではない。もともと言葉数の少ない少年時代から、そう決めつけられ、いじめに合い、教師もさじを投げていたのではないだろうか、と推察している。成人してからも専門医からは同じ発達障害という病名をつけられて、彼はたぶん自分から口を閉ざしたのではないか。それが少し緩んだ時、自分でももう一度、口を開く訓練をしてみよう、として僕のところに来たのではないか。僕の方針は変わらなかったが、たぶん母親の方に焦りがあったのだと思う。最後に訪れた時、母親は済まなさそうにはしていたが、これでは進歩がないと判断してしまったのではないか。そして青年が家で漏らす否定的な言葉のいくつかに同調してしまったのではないか、と思う。
青年はとにかくも、また以前の生活に戻っていった。母親との小宇宙で暮らすのである。彼の世界には鉄道というマニアックな趣味があるだけである。彼の世界は閉じたままなのである。青年の世界を大きな世界に通じさせること、これが僕の目的である。単に喋る、喋れない、などという現象だけを問題にしているのではない。青年よ、世界に繋がれ! そして、世界の只なかへと飛び出せ! そのために僕のところに一度はやって来たのではないか。自分を信じて、絶望するなら、絶望してもよい。ただ、あなたの世界が広がればよい。必ず社会と繋がる日がやって来る。青年よ、また、気がついたら、僕のところへおいで。ずっと待っているから。

〇推薦図書「草の竪琴」トルーマン・カポーティ著。新潮文庫。今日論じた青年は少年期から青年期への内面的な成長の過程で、躓いたのです。勿論この小説はカポーティの詩的な言語表現に意味がありますが、一つの青年に到るまでの成長の物語として捉えて読んでくださると面白く読めます。