と考える思考を身につけてみようではないか。自分の話から始めよう。大学生まではとてもつらかった。自分の夢見た世界が脆くも崩れさって、ただ残ったのは残骸のような疲れ果てた、大学受験も出来ない自分の惨めな姿だった。神戸を脱出して、東京の秋葉原で、電気屋の小僧をやったときもつらかった。何で自分が人の家の屋根に登ってテレビのアンテナを立てないといけなくなってしまったのか、何で世の中にはこんな立派な家があって、自分が見たこともないような大型の冷蔵庫を小綺麗な台所へ腰の痛みを堪えながら運び込まねばならなくなってしまったのか。秋葉原という街は昼間の雑踏とはうって変わって夜になると、人間の姿が殆どなくなってしまう。そんな中で、近く、といっても結構な距離を歩いてお茶の水まで歩いて安物の定食を食べから、ふっと夜空を眺めると、濃い藍色の空に星が瞬いていた。それを見て僕は、結局人生なんて、60年も生きればいい方なんだから、このまま電気屋の小僧をやっていてもいいかな、一生下働きでもいいんじゃあないのかな、とふっと考えた。
僕が学問らしきものと繋がっていたのは、お茶の水にいまでもあるが、アテネ・フランセというフランス語の学校だった。そこには地下に素敵な喫茶室があって、ドーナッツとコーヒーを飲みながら、仕事が終わってから授業を待ちながらくつろいでいることが多かった。自然と周りの大学生たちの声が聞こえてくる。ロクでもない話であり、大学生って結構アホなんだなあと心底思って、聞こえてくる話を聞くともなく聞いていた。そのとき唐突に、僕には、大学にもどろう、という感覚が心の底から芽生えてきているのに気づいたのである。前向きに出てきた結論ではない。奴らに出来ることが僕に出来ないはずがないではないか、という消極的な発想であった。
僕は6カ月後に神戸にもどっていた。祖母を頼って。今は前に書いたような離婚騒動の過程で絶縁してしまった叔母夫婦も近くにいたから心強かった。僕は昼間祖母が働きに出かけている間も、黙々と高校一年の教科書をまとめる作業から始めた。何せ、高校1年の2学期以降はまともに授業を受けたことがなかったので、そこからの出発だった。自信はなかったが、受験まで残された6カ月間という猶予はあるのだから、2、3流どころの私学を狙えばいける、という漠然とした感覚はあった。アテネ・フランセでの大学生の言葉が反比例するように、僕の世界観と結びついた結果である。電気屋の小僧で終わろうかと思っていた感覚が大きな世界へと広がったと言ってもよい。
大学生になり、バイトに明け暮れても何もつらくなかった。僕は新たな世界を手に入れたわけだから。友人たちにも恵まれた。彼らはいろいろな面でよく僕を助けてくれた。僕は自分の生活が苦しいことを隠さなかったし、自分の過去の行状についても何一つ隠さなかった。もし、そのことをひた隠しにして新しい世界と出会ったと思っていたなら、僕は余計に卑屈になっていたと思う。いまだに続いている友人関係も構築出来なかったと思う。これは僕の自慢だ。大きな声で言える自慢なのである。
確かに勤めていた学校を追放されて、離婚し、これまでの蓄財を殆ど別れた妻に持たせて、全てを失った時の僕には、その時が、決して新たな出発とは思えなかった。もう自分の人生は終わった、と思った。立ち上がる術がなかった。再就職の道は47歳になっていたから、もう閉ざされたも同然だった。死のうと思って、試みた。2度試みて、2度とも失敗した。結局6年間フラフラしながら、カウンセラー養成学校へ行きつつ再婚した家内に食べさせてもらって、うじうじしていた。
ところが、カウンセラー養成学校でもすばらしい友人たちに恵まれた。僕はまた世界と繋がった。世界がぐんと広がった。彼らともいまでも交流がある。幸せなことだ。それから僕は時折落ち込みはするが、落ち込んだ時も、世界に目を向けるように心掛けた。いまだに世界には飯もまともに食えない国があるではないか。彼らよりましだ、という発想ではなくて、彼らと想像の世界でもよいから、彼らの苦悩と心情とに繋がっていよう、と思うのである。
カウンセラーになって、いろいろなクライアントと出会う。最初はクライアントの症状を治そうと焦った。が、途中でそういう傲慢な考えを変えた。クライアントは何年もかけてそれぞれの症状を身にまとったのである。彼らに共鳴することから始まりがあるのだ、と思った。これは心底そう感じている。いろんなかたちで自分を痛めつけるクライアントがいる。それを緊急避難的に避ける方法を教えることも出来るし、実際にやっている場合もあるが、僕自身の発想としては、まず、クライアントがなぜ自己処罰に走るのか、という心の起伏に共鳴するところから始めようと考えている。少なくともそうすることによって僕がいろいろな世界と繋がったように、クライアントも僕を通して世界とつながれる可能性が出てくるからだ。そうなれば、孤立感から自分を痛めつけたりはしなくなると確信できるところまではきた、と思う。
クライアントの中にはもうすでにクライアントではなくなっている人もいる。むしろ僕を救いに来てくださる方までいる。ありがたいことだと思っている。そういう時、その人の世界と、僕は確実に結びついていたいと思う。そうして僕自身の世界を広げるチャンスをもらっているのだと自覚したい。たぶん、僕は結構まともなカウンセラーに数年後にはなっているはずである。何せ、僕は苦悩を背負っても世界と繋がって離れないからである。そういう覚悟が出来たからである。
〇推薦文書「自分を知るための哲学入門」竹田青嗣著。ちくま文庫。これは53歳の僕を見放さずにいてくれる25歳の天才青年が、竹田青嗣のことを話したら、自分で探して読んでくれている本です。僕も教師時代に読んで世界が広がったことを覚えています。入門書とは書いてありますが、深いところにまで踏み込んだ哲学書です。フッサールの現象学へと繋がっていく可能性を秘めた優れた本です。
僕が学問らしきものと繋がっていたのは、お茶の水にいまでもあるが、アテネ・フランセというフランス語の学校だった。そこには地下に素敵な喫茶室があって、ドーナッツとコーヒーを飲みながら、仕事が終わってから授業を待ちながらくつろいでいることが多かった。自然と周りの大学生たちの声が聞こえてくる。ロクでもない話であり、大学生って結構アホなんだなあと心底思って、聞こえてくる話を聞くともなく聞いていた。そのとき唐突に、僕には、大学にもどろう、という感覚が心の底から芽生えてきているのに気づいたのである。前向きに出てきた結論ではない。奴らに出来ることが僕に出来ないはずがないではないか、という消極的な発想であった。
僕は6カ月後に神戸にもどっていた。祖母を頼って。今は前に書いたような離婚騒動の過程で絶縁してしまった叔母夫婦も近くにいたから心強かった。僕は昼間祖母が働きに出かけている間も、黙々と高校一年の教科書をまとめる作業から始めた。何せ、高校1年の2学期以降はまともに授業を受けたことがなかったので、そこからの出発だった。自信はなかったが、受験まで残された6カ月間という猶予はあるのだから、2、3流どころの私学を狙えばいける、という漠然とした感覚はあった。アテネ・フランセでの大学生の言葉が反比例するように、僕の世界観と結びついた結果である。電気屋の小僧で終わろうかと思っていた感覚が大きな世界へと広がったと言ってもよい。
大学生になり、バイトに明け暮れても何もつらくなかった。僕は新たな世界を手に入れたわけだから。友人たちにも恵まれた。彼らはいろいろな面でよく僕を助けてくれた。僕は自分の生活が苦しいことを隠さなかったし、自分の過去の行状についても何一つ隠さなかった。もし、そのことをひた隠しにして新しい世界と出会ったと思っていたなら、僕は余計に卑屈になっていたと思う。いまだに続いている友人関係も構築出来なかったと思う。これは僕の自慢だ。大きな声で言える自慢なのである。
確かに勤めていた学校を追放されて、離婚し、これまでの蓄財を殆ど別れた妻に持たせて、全てを失った時の僕には、その時が、決して新たな出発とは思えなかった。もう自分の人生は終わった、と思った。立ち上がる術がなかった。再就職の道は47歳になっていたから、もう閉ざされたも同然だった。死のうと思って、試みた。2度試みて、2度とも失敗した。結局6年間フラフラしながら、カウンセラー養成学校へ行きつつ再婚した家内に食べさせてもらって、うじうじしていた。
ところが、カウンセラー養成学校でもすばらしい友人たちに恵まれた。僕はまた世界と繋がった。世界がぐんと広がった。彼らともいまでも交流がある。幸せなことだ。それから僕は時折落ち込みはするが、落ち込んだ時も、世界に目を向けるように心掛けた。いまだに世界には飯もまともに食えない国があるではないか。彼らよりましだ、という発想ではなくて、彼らと想像の世界でもよいから、彼らの苦悩と心情とに繋がっていよう、と思うのである。
カウンセラーになって、いろいろなクライアントと出会う。最初はクライアントの症状を治そうと焦った。が、途中でそういう傲慢な考えを変えた。クライアントは何年もかけてそれぞれの症状を身にまとったのである。彼らに共鳴することから始まりがあるのだ、と思った。これは心底そう感じている。いろんなかたちで自分を痛めつけるクライアントがいる。それを緊急避難的に避ける方法を教えることも出来るし、実際にやっている場合もあるが、僕自身の発想としては、まず、クライアントがなぜ自己処罰に走るのか、という心の起伏に共鳴するところから始めようと考えている。少なくともそうすることによって僕がいろいろな世界と繋がったように、クライアントも僕を通して世界とつながれる可能性が出てくるからだ。そうなれば、孤立感から自分を痛めつけたりはしなくなると確信できるところまではきた、と思う。
クライアントの中にはもうすでにクライアントではなくなっている人もいる。むしろ僕を救いに来てくださる方までいる。ありがたいことだと思っている。そういう時、その人の世界と、僕は確実に結びついていたいと思う。そうして僕自身の世界を広げるチャンスをもらっているのだと自覚したい。たぶん、僕は結構まともなカウンセラーに数年後にはなっているはずである。何せ、僕は苦悩を背負っても世界と繋がって離れないからである。そういう覚悟が出来たからである。
〇推薦文書「自分を知るための哲学入門」竹田青嗣著。ちくま文庫。これは53歳の僕を見放さずにいてくれる25歳の天才青年が、竹田青嗣のことを話したら、自分で探して読んでくれている本です。僕も教師時代に読んで世界が広がったことを覚えています。入門書とは書いてありますが、深いところにまで踏み込んだ哲学書です。フッサールの現象学へと繋がっていく可能性を秘めた優れた本です。