ワーキングプアーのことを書いていたら、とても自分が嫌になった。たぶん、今日のブログほど共感を持たれないものはないであろう。なぜかは自分が一番よく分かっている。他者に呼びかける要素が一つもないからである。ただ、腹立たしいだけの感情を、書くことによって昇華させようとしているだけなのであるからだ。いや、昇華できれは、僕の気分だけは落ち込まずに済むので、みなさんにご辛抱いただいて、次回は少しは興味のもてるものが書けるかも知れない。しかし、いま、自分の心の中に澱のように怒りが溜まったまま抜けないのである。敢えて書かないが、いま自分の中では相手の首でも締めて殺害してしまいたいほどの衝動に駆られている。憎しみの感情が、まだ整理されずに僕の裡に居すわっているのである。こんな自分が生きる意味があるのだろうか? 僕は生きねばならない、と書き続けてきた。しかし、少なくともいまの僕は生きることに確信を失ってしまっている。やはり生きるには少しでも自分を愛することが出来ていないとダメなのである。
仕事がダメになり、家をなくし、家族をなくしたとき、同じような気分に陥った。自分のいかなる部分も愛せなかった。だから僕は自殺を試みた。人間死のうと思うときはこんなときかも知れない。少し思い出したような気がする。いまかろうじて死ぬ行為に走らないのは、自分の実存主義的な思考回路が、それを押し止めているような気がする。それ以外の理由はない。人間、死を覚悟したとき、家族のことを思って死ななかったり、恋人や、知人や、誰それがいるから、死を思い止まった、というような思考は欺瞞である。大ウソである。死とはすべての諸要素を忘れさせてしまう。だから死ねるのである。僕は死ぬことも元来できもしないくせに、死のまねごとをする人間が大嫌い、だ。大ウソつきだから、である。死とはあくまで、沈黙の中で切なく、この世界を放棄する行為である。だから、自殺してしまった人を僕は責めないが、自殺に見せかけた行為は軽蔑する。それはアマチャンの行為でしかないし、それなら、生きられるはずだからである。病気などと言うな! そんなのは死という概念と戯れているだけだ。つまらない行為でしかない。
僕は実存主義者として、死の意味を諒解しながらも自然に死が訪れるまでは生き抜いてやる。そういう覚悟なのである。いまは甘えた根性の人間は認めない。誰が何と言おうと認めてやらない。根性を据えて、死という魅惑なんて言ってないで、生を生き抜けばどうだ! 中途半端な生き方をするな! 他者を傷つけるだけだからである。
いま、僕は、ずっと自分に語りかけてきた。しかし、もしこの言葉に傷ついた方は、たぶん、僕が敢えて厳しく言ったように、他者に甘えている行為を繰り返しているだけだからである。これは確かな事実として認識してほしい。生がすばらしい、と感じられるように僕も努力する。が、死も選択出来ず、生と死との間をブレながら息をしているようなつまらない時間を過ごすな、と僕は心の底から言いたいのである。自殺志願の方々もいらっしゃるだろう。しかし、生き抜いてこその自己存在である。こう考える前に死を選びとった方をもう責めはしない。それは、気づきがなかっただけのことだからである。だからこそ許されることだろう。気づいていながら、生と死の間を彷徨うような輩は、僕は認めない、と再度宣言しておこう、と今日は思う。
〇推薦図書「愛の断想・日々の断想」ジンメル著。岩波文庫。ジンメル晩年の激しくも澄み渡った愛をめぐる断想集です。僕のまずい吐露をこの作品で薄めてください。よろしくお願いします。
仕事がダメになり、家をなくし、家族をなくしたとき、同じような気分に陥った。自分のいかなる部分も愛せなかった。だから僕は自殺を試みた。人間死のうと思うときはこんなときかも知れない。少し思い出したような気がする。いまかろうじて死ぬ行為に走らないのは、自分の実存主義的な思考回路が、それを押し止めているような気がする。それ以外の理由はない。人間、死を覚悟したとき、家族のことを思って死ななかったり、恋人や、知人や、誰それがいるから、死を思い止まった、というような思考は欺瞞である。大ウソである。死とはすべての諸要素を忘れさせてしまう。だから死ねるのである。僕は死ぬことも元来できもしないくせに、死のまねごとをする人間が大嫌い、だ。大ウソつきだから、である。死とはあくまで、沈黙の中で切なく、この世界を放棄する行為である。だから、自殺してしまった人を僕は責めないが、自殺に見せかけた行為は軽蔑する。それはアマチャンの行為でしかないし、それなら、生きられるはずだからである。病気などと言うな! そんなのは死という概念と戯れているだけだ。つまらない行為でしかない。
僕は実存主義者として、死の意味を諒解しながらも自然に死が訪れるまでは生き抜いてやる。そういう覚悟なのである。いまは甘えた根性の人間は認めない。誰が何と言おうと認めてやらない。根性を据えて、死という魅惑なんて言ってないで、生を生き抜けばどうだ! 中途半端な生き方をするな! 他者を傷つけるだけだからである。
いま、僕は、ずっと自分に語りかけてきた。しかし、もしこの言葉に傷ついた方は、たぶん、僕が敢えて厳しく言ったように、他者に甘えている行為を繰り返しているだけだからである。これは確かな事実として認識してほしい。生がすばらしい、と感じられるように僕も努力する。が、死も選択出来ず、生と死との間をブレながら息をしているようなつまらない時間を過ごすな、と僕は心の底から言いたいのである。自殺志願の方々もいらっしゃるだろう。しかし、生き抜いてこその自己存在である。こう考える前に死を選びとった方をもう責めはしない。それは、気づきがなかっただけのことだからである。だからこそ許されることだろう。気づいていながら、生と死の間を彷徨うような輩は、僕は認めない、と再度宣言しておこう、と今日は思う。
〇推薦図書「愛の断想・日々の断想」ジンメル著。岩波文庫。ジンメル晩年の激しくも澄み渡った愛をめぐる断想集です。僕のまずい吐露をこの作品で薄めてください。よろしくお願いします。