ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

生きる意欲を枯らせてはならないんだ!

2010-03-06 00:34:39 | 観想
生きる意欲を枯らせてはならないんだ!

好き勝手をして、これまで生きてきた。だからこそ、失敗も人一倍多い。かといって、自由人を気どって職を転々として生きて来たのでもない。高校時代に、時代の潮流に巻き込まれたせいだろうか、学問で飯を食う道、あるいは医師や弁護士になる道を閉ざされた。いや、時代のせいになどではない。要するに自分に能力がなかっただけのことである。人の手前、見栄をはりたくなるときもある。そういうとき、自分の能力の欠如を時代のせいする。語り方としては、あたかも自分が人一倍ずば抜けた能力があったかのように意図的に語る。しがない性(さが)である。大学は名もない私学(同支社大学を名もなき大学と称識るところが裏返ったエリート主義だろうね)、仕事は踏ん張りぬいて、23年英語の教師をやった。それが精いっぱいのつっぱりだった。それからの人生は、まさに自由人である。自由人と云えば聞こえはいいのかも知れないが、要するに明日をも知れぬ人生だったのである。

人に偉そうなことなど言える立場では毛頭ないが、僕の経験知から何となく言えることは、人は失ったものと同量のものを、違ったかたちで得るものではないか、ということである。教師を辞したとき、僕はすでに47歳になっていた。何かをやり直すにはあまりに中途半端な年齢だった。それに、何かをやり直せるとも思わなかったし、教師なんかを長年やっていると、要するに世の中がまるで見えないので、正直怖かった。自分がいま、曲がりなりにも企業人材教育会社の責任者として、人さまのお役に立てているのかどうか、説明しろと言われたらまず言葉にはならない。光のないラビリンスの中を手さぐりで辿ってきたら、たまたまいまが在るというより表現の仕様がないのが事実である。それでも教師をしていた23年間よりもずっと濃密な時間をいまは送っていると思う。しかし、その濃密さを言葉に出来ないから、こうしてみなさんに辛抱してもらいながら、人生の総括なるものを書き続けているのである。これを読んでくださっている方に対しては、ありがたい、としか言いようがないのである。

自分のことをひと言で表現すれば、関西弁で言うところのアホだ。だから僕はアホなりの生の豊饒さについて語り続けてみようかと思っている。当然、これを読んでくださっているみなさんは、僕などより数段賢明な諸氏なのだから、アホが書き綴る生の豊饒さから、ご自分の日常性の中に、遊びの要素を組み入れて頂いたら、この上ない幸せである。どうせ、僕には哲学書の内実など読みとれてもいないから、著者の名前など書いても無意味だろうけれど、ドイツ人とフランス人の二人の哲学者によれば、突き詰めて言うと、仕事も含めて、人間の営みはすべて遊びの範疇に入るのだそうな。それならば、人生、いつもは無理にしても、意識的に、子どもの心にもどって遊びの要素を生きるためのツールにしてもよいだろう。人生を枯渇させないために、ね。


文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃