読書する女という映画は人生に倦み疲れた人間のもとに言って、その人間の気に入った本を読んでやり、少しの報酬を受け取るというプロットだったと思う。原作も同じようなものである。
日本人は年末にもなると帰省がどうだ、とか、正月行事がどうだとかいったことが一大イベントになるようである。生き生きと仕事をしている人もいれば、仕事に倦み疲れた人々もいるだろう。どちらにせよ、人間には何かの区切りが必要なのである。それが年中繰り返してやっている行事という存在である。これは何も年末行事には限らない。
いったいなんだというのか、この日常生活という存在は? 毎日が止めどなく繰り返されるという日常に耐えられる神経の持ち主は羨ましい限りである。僕はこの6年間というものカウンセラーになるために勉強をし、予備校で教え、ああ、その前に永年勤めた学校を管理職との折り合いが悪いために辞めてしまい、離婚し、子どもと別れ、財産の殆どを調停や裁判もせずに(それらをやれば僕の今の生活はもっと楽であったはずだ)、財産の全てを二人の息子のために前妻に渡し、家を出た。あたふたとした6年間だったが、いっときも日常性を生き抜く、という強い意思があった訳ではない。むしろ、胸の中に溜まった重い澱のようなものに突き動かされるようにして息をし、飯を食らい、こうやって何とか生活とも言えぬ生活をし、ブログを書きながら、日常をやり過ごしてきたに過ぎないのが、現実である。
一年の最後に言う言葉ではないのかも知れないが、これからどうやって生きていったらよいのか、自分でもよく分からないのが本音である。僕は他者のために読書してあげられるほどの力がまだ体内に残っているのかさえ分からない。たぶん、はっきりと言えるのは自分のために本を読めることだけは諒解している。ただそれだけなのである。果たして来年も生きていけるだろうか? 大きな疑問である。人間は生を授かったその瞬間から死に向かって生きているのである、という言葉をよく聞かされたものだ。が、この言葉もよく考えてみれば、元気のよい言葉で、人生を生ききろう、という宣告のように僕には聞こえてしまう。いまは、もうこんな元気もないのが自分の置かれた位置である。
精神を病んでしまえばよいのだが、僕の場合は、生に対して懐疑的なのである。だからこそ、自分の限られた生の中で出会う人間の殆どを信じようとする。しかし、現実には、それほど多くの人々が信じ得る対象ではないことが分かってくる。失望の方が大きくなる。それが人生と言い放ってしまえばいいのかも知れないが、なかなかそうは簡単には割り切れないのが、現状なのである。
いったい、僕は来年も生ききれるのか? それが疑問だ。年老いたハムレットでもあるまいに、そんなことを考えている大晦日なのである。
〇推薦図書「日本のみなさんさようなら」リリー・フランキー著。文春文庫PLUS。僕みたいな心境に陥った人は数少ないのでしょうが、もし、よく似た症状が出てきた人は、年末のバラエティー番組や、野蛮な格闘技をテレビにかじりついて観ているよりは、リリー・フランキーの随想を読みましょう。ちょっと心がほぐれますよ。
日本人は年末にもなると帰省がどうだ、とか、正月行事がどうだとかいったことが一大イベントになるようである。生き生きと仕事をしている人もいれば、仕事に倦み疲れた人々もいるだろう。どちらにせよ、人間には何かの区切りが必要なのである。それが年中繰り返してやっている行事という存在である。これは何も年末行事には限らない。
いったいなんだというのか、この日常生活という存在は? 毎日が止めどなく繰り返されるという日常に耐えられる神経の持ち主は羨ましい限りである。僕はこの6年間というものカウンセラーになるために勉強をし、予備校で教え、ああ、その前に永年勤めた学校を管理職との折り合いが悪いために辞めてしまい、離婚し、子どもと別れ、財産の殆どを調停や裁判もせずに(それらをやれば僕の今の生活はもっと楽であったはずだ)、財産の全てを二人の息子のために前妻に渡し、家を出た。あたふたとした6年間だったが、いっときも日常性を生き抜く、という強い意思があった訳ではない。むしろ、胸の中に溜まった重い澱のようなものに突き動かされるようにして息をし、飯を食らい、こうやって何とか生活とも言えぬ生活をし、ブログを書きながら、日常をやり過ごしてきたに過ぎないのが、現実である。
一年の最後に言う言葉ではないのかも知れないが、これからどうやって生きていったらよいのか、自分でもよく分からないのが本音である。僕は他者のために読書してあげられるほどの力がまだ体内に残っているのかさえ分からない。たぶん、はっきりと言えるのは自分のために本を読めることだけは諒解している。ただそれだけなのである。果たして来年も生きていけるだろうか? 大きな疑問である。人間は生を授かったその瞬間から死に向かって生きているのである、という言葉をよく聞かされたものだ。が、この言葉もよく考えてみれば、元気のよい言葉で、人生を生ききろう、という宣告のように僕には聞こえてしまう。いまは、もうこんな元気もないのが自分の置かれた位置である。
精神を病んでしまえばよいのだが、僕の場合は、生に対して懐疑的なのである。だからこそ、自分の限られた生の中で出会う人間の殆どを信じようとする。しかし、現実には、それほど多くの人々が信じ得る対象ではないことが分かってくる。失望の方が大きくなる。それが人生と言い放ってしまえばいいのかも知れないが、なかなかそうは簡単には割り切れないのが、現状なのである。
いったい、僕は来年も生ききれるのか? それが疑問だ。年老いたハムレットでもあるまいに、そんなことを考えている大晦日なのである。
〇推薦図書「日本のみなさんさようなら」リリー・フランキー著。文春文庫PLUS。僕みたいな心境に陥った人は数少ないのでしょうが、もし、よく似た症状が出てきた人は、年末のバラエティー番組や、野蛮な格闘技をテレビにかじりついて観ているよりは、リリー・フランキーの随想を読みましょう。ちょっと心がほぐれますよ。