ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

孤独に耐える力

2006-12-17 22:14:09 | Weblog
正直に言うと僕は孤独に耐える能力に欠ける人間である。たぶん、ずっと以前から、そうだった、と思う。僕が高校時代に学生運動に参加したのも、いかにもサルトルのいうアンガージュマンの思想が、ごたごたとしてはいるが、その雑踏のような人間の集まりの中に自分の身を置いていることにとても共感を覚えていたのである。そう、孤独であるか、ないか、の基準は、人込みの中にいても、その集団という存在に共感できるかどうか、という一点にかかっている。共感がなければ、人込みの中にいても、その人間は孤独の只なかにいるのと同じである。だから、いまの僕は、何に対しても共感を抱けない状況にあると言ってもよい。だから、雑踏の中においても、孤独であるし、一人でいるときも、やはり孤独なのである。
僕が、人間が集まる場としての学校空間に大学を出てから身を置いたのも、たぶん孤独に耐え得る、と直観したからである。たしかに、気の紛れはあった。家族も持った。それなりの生活も出来た。が、僕は相変わらず孤独であった。僕は学生運動の後、何かに共感する、という機会に恵まれなかったのである。だから、学校に身を置いていても、いつも孤独であった。とりわけ異なった人間集団の中に紛れていることの不快さ、不安感は、自分の裡にある孤独感を増すばかりであった。
人間が心を病むのは、このような状態のときに襲ってくる孤独感が根に在る、といっても差し支えがない、と僕は思う。だから言葉を換えて言うと、僕は小さい頃から孤独感を抱えてきたのであり、青年の頃に偶然遭遇したお祭り騒ぎの中で、あるいっとき、自分の中の孤独という毒を燃やし尽くしたのである。そして、その後の人生において、僕はやはりまた孤独になった。単調な日常生活は僕の孤独感を増すばかりである。仕事はなおさら孤独感を増す。それはある一瞬における充実感があるからこそ、その後の空虚感も余計に大きく僕にのしかかってくるのである。
僕に必要なのは、人生におけるお祭り騒ぎである。それは文字通りのお祭り騒ぎでは勿論ない。内面的な充足感が伴うような、心が浮き立つような、思想的な空騒ぎである。たぶん僕によく似た人間は少なくない、と思う。心が浮き立つような思想的な空騒ぎをどうやって擬似的に行なっているか、と言えば、僕の場合は家の天井を見上げながら、思索をしている場合か、本、これは訳の分からない本か、もの凄く分かりやすく心を高揚させてくれるようなものがよい。中途半端な、オセンチな小説なんかはかえって現実との乖離を深めるばかりで、切なくなる。人生を狂わせるような恋愛もよいかも知れないが、これは相手方に迷惑をかけるので、いまは心の底にしまっている。
さて、僕にはこんな毎日が、これからもずっと続くのであろうか?

〇「推薦図書」「路上」ジャック・ケルアック著。河出文庫。全編、分かりやすい行動の空騒ぎから出来ている小説です。所謂アメリカの若き反逆者たち、ビート・ジェネレーションと言われた時代の小説です。人生に退屈を感じた方はどうぞ。