僕がこのテーマで語りたいのは、在日朝鮮人問題である。歴史的にみれば、在日朝鮮人問題というのは、日本の軍国主義がもたらした歴史的誤謬である。勿論歴史をさかのぼれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵がすぐに頭を掠めるが、最も大きな歴利的誤謬は再度言うと、日本軍国主義によって、日本に強制的に連行された朝鮮国民の日本に於ける扱いである。彼らは日本において強制労働と軍事参加を強要された。戦後、彼らは、「在日」と略され、日本に居残ることになるが、あらゆる面で差別の対象になった。これは忘れるべきではない。日本がアジア諸国に対して行なった植民地政策に関しても忘れるべきではない歴史的事実である。
僕の高校生の時代に、学生運動の激動の中で、在日の仲間たちは次々と自分が在日朝鮮人であることを、全校集会の場で声高らかにカミングアウトした。それはすばらしい光景であった。今でもその感動を僕は忘れていない。しかし、その運動はまだまだ言わばコップの中の嵐のようなもので、在日朝鮮人は、大抵は在日であることをひた隠しにしてきた。彼らに対する差別はずっと残されたままであった。
ごく最近になって、韓国に限ったことだが、韓国のスターたちが日本にたくさんのファンを生み出した。日本人は年齢を問わず、韓国のスターたちに憧れるようになった。逆に日本の若い芸能人たちも韓国ではたくさんのファンを生み出した。文化の相互交流である。文化はどの切り口から流入しても構わない。歴史をさかのぼれば、豊臣秀吉よりもずっと前、朝鮮半島は日本の文化的模範だった時期もある。朝鮮半島からはたくさんの帰化した朝鮮人が日本の政治・文化の手助けをしていたのである。この事実も僕たちは忘れてはならない。
しかし、国民的な広いレベルにおいて、日韓両国がこれほど接近したことがかつてあっただろうか。日本の国民が韓国人スターにこれほど憧れた時期があっただろうか。あるいは日本の文化もこれほど韓国に堂々と流入したことがあっただろうか。勿論、その底には政治的な力学が働いていることは否定出来ない。が、そんな政治的力学をはるかに上回る勢いで、民衆が差別という大きな壁を取り崩しているのである。それは東西ドイツの壁が民衆の手によって取り壊されたことにも匹敵する大いなる出来事である。もっと大きなうねりが起こるとよい。また現実にそうなるだろう。日本にいる在日の皆さんはこれまで差別と闘い、時には差別に屈し、在日であることに誇りをもつことが困難だった時代が何十年と続いたのである。いまこそ、日本と韓国が手を携えて、政治の世界など後追いをせざるを得ないような、芸能を通じて、大きなうねりが起き続けるはずだ。
そのように文化の交流がますます盛んになれば、朝鮮半島にも変化が起こるだろう。政治的には北朝鮮という、廃れた共産主義国家は、キム・ジョンイル総書記を中心とした一部の政治的幹部だけが利権をむさぼり、民衆は飢えに苦しんでいるのである。芸能はいまだ、政治に支配されたままである。しかし、今後韓国の芸能界の動きは例えば短波放送を通して、あるいはインターネットを通して、キム・ジョンイル体制の政治の失策の多くを、民衆のエネルギーが暴いていくことだろう。日本にはいまだ朝鮮総連という政治団体があるが、これも本国の政治的腐敗そのものが、この団体の、差別と闘う、という運動そのものをニセ物にしてしまわざるを得ないだろう。北朝鮮を支持する在日のみなさんは、本当はもう本国の限界を諒解しているはずである。この方々が芸能という手段を通して、キム・ジョンイル体制の文化的政治統制がいかに欺瞞に満ちたものかを知らせなければならないのではないか。キム・ジョンイルさん、喜び組を独占しているだけではいけない。あるいは、あなたと少数の政治的エリートだけが、文化を独占してはいけないのである。国民を飢えさせて、核開発などしている場合なのか。
僕は、学生運動の只なかで、私は朝鮮人です。本名は・・・・・です! と声高だかに宣言した何人もの仲間たちの姿を忘れない。キム・ジョンイルさん、あなたがつまらないことをやっていると、僕たちが感動したことが台無しになるんだよ。そろそろ幕を引く時期なのではないか。
〇「<在日>という根拠」竹田青嗣著。文庫になっているはずです。この本は竹田自身が在日であるという観点から、在日の文学者数名の作品に表現された作中人物たちのかなり突っ込んだ分析に仕上がっています。一読の価値があります。
僕の高校生の時代に、学生運動の激動の中で、在日の仲間たちは次々と自分が在日朝鮮人であることを、全校集会の場で声高らかにカミングアウトした。それはすばらしい光景であった。今でもその感動を僕は忘れていない。しかし、その運動はまだまだ言わばコップの中の嵐のようなもので、在日朝鮮人は、大抵は在日であることをひた隠しにしてきた。彼らに対する差別はずっと残されたままであった。
ごく最近になって、韓国に限ったことだが、韓国のスターたちが日本にたくさんのファンを生み出した。日本人は年齢を問わず、韓国のスターたちに憧れるようになった。逆に日本の若い芸能人たちも韓国ではたくさんのファンを生み出した。文化の相互交流である。文化はどの切り口から流入しても構わない。歴史をさかのぼれば、豊臣秀吉よりもずっと前、朝鮮半島は日本の文化的模範だった時期もある。朝鮮半島からはたくさんの帰化した朝鮮人が日本の政治・文化の手助けをしていたのである。この事実も僕たちは忘れてはならない。
しかし、国民的な広いレベルにおいて、日韓両国がこれほど接近したことがかつてあっただろうか。日本の国民が韓国人スターにこれほど憧れた時期があっただろうか。あるいは日本の文化もこれほど韓国に堂々と流入したことがあっただろうか。勿論、その底には政治的な力学が働いていることは否定出来ない。が、そんな政治的力学をはるかに上回る勢いで、民衆が差別という大きな壁を取り崩しているのである。それは東西ドイツの壁が民衆の手によって取り壊されたことにも匹敵する大いなる出来事である。もっと大きなうねりが起こるとよい。また現実にそうなるだろう。日本にいる在日の皆さんはこれまで差別と闘い、時には差別に屈し、在日であることに誇りをもつことが困難だった時代が何十年と続いたのである。いまこそ、日本と韓国が手を携えて、政治の世界など後追いをせざるを得ないような、芸能を通じて、大きなうねりが起き続けるはずだ。
そのように文化の交流がますます盛んになれば、朝鮮半島にも変化が起こるだろう。政治的には北朝鮮という、廃れた共産主義国家は、キム・ジョンイル総書記を中心とした一部の政治的幹部だけが利権をむさぼり、民衆は飢えに苦しんでいるのである。芸能はいまだ、政治に支配されたままである。しかし、今後韓国の芸能界の動きは例えば短波放送を通して、あるいはインターネットを通して、キム・ジョンイル体制の政治の失策の多くを、民衆のエネルギーが暴いていくことだろう。日本にはいまだ朝鮮総連という政治団体があるが、これも本国の政治的腐敗そのものが、この団体の、差別と闘う、という運動そのものをニセ物にしてしまわざるを得ないだろう。北朝鮮を支持する在日のみなさんは、本当はもう本国の限界を諒解しているはずである。この方々が芸能という手段を通して、キム・ジョンイル体制の文化的政治統制がいかに欺瞞に満ちたものかを知らせなければならないのではないか。キム・ジョンイルさん、喜び組を独占しているだけではいけない。あるいは、あなたと少数の政治的エリートだけが、文化を独占してはいけないのである。国民を飢えさせて、核開発などしている場合なのか。
僕は、学生運動の只なかで、私は朝鮮人です。本名は・・・・・です! と声高だかに宣言した何人もの仲間たちの姿を忘れない。キム・ジョンイルさん、あなたがつまらないことをやっていると、僕たちが感動したことが台無しになるんだよ。そろそろ幕を引く時期なのではないか。
〇「<在日>という根拠」竹田青嗣著。文庫になっているはずです。この本は竹田自身が在日であるという観点から、在日の文学者数名の作品に表現された作中人物たちのかなり突っ込んだ分析に仕上がっています。一読の価値があります。