ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

ワーキングプアーという現実

2006-12-23 23:05:32 | Weblog
戦後最大の景気の良さだという。しかし、その一方では貧富の格差がどんどん広がってきているのも事実だ。一日中働けども、何十円、何百円の世界の生活実感しかもてない層の人々が確実に、この日本に数えきれないほど存在するのである。これが日本という国の現実であり、欺瞞である。こういう欺瞞は今に始まったことではないのです。
思い出せば、僕の幼い頃、小学校に上がる前のことでした。昔のことだから仕方がないですって? いやいや、あの頃だって経済格差は確実に存在していたのです。人間というのは、自分の境遇が何とかうまく廻っている間は、他人の貧困のことなんか考えないのです。政府の役人や政治家など、まず実感はないでしょう。彼らはみんな、特に自民党の二世ボンボンたちの政治家たちに、貧しい方々を救うために、何じゃ、かんじゃ、と語られると、僕なんかはもうその時点でキレる。僕だってそうですよ。人間なんてええかげんなもので、教師時代は年間1000万円以上の給与をもらっていたし、いまも勤めていたら、もっともらっていたでしょう。そんな時代に、貧しい(自分も極貧の時代があったくせに)人々などのことが考えられる余地が頭の中を掠めさえしないのですよ!
もし景気が統計上良くなっているとするなら、それは偏ったところにお金が廻っているに違いないのです。こんなことが起きないための社会主義や共産主義国家の夢が実現されると思っていたのに、結局人間って、お金を独り占めにしたい性癖は、治らないらしいのです。ロシアも中国も北朝鮮も、一部の政治的エリートかマフィア連中のお金の独占場に成り下がってしまっています。もう人類の夢も終わりの感がありますね。怠けていてお金が入らないのではないのです。真面目に働いてもどんどん収入が減っていく人々がいるのです。小さな子どもを抱えている母親たちに対する母子家庭の児童扶養手当が4年後には半分に減るというし、老人保険料もずいぶんと上がってしまいました。政府は貧しいところからまず経費を削減します。自分たちは数百万のうちの十万円某かの金を国に返還して、ご満悦状態なのです。それも殆どは金など国から支給されなくても十分にやっていける二世議員たちだから出来ること。何の痛みも感じていないのです。カリフォルニアのアーノルド・シュワルツネッガー知事を見よ! 彼は自分でアメリカンドリームを実現できた幸運を、今度は民衆に返しているではないか! 彼は無給の州知事ですよ。日本人もいい加減に人の良いフリをしていてはならないのです。もっと怒るべきときなのであります!
僕は極貧の時代に入るとどのような心境に人間は陥るのかよく知っています。斜陽して神戸に逃げてきたとき、母親が勤めたのは、阪神大震災で殆どが丸焼けになった靴工場の一つでした。もう何十年も前のことですが、そこで働く人たちは、自分たちが貧しい、という思考を失ってしまっているのです。諦めから人柄がまるく削られてしまうようなのです。僕は一日中、幼稚園拒否児童だったから、母親の側について、ゴムの強い匂いを嗅ぎながら、母親の仕事が終わるのを辛抱強く待っていました。お金がないと、人間は自分が本来惨めであることすら忘れて、働ける場を何とか探そうとするのです。それも根気よく、です。
一方に有り余るほどの金持ちがいて、一方にお金がなくて、明日をも知れぬ人々がいるような社会は無価値である、と僕は思っています。政治家なんて信用してはいけないし、それに反対しているような政党も信用してはいけないのです。反対者だってちゃんとした生活を党から保障されていることが殆どなのですから。政治参加はせいぜい眉に唾をつけてやってください。騙されますよ。気をつけないと。
いま、僕だってある意味、ワーキングプアーの一人です。クライアントから頂くカウンセリング料は有り難いですが、クライアントが入らない日だってあるわけです。その日は収入は当然ゼロでなのです。自宅兼用のマンションで開業しているから何とかやっていけるのであって、これが、どこかのビルの一室を借りて家賃やら何やらと支払っていればたちまち生活が立ち行かなくて閉鎖です。いまだって実際は立ち行かないのです。妻が働いて何とか食っているに過ぎないのです。これは、一見すれば分からないでしょうが、確かなワーキングプアーの一人ということにりはしないでしょうか。政府よ、これ以上、先行きの見えない人々をつくるな! 僕は今日は本当に怒っているのです。

〇推薦図書「「中流」の幻想」岸本重陳著。講談社文庫。ずいぶん前に日本人総中流思想が流行った時代に書かれた本ですが、いまでも通用する思想性に溢れています。日本人よ。もう騙されるな、という想いでいっぱいなのです。

二人の対照的な女性クライアントのこと

2006-12-23 00:09:09 | Weblog
まずは、すばらしい女性クライアントのことから話を始めるのが自然であろう。この女性は、クライアントとして最初は来られたが、いまやクライアントではなく、カウンセラーの僕の受容力を高めに来てくださる方である。月1回の割合でみえる。この女性は僕より4歳年上である。ある弁護士事務所に勤めている女性だが、最初は弁護士のご自分に対する扱いや、お嬢さんの教育の問題で少し弱気ではあった。
しかし、この女性の素晴らしさ、というか、人間的な受容力の大きさといおうか、僕のちょっとした言葉やアドバイスで、全てを諒解してしまうのである。だから、この女性は僕のちょっとした言葉も自分の力に変えてしまう人間的な器の大きさがある。すばらしい能力の持ち主なのである。問題の弁護士の態度や姿勢までも変えてしまったし、お嬢さんの自立にも大きな力を発揮したのである。またご主人の潜在的な能力も引き出してみせた。若い頃にご苦労された女性だが、その苦労をご自分の力に変換してしまう能力がある女性なのである。必ずや、この女性クライアント(とは呼べない存在なのだ)は、今後の生き方においても僕などがついて行けないほどの次元の高い生き方をしていかれるはずである。ご家庭もこの人を中心に廻っているし、また他者の面倒みの良さでも群を抜いている。こんな女性がいる限りこの国は安泰であろう、と僕は思っている。そして、こういう人はやることが粋なのである。僕のところのカウンセリングの料金は税込みで7350円なのだが、この女性は必ず、きっちりと8000円置いて帰られる。お金の大小の問題ではなく、なにせ粋なことをなさる方なのである。僕はこういう人がとても好きである。勿論、こういう人は誰からも当てにされるだろうから、たいへんだろうなあ、といつも頭が下がる想いなのである。こういう人の人生観を真似るべきなのである。そうすればまず不幸になることはない、と僕は確信している。だから、僕はこの人が訪ねて来てくださるのをいつも心待ちにしているのである。お会いするのがとても楽しみなのである。お金を頂いているのが心苦しいくらいの、尊敬に値する女性である。もうすこし僕もこの女性の生き方を現実生活に生かさなければ、といつも思っているのである。ありがたい人である。お金はいらないから、ずっとお付き合いできればよい、と思っている人として、僕は認識している。たぶんこの人と関わっていれば幸せになれるだろう、とも思う。僕の模範である。
さて、あまりぱっとしないクライアントの女性の話に入る。この女性は僕よりずっと年齢は下だが、前記した女性とは異なる苦労を若い頃にされた方である。しかし、同じように苦労しても、その辛さを自分の栄養に出来る人もいれば、この、かつてのクライアントのように、自己の過去の辛さを他者に依存することで済ませてしまう人もいる。しかしよく考えてみれば、この人には過去からずっと常に異性関係の影がついて廻っていたのである。
ただ、この人にもすばらしい才能があるので、カウンセリングではこの人の眠っていた才能を少しずつ掘り起こしていった。そして、やっとそれに気づいたと思ったら、今度はそこから逃げ出したのである。この人の特徴は依存体質である。特に男性に対する依存度が高い。出会い系サイトで知り合った男性と肉体関係をすぐに持ってしまう。そういうところに逃げるから、この人にはパニック障害がついて廻る。勿論ご主人ともうまくいかない。そして、いつも不安なのである。考えるまでもなく、この人からパニック障害が抜けないのは、いつも自分の人生から逃げているからである。自分の才能を再び開花させることからも逃げているので、いつまで経っても男性依存が抜けない。僕がかつて3万円を元手に、家内から、出会わないという約束で、幾つかの出会い系サイトに登録したのも、この人の内面を現実にみるためだった。しかし、あんなところに本当の愛もなければ、例えば肉体関係を持ったとしても心が貧しくなるばかりであろう、というのが、僕の結論だった。が、彼女はそこから抜けきれずに、自分の才能を開花させることからも逃げて、今度は男性のカウンセラーには分かってもらえない、と言って僕のもとを去った。たぶん女性のカウンセラーに罹ってもこの人はもっとつらい想いをするはずである。すでになすべき課題を発見しているのに、それを放棄して今度は女性カウンセラーに頼るのである。この人のなすべき課題を発見するまで、また時間とお金がかかるのは目に見えているし、たぶん、この女性はずっと子育てもうまくいかず、家庭にいても落ち着かず、生きている限り悩み、男性に依存し続けることになるだろう。こういう生き方はしてはいけない。救われないからである。そしていつまでも不安感から逃れられないのである。僕はこんな生き方はしたくはない。

〇推薦図書「ギャンブル依存症」田辺 等著。NHK出版 生活人新書。ここに書かれているのはギャンブルに関してですが、ギャンブルをいろいろな言葉に置き換えて依存症の意味を探るには有効な本です。一読を勧めます。

僕の人生訓

2006-12-22 23:51:38 | Weblog
僕は人生というものを、生が続く限り生き抜くものである、と思っている。それが、ひと言でいう、僕の人生訓である。途中で投げ出すものではない、という存在である。どんなことがあっても、である。しかし、何故僕のような弱気な人間が、こんなことをわざわざ言葉にするのか、と言えば、人生には嫌なことが多過ぎるという事実がある、ということも現実だからである。たとえば、今日、僕はものすごく嫌な言葉を他者から聞かされた。それはあるクライアントからである。その女性クライアントはよく僕のところに通って来てくれたし、また、僕はそれだからこそ、無料の電話相談にも何度も応じたのである。しかし、僕は今日、その女性クライアントに電話をこちらからした。それは数日前にそのクライアントから電話があり、しかし、次のクライアントが来る時刻が迫っていたので、あまり話を長々とは聴いてやれなかった。だから僕は今日、こちらから、電話すると、どうだ! 彼女は手のひらを返したように、僕のカウンセリングを否定した。僕のカウンセリングで傷も受けた、と言い放った。そして、私には女性のカウンセラーが向いている、ということまで言った。何がこの数日間にあったのかは分からないが、少なくとも、彼女の中で劇的な変化があっただろうことは想像に難くない。彼女の抱えている問題については、カウンセラーとして明らかにするわけにはいかないが、そういう自分の存在を全否定されるようなことがあったことだけは今日は書いておきたい。
僕はもう彼女は僕のところにはやっては来ないと思ったので、彼女の要望をむしろ積極的に勧めてあげた。自分の心の動きとは裏腹であるが仕方がなかった。彼女はたぶん、女性のカウンセラーではうまくいかないことも分かっている。それは彼女の問題にも触れるのでこれを読んでいらっしゃる方には申し訳ないが、うまくいかない、という僕の結論だけを書いておかざるを得ないのである。
こんなことばかりではない。このところ僕の人生の中ではうまくいかない事だらけなのである。その度に絶望する。そして、僕は出来るものなら、この世からおさらばしたい、と心底思う。もともと生き残ってはいるが、何度も死にかけた人間である。むしろここで終わっても自分の人生、惜しくはないのである。しかし、僕にはもう一つの課題がある。それは実存主義者として、無神論者として、ニヒリストとして、アナーキストとして、自分の人生の終末を見届けてやるぞ、という深い確信もあるのだ。たぶん、僕をしぶとく生きさせているのは、この思想的問題故なのである。他のことには殆ど未練はない。人間は思想のために死ねるか? と問われれば、死ねる、と僕は答える。しかし、もっと重要なのは人間は思想のために、生き抜けるかと問われれば、絶対に生き残ってみせる、と答えるだろう。それだけの支えで僕は生きているようなものである。日常性は汚辱にまみれている。日常性に価値をあえて見いだすことが僕にもあるのは、僕の裡なる思想が、そう言わせているのである。僕は、絶対に、この凡庸で、つまらない世界をこそ生き抜いてみせようと、いま、思っています。

〇推薦図書「重力と恩寵」シモーヌ・ヴェイユ著。ちくま学芸文庫。「重力」に似たものからどうやって免れればよいでしょうか? それには恩寵が必要ですが、その前に全てをもぎ取られなければならない、という彼女の思索の深さに浸ってみてください。

昭和という時代が確実に過ぎ去りつつある・・・

2006-12-22 23:39:29 | Weblog
青島幸男と岸田今日子が逝った。僕は、こういう昭和という時代を生き抜いた人々がこのところ次々に亡くなっている現象を見ると、ああ、もう昭和という時代が確実に過ぎ去りつつあるのだなあ、と皮膚感覚で悟るのである。勿論時代はすでに平成である。しかし、僕の裡なる時代性というのはいまもまさに昭和なのであって、けっして新たな時代を迎えたという感覚がまるでないのである。その意味で僕はまだ昭和という時代を生きている人間の一人である。そして、僕の生が形成されたのは昭和以外にはないのであって、この平成に生きている人間としてはまさに異星人ではないか、と思っている。僕は幼い頃から親父や祖母に連れられて映画を観たし、演劇も観た。そして僕自身の教養(という言葉に相当するかどうかは分からないが)の全ては、昭和という時代に形成されたものである。僕は1953年生まれだから、それほど思い入れを持つのがおかしいのかも知れないが、1930年代の人々が亡くなっていくのは、身に滲みて堪えるのである。要するにませた子ども時代を過ごしたのである。
勿論昭和が終わって平成になったということは昭和天皇が亡くなったということを意味するのだが、僕の場合は昭和天皇に対する思い入れは全くと言ってよいほどなかった。それよりも、毎日繰り返される天皇に対して行なわれる輸血量と、天皇自身の下血の量をマスコミ報道によって無理やりに教えられることの不快さを覚えている。だから、天皇が亡くなっても、僕には何らの影響もなかったし、僕は相変わらず、昭和という時代を生き続けていただけのことである。時代が変わったという印象はなかった。ただ、僕は永い間教師という仕事についていたので、3年ごとに変わる生徒を見ていて、時代の変化を感じるチャンスを逃したのかも知れない。15歳から18歳の生徒を見ていると、時間の動きが3年ごとに変化するだけではないか、という印象しか持てなかったのかも知れない。ただ、新たに入ってくる新人教師たちの精神の構造の変化には嫌でも気づかされてきたのは確かである。彼らは大体において討論が嫌いであった。全てを裏話にしてしまう、精神の弱体さが見てとれた。それは昭和という時代にたたき込まれた文学や哲学を通じての討論の力と比べても、彼らの力量はかなり劣っていた、と思う。青年時代を平成という、暗い、ダイナミズムに欠ける時代におくった人間には、筋金が入っていない、と僕には感じとれた。確かに自分の時代の終わりを感じさせる数年間だった。
青島幸男や岸田今日子が亡くなって、これからもどんどんと昭和を代表するような人間がこの世界から姿を消していくとなると、絶望感すら感じてしまう。それは、まさに僕自身の死が向こうからやってきつつある、ということを感じさせるからである。勿論僕は実存主義者として、無神論者として、アナーキストとして死と直面したい、と思っている。それが僕の死に方だ、と直観している。さて、僕は、いま急いで平成の時代を代表する知性と出会おうと息せき切っている最中だ。たぶん僕の死も近いに違いない。僕はいま焦っているのである。あらたな文化と出会うために。そのために恐らくはそんなに永くない命をすり減らしながら生きているような気がするのである。ああ、急がなくては!

〇推薦図書「GO」金城一紀著。講談社文庫。新たな知性との出会いです。平成の直木賞作家の作品を愛情を持って読みましょう。「在日」の青年が自分探しをする青春小説です。よい作品だと思います。

僕たちは生きねばならない

2006-12-22 01:03:01 | Weblog
若い頃から僕は死の淵を彷徨ったことが何度もある。何故生きているのか不思議なくらいである。しかし、どうにか53歳になってもまだ生きてこうして書いている。幼い頃は様々な事故で命を落としただろうこともいくつもある。たぶん平均値がどのくらいかは分からないが、僕は死の危険性に満ちた幼年期を過ごしてきたはずだ。だが、しぶとく生き抜いてきた。
僕が意識的に死を選ぼうとしたのは、47歳という中途半端な時期に教師というたぶんかなり自分でも気に入っていた仕事を無理やり辞めさせられたことと、離婚騒動の哀しさ、虚しさ、そう、何のための人生だったのか、ということを否応なく考えさせられたことによる。何度か試みた。が、すべては滑稽なほどに失敗をした。これで、ふっきれたか、というとそうでもない。生に対する憂鬱さだけはしぶとくいまだに残っている。これだけは誰にも頼るわけにはいかない。自分が残りの人生をどのように生き延びるか、という課題として抱えたままなのである。
誰にでも高いところから飛び降りてやろうか、とか、電車がホームに入って来る時に、飛び込んでやろうか、とか、眠りに落ちる前に、このまま目が醒めなければ楽だろうなあ、といった想像はしたことがおありだろう。しかし、こういう想いはすべて、幻影と考えてよい、と僕は思う。現実に行為に及ぶ人は何も考えていない。身体が自然に動いて死を招く、と僕は考えている。想像の範囲でならば、何度死んでもよいのである。ただ死を美化することは僕には馬鹿げて見える。死は決して美しくもなんともない。前に書いたが三島由紀夫の古式に従った切腹と介錯が美しいかと言えば、それは現代においては珍しい死に方である、という意味合いにおいてのみ懐古趣味的に日本人もああやって死んでいたのだな、と感じるだけである。腹から腸が飛び出して、三島の首が転がっている当時の写真を僕は目撃しているが、それ自体に美意識などというものはない。
三島の死にざまを例に出したが、死そのものは美しくはないのである。死へいたるまでの瀕死の人間から出る言葉の重みだけを僕たちは忘れないようにしておきたいものだ。どんなに苦しくても自死を選んではならないし、意味のない延命も馬鹿げている。死は必ずその人に合ったかたちでやってくるだけのことだ。僕たちに出来ることは死を美化も醜悪化もせずに、自分独自の生を生き抜くことである。それが人間に出来る最も美しい死に方である、と僕は考えている。

〇推薦図書「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ著。集英社文庫。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは本当に耐え難いのだろうか?という問題意識から始まった恋愛小説です。

生成と破壊について

2006-12-21 21:22:46 | Weblog
僕の裡にある生成という言葉は、非常に魅力的な意味合いを持っている。そこには、新たな価値意識がともなう可能性が開けているからである。生成という言葉はどのような分野においても使用可能である。それが、上記した意味合いにおいて使われるならば。それに対して破壊という言葉は、どうなのか? このブログを読んでくださっている方々の予想にはたぶん反するだろうが、僕の裡なる破壊とは、これもまた魅力ある言葉の一つなのである。破壊とは在るものを壊すことだけではない。勿論レベルの低い言葉の定義をすればそうなるが、僕の言う破壊とは、必ず新たなものの新生の意味が込められている。かつて、僕は破壊から創造へ、というスローガンをよく使ったものである。破壊は新生であり、創造の一変種でもある。

だからあえて、生成と破壊という言葉の区別をすると、生成には事の始まりからの生まれ育ちがあり、破壊には、古い価値を一旦壊してからの創造、言葉を変えれば生成が在る。抽象的な言葉の定義だけで終わるつもりはない。具体的に考えてみても、僕たちの生とは生成と破壊の連続体の上に成り立っている、とは考えられないであろうか。自分の命を生きる、という行為の中には、人生のどこかで、僕たちは生成と破壊という行為を繰り返しながら生の営みを行なっているとは考えられないであろうか。別の角度から見ると、それは生と死との間の平衡感覚でもある。単純に発想すれば、生と死は両方の天秤の反対側に存在するもののようである。だから普通は生と死の平衡感覚と言えば、その中間点を意味するのであるが、僕の言っている平衡感覚とは、そうではない。僕は最初に生成と破壊は、途中経緯の違いはあるが、どちらも同じように、何かの新たな意味が生まれ出ることを言うのだ、と規定した。
したがって生と死との平衡感覚と、僕が言う場合は、あくまで生まれ出る側の価値意識と、一度は壊れつつも、壊れながら新たな価値意識が芽生え始める価値意識との間の平衡感覚である。だから、必ず僕が規定する平衡感覚とは生の側の価値意識と同義語である。そこには死の概念は存在しない。死など唐突に向こうからやってくるものに過ぎない存在であるから、あえて意識などしないに越したことはないのである。僕たちは生を体験するために命を与えられたのである。自殺の誘惑は、魅惑的ではあるが、決して美しいものではない。生成こそが美しいのであり、死こそが破壊され、そこから新たな生が生み出されてこその破壊の価値意識が存在するとも言えるのではないか、と僕は思う。

生きることが苦しくて仕方がないと思われている人にとっては、僕の上記の規定は耐え難いことであろう。また生とはそんな簡単なものではない、という批判もあることだろう。が、しかし、僕だって死への魅惑に何度となく取りつかれた人間であり、現実に危ういところまで死の淵を彷徨った人間である。だからこそ、生きる意味があるのではないか、と思えてきたのである。生成とはフランスのマルタン・デゥガールの小説の世界に存在する概念ではない。それは実に現実的、実際的な価値意識である。生成と破壊とは同じように生の側の言葉である。そのように今日、新たな年の初めに僕は考えたのである。

〇推薦図書「ニーチェ」ジル・ドゥルーズ著。ちくま学芸文庫。このニーチェ論はかなり読みごたえがあります。力というものはつねに内的な差異化を含み、自己同一性をかわして生成している、という概念そのものが難解なのですが、僕は分からないながらも読んでみる勇気が必要な哲学書だと思っています。どうぞご一読を。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

仕事は人生の中でせいぜい3、4番目の目標に!

2006-12-21 03:41:53 | Weblog
と、こんなことを書くと何て無責任なことを言う奴か! と経済学者さんや、会社経営者さん、自営業(僕も小粒ながらも自営業なんですが)を営んでいる方々からすぐにお叱りを受けそうである。
もう12月になった。この頃から、会社勤めの方々、特に出世をなさっていらっしゃる方々は、僕には想像もつかないほどに年賀状をお書きになるようである。そして、受け取る年賀状も並大抵の数ではない。そうして、お正月おとそなんかを呑みながら、ご自分の存在意義を確かめられるようである。僕はこのような情景は、和やかでよい、と思っている。
出世とは言っても誰もがトップまで行き着く訳にはいかないので、やがて定年をむかえる方々も多いことと思う。さて、60歳定年から、人生80歳時代になって(僕は決して80年も生きたくはありません。何度も書いていますが)、これからが人生の意味が問われる訳である。定年の年はたぶん大量の年賀状がまだ届くはずである。しかし、それも数年も経つと、だんだんと減ってくるのが普通だ。仕事、仕事の毎日を送ってこられたお父さんたちは、意外にこれがショックなのである。自分の存在がだんだんと小さくなっていくような気がして心もとなくなってくるのである。
特に仕事第一に考えて生きて来られた方は大抵は老人性のうつ症状に陥る。あるいは、アルツハイマー病になったりもする。これらの原因はもうすでに現役時代に脳が限界点を超えていることを意味するのではないか、と僕は思っている。それが、仕事を追われて(まさに真面目な彼らにとってはこの言葉が適当なくらいだ)、ほっとした途端に、いろいろなところに障害が出てくるのである。
主に、この原因は自己喪失の感覚に近い、と思われる。自分の存在意義がどこにあったのか、ということに確信を失ってしまうことから起こる現象である。それに反して、定年後に長生きをなさる方々は、頭を切り換えるだけの余裕を持っておれれる方々である。たぶん、このような方々は仕事に打ち込んでいらっしゃるときから、何らかの方法で仕事以外に楽しみを見いだしていらっしゃる方々である。仕事一本槍ではないのである。要はとらえ方の問題である。また叱られそうだが、仕事一途な方々の仕事の質は、意外に低いのではないか、と僕は推察している。心に余裕を持っていらっしゃる方々の仕事の質は逆に、高いのではないかと確信しているのである。その意味で、仕事は人生の中で、せいぜい3、4番目くらいの気持ちで毎日を過ごしてこられた方々は定年をむかえても十分に残りの人生を楽しむ余裕があるのである。
あるいは、生涯現役でがんばる、なんて言っている方々は、仕事に遊びの要素が入ってきているので、ボケるようなことはない。仕事と遊びの要素とは本来表と裏の関係、いや、もっと言えば仕事の中にこそ遊びの要素が含まれていてこその、仕事の楽しさなのである。このことは以前に、ロジエ・カイヨワの「遊びと人間」やホイジンガの「ホモルーデンス」で紹介したことと重なると思われる。哲学的にも証明されている問題なのである。
人生は一回コッキリの存在である。たとえ生まれ変わりを信じている人がいたとしても、いま、ここに生きている人生とは一回きりである。みなさん、大切にしようではありませんか。困ったときはカウンセリングに(少しは宣伝もしておきませんと)やってきてください。楽しきかな人生! と言えるのと、人生の最晩年になって、自分の人生とはなんであったか、なんて自問自答しているのとどちらがよろしいか? 勿論、僕は後者の方の人間ですけれど。一応分析は出来るのものですから、時折自己矛盾した偉そうなことを書きます。

〇推薦図書「悪魔のサイクル」大前研一著。新潮文庫。これは非推薦図書です。この人は勇ましいことを書くのですが、ウソばかり書いているような気がします。この人の本を好んで読んでいるような方は間違いなく、将来は老人性うつ病になります。ずっと前に日本の米が不作でアジアやアメリカ米が大量に入ってきました。大前はカリフォルニア米は日本米よりうまい、ということを吹聴してきましたが、実際に食べてみると、これがまたまずいこと! 大量の農薬を使っているので、僕の長男のアトピー性皮膚炎がみるみる出てきましたよ。

やっぱり人生って不公平じゃあないか!

2006-12-21 00:37:24 | Weblog
と叫んでみたい気分なのである。まず親父の話からしようか。彼は女性にとにかくもてる男だった。別にそれだけが人生の価値ではない、などと僕は高みから言うような人間ではない。たとえ、それがどんなことであったも優れたことは認めてしまうのである。その意味では、女性にもてる、という能力もすごく羨ましいのである。たとえば女ぐせの悪い男って、いるだろう。それは自分の男のプライドなんて初めから捨ててかかって、女性に擦り寄って何とかして自分のものにする、というタイプである。僕はこういうのにはあまり惹かれない。というのも僕にだって、そういう気持ちになれば、たぶんできることだからであろう。しかし、親父の場合は違っていた。僕はどうも母親に興味がなかった。それは僕が母親の顔つきにかなり似ていて、その顔つきがとても嫌いだったからである。なんで親父はこの母親と結婚したのか? といつも疑問に思っていたくらいだ。(まだ健在の母よ、許せ! また電話する) 親父は、何故か僕が好きなタイプの女性ばかりにもてていたように思う。そんな親父も最後は、女性にもてる、ということが、母親の逆鱗に触れて、結局自分の命を縮めることになったのは悲劇的ではあったけれども。
親父は、男であるから女性が嫌いであったはずはないのだが、何か人間力と言えばいいのか、異性を引きつける魅力に長けていたような気がする。言葉にすればこれだけなのだが、たぶん、彼はそういう魅力を持って生まれた男だった、と思う。女性に対する甘えかたも自然だった。だから、前に書いたが、大きな借金をつくった時も、母親の実家を祖母に抵当に入れさせたのである! こんなことは考えられないことだ、と思う。常識のある方からすれば、最低の男ね、と思われるかも知れないが、まあ、端的に言うとそれだけのことをやってみせる男だったわけである。
ところで、この僕はどうだ? 彼の血を半分は受け継いでいるはずなのに、一向に女性にもてない。だからといって、どこかが特に醜悪であるというのでもない。僕には女性を引きつけるだけのオーラがないのではないだろうか? いや、さっき言ったように親父が持っていたであろう、人間力に欠けるのであろう。だから、僕はいま、カウンセラーという仕事をしているが、カウンセリングの技量そのものよりも、僕の雰囲気から逃れる方がたまにいらっしゃる。これは困ったことだ。ある天才少女の話をこの場で2度書いたが、彼女なんかは、僕のブログの中の言葉使いが悪い、と言って、離れていってしまった。彼女にはもっと話を深めることがたくさんあったのだ、プロのカウンセラーとしては。しかし、悲しいかな、僕の人間力というものの狭隘さが招いた失敗だろう、と感じている。彼女が僕から去ったことについては、僕も人間として深く傷ついている。何故なのか? という疑問符がいつもついてまわるからである。僕は既婚者であるから、別に、ややっこしい問題をおこそうなんていう気持ちはない。女性にもてない、というのはたとえであって、要するに総合的な人間としての魅力に欠ける、という事実が僕に重くのしかかっているのである。まだ、人間として、自分を磨く時間は残されているのだろうか? それまでは、あきらめないぞ、と言い放ちたいところだが、弱々しく、ガンバロウ! と自分に言い聞かせているばかりなのである。一体僕の人生って、何だったのだろう?

〇推薦図書「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド著。新潮文庫刊。美貌の青年ドリアンの悲劇をいまは味わってみたかった、と心底思います。堕落と悪行の末に破滅する、なんていう美青年って、僕にはないものだらけですから。ワイルドという作家の筆致にも感動をおぼえる作品です。

歴史とは思想的物語である

2006-12-20 02:53:47 | Weblog
たぶん、歴史が物語である、という規定をすれば多くの人々はなにがしかの違和感を持たれるに違いない。歴史とは動かしようのない事実の集積である、という観念に囚われているからである。その始まりは教育に於ける歴史教科書の記述にある。あるいは歴史教科書が取り上げた、限られた事実の羅列によって、かえってそれらのカッコつきの事実の羅列が、客観的事実である、と認識させられるところに主な原因があるのである。
目を転じて、この地球的レベルの問題へと想いを馳せるとどうなるだろうか? あるいは、もっと大きく宇宙的レベルの問題として物事を捉え返せばどのように映るであろうか? もっと視野を狭くしてもよい。国家レベルの事柄に絞ってもよい。国が異なれば、歴史のとらえ方は、大きく異なってくるのは自然なのである。たとえば、アメリカの歴史ではイラクのアルカイダはテロ集団として捉えられているが、(これが歴史教科書にすでに取り上げられているとは思わないが)、イラクに於けるアルカイダの存在にとっては、悪の帝国、アメリカに於ける大きなテロ(多分彼らは戦績と考えているに違いない)行為は神による処罰の問題として、位置づけられているはずである。もっと我々にとって身近な存在である、日本の初代首相である伊藤博文は、韓国で暗殺されるが、その暗殺者の評価は両国にとっては正反対の評価を受けているのである。当時の韓国にとっては日本はアジアに於ける帝国主義的悪玉そのものであり、その国の首相伊藤博文は歴史から姿を消されるべき存在であったのである。それが日本では、以前は通貨にもなっているという事実は何を物語っているか、すぐにお分かりになるだろう。
誤解を恐れずに言えば、この世の中に歴史的事実というものは存在しない、という仮説を僕は敢えて立てたい、と思う。歴史的事実というのは、その意味をかなりさっ引いても、主観的事実の別称である、という位置づけをしたいのである。それをあたかも現実にあったかのように、証明が不可能に近い歴史を事実として教科書に書き記すという行為は、言い逃れようのない、思想教育である。歴史教育とは極限すれば思想教育そのものである。日本においてはそれが海外におけるよりはソフトに見えるので、学習者は感じとりにくいだけである。国民の意識を変えるのに最も有効な手段とは、だから歴史教育を通して変えていくことであり、それらの集積によって、国家にとって都合のよい解釈を検定制度によって、創り上げればよいだけのことである。歴史はその時、直ちに変わる。物語ゆえだからである。
現在の積み重ねである新聞や週刊誌の類はだからこそ、眉に唾をつけて読まなければならない存在である。取り分け思想的な色合いの濃い、宗教系新聞や、党派的新聞には気をつけねばならないことは当然である。そんな安っぽい思想の受け売りをやってはならないし、それは個としての自分の判断を殺すことに他ならない。あくまで、歴史という物語は、自分の実存的な直観によって選びとられたものが事実なのである。歴史とは、もともと、そういうものである。と偉そうに書いてみましたが、みなさんはどのように思われますか? 僕の書いたことに少しは共感できることがおありですか?

〇推薦図書「マス・イメージ論」吉本隆明著。福武文庫著。これはマスメディアを通じて出来上がった様々な作家が表出した言葉によるイメージの捉え方を書いていますが、歴史を見る目は確実に、この本の中にはありますので、参考まで。

「僕の歩く道」の最終回を観た

2006-12-19 23:55:28 | Weblog
草薙 剛が演じる主人公の自閉症の青年が自転車のロードレースに出る。彼は、ツールドフランスの優勝者の名前を全部暗記している青年であり、ここで彼は、たとえそれが小さなロードレースであろうと、自分に出来ることの全てを出し切るのである。知っての通り、彼は動物園の飼育係であり、彼のその時の関心事はもっぱらトビの鳴き声にあった。自分の力の限りを尽くして自転車をこぐが、彼は殆どビリに近いレースの終わりを迎えようとする。と、その時、彼の耳にトビの鳴き声が唐突に聞こえてくるのであった。彼はレースコースをそれ、トビの鳴き声の方に向かってひたすら自転車をこぐ。そして彼はついに、樹にとまったトビを発見し、その向こうには広大な風景が広がり、海がうねっていた。
主人公の草薙は、その時、トビの鳴き声を聞き、その姿を見て、無表情な感動の姿をテレビで演じてみせる。その瞬時草薙と自閉症の青年は一体化して、無言の感動を僕たちに訴えてくるのであった。主人公にとって、レースに出場することが大事なことであるのと、トビの鳴き声とその姿を観るのは、等価なのである。ここが、このドラマのすばらしいところなのである。自閉症の青年の、レースを一見放棄したかに見えた行動にこそ、人間の本来の生き方が描かれているのではないか、と僕は思った。
人生には、猛進する時があってもよいが、時として、その動きから解き放たれて停止する瞬時があることこそが必要なのである。走り続けることが、人生の価値を決めるのではない。走り続けて、失うものの方が大きかったという人生が、僕たちのまわりには腐るほどあるではないか。熟年離婚は流行りではない。それは、団塊の世代やそれ以上の年代の人々が、息せき切って走り抜いてきた日本の発展の結果と言おうか、失敗の結果と言おうか、それは評価が別れるところであろう。が、しかし、何故人生の後半になってから、お互いに別れなくてはならないのだろうか? それは停まることを忘れた人間が置き忘れてきた、愛や誠実さや、互いの癒しの欠如の結果ではないだろうか?
ドラマの終盤には、彼をいつもかばってきた女性獣医と自転車で並走する姿が描かれている。それは何を暗示しているのであろうか? 自閉症の青年は動物園の飼育係として、人間の尊厳を周囲の人々に認められ、そして彼を加護の許に置いていた家から出て、自閉症の施設に入る。彼は人間として、自閉症という難物を抱えてはいるが、自立の可能性を暗示しているのが分かる。そして、彼を小さな時から守ってきた男まさりの女性獣医は、不倫関係であった獣医との結婚を破棄することによって、新たな人生の出発をこの青年と同じ動物園で働きながら、探し当てることが出来るという、生の明るさを暗示してはいないだろうか? と、そんなことを思いながら、僕はぼんやりとテレビの最終回を見終わった。

〇推薦図書「回転木馬のデッドヒート」村上春樹著。講談社文庫。人生には様々なかたちがあってよいのです。人間の数だけ。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人。そういうある種のスケッチブックと思って読んでください。

50万円という借金をつくって、親父のことを思い出した

2006-12-19 00:29:17 | Weblog
何故か問題の多い親父ではあったが、僕は、どうしても彼のことを嫌いにはなれない。彼に多分に共感することが多いのである。多くを語り合ったのではない。それは皮膚感覚で、親父から感じとった感情なのである。実像の親父とはかなりかけ離れているのかも知れない。そうかも知れないのだが、僕は自分の裡に、親父という幻像を創り上げてきたような気がする。また、それでいいのだという気がするのである。父親がどんな人間であれ、父親という存在を成人してからも恨み続けているような人は気の毒な気がする。勿論本当にひどい父親もいるに違いない。この頃の事件を見ているとわが子を死に追いやってしまうような父親さえいるくらいだから。ただ、もし自分の子どもを死へ追いやるような父親がいるとするなら、彼は、人間としてもともと失格者なのである。日常生活の中における自身の行動もロクでもないことが多いに違いない。
さて、僕の親父のことをもう少し詳しく語ろう、と思う。「ちょっと長いプロフィール」にも書いたが、親父は淡路島の岩屋というところのぼんぼんに生まれ育った人間である。金は使い放題だし、昭和7年生まれだから、旧制中学のときは戦争中であったと思う。そんな時代でも朝からすき焼きを食べているような生活をしていた手のつけようのない若者だったらしい。しかし、斜陽して、一家諸共神戸へ引っ越してきて、僕が小学校の高学年を迎える頃には母方の実家を改造してもらって、住んでいた。母方の実家に住まわせてもらっている頃、父は母方の家業であったサルベージ(港湾の基礎工事をするために大きな潜水服を着て海中で仕事をするのである)の仕事をしていた。
たぶん、親父は追われた故郷に対する思い入れが強かったのだと思う。意識して淡路島の現場を請け負った。そして、その仕事はいっときは軌道に乗ったように思われた。が、もともとぼんぼん育ちであった親父は、仕事をする上でも甘かった。僕も親父の資質を受け継いでいるので大きなことは言えないが、親父は結果的に淡路島の事業で大失敗をした。もう当時の彼には払いきれないほどの借金を抱え込んで逃げるようにしてまた神戸に舞い戻った。僕なら、たぶんこの時点で自殺していた、と思う。しかし、親父はぼんぼん故の甘え上手なところがあり、何と母に祖母を説得させ(その頃は祖父は他界していた)、実家を抵当に入れさせて、銀行から金を借りてしまったのである。とは言え、このことが後年父と母との間の悲劇を生む大きな原因になるのだが。母が可愛がっていた若い女と親父は出来上がってしまったのであり、母にしてみれば自分の実家まで抵当に入れて頑張ったのに、自分をそんなふうに裏切った親父を包丁で胸を刺し貫く、という蛮行にまで及んでしまったのだから、人間、あまりに常識を踏み外し過ぎると、手ひどい見返りを受けるようなのである。おおもとをたどると親父の死が58歳という年齢なのは、これがもともとの原因だと僕は思っている。だからと言って、いまは母を憎んではいないし、年老いた母とは連絡は絶やさないでいる。
母の実家を抵当に入れるまでの生活は惨めであった。事業における税金滞納で、税務署員がやってきて、家にあるもの、処分できそうなもの、すべてに赤札(本当に赤札であった!)を貼りつけていった。僕の机も本棚も当時は珍しかったステレオもカラーテレビ(これらはすべていまで言うローンで買っていたようだ)にも、すべて赤札が貼られた。僕は中学生になっていたが、よくしたもので、神経が麻痺してしまっていたので、それほどの衝撃は受けなかったように思う。まだ子どもだったのだ。大人としてあれを経験していたら、さっきも書いたように確実に自殺に追い込まれていただろう。その意味では強い両親ではあったし、人の良い祖母であった、と今さらながら思う。この続きはまた書くことにします。いまは父親も母親も結果的には、借金生活が常習の人間であったにも関わらず、強く、逞しく生きていたように思うのです。

〇推薦図書「父親」遠藤周作著。集英社文庫。(上)(下) 遠藤周作の描いた父親像と僕の父親像とがまるで違うのは当たり前のこととして、僕が、上記のような出来事の後に、学生運動に走ったのは、ある程度共通項があります。まあ、僕の親父の話などではなく、よく書けた小説だと思いますので一読をお勧めします。

50万円という借金の意味するもの

2006-12-18 23:23:28 | Weblog
今年は散々なことがいくつも起こった。結局僕は約50万円という借金を抱え込んでしまった。勿論銀行のローンで返せる額だが、それでもとても気が重い。主に女房にそのやりくりの負担がかかるのであるが、それをつくってしまった、自分が情けない。もうこの時点からは抜け出せない気がしてくる。あるとき、ギャンブルからどうしても足が抜けなくて、結局1000万円もの借金を抱えてしまった御夫婦がカウンセリングにみえられたが、現実的な対応策を検討して、納得して帰ってもらったつもりでいたし、そのときはカウンセラーとしても、満足感があった、と記憶している。しかし、支払いを迫られている人間の気持ちは焦燥感と、絶望感が入り交じったどん底の感覚に支配される。そのことが、今回のことで、僕は深く学んだ。ましてや、1000万もの借金を抱えた御夫婦はどのような気持ちであったことだろう。たぶん、僕の提案など耳に届いていなかったに違いない。ひょっとすると、かえって絶望感は強まったかも知れない、といまさらながら反省する始末である。
僕は何度もこのブログで、自殺大国日本について触れてきた。年間3万人を超す自殺者が出る国はどのように言い訳しても幸福な国ではない。特に会社が倒産して債権者に対して責任をとれなくなった方々、リストラされて、自暴自棄に陥ってしまった方々、株で大損をなさった方々、数え上げたらキリがないが、そういう穴に落ち込んでしまった人々の絶望感の深さが、50万円の借金を抱えた僕であるからこそ、ひしひしと感じられる。勿論、僕の場合はまだまだ救いの手はあるように感じるが、大きな借財を抱えて、もう支払い不可能だと直観してしまった人間の、切ない感覚は想像に難くない。もう自分の命で支払うしかないのだ、という追い詰められた気分になることも肌で感じることが出来る。彼らは、絶望と、人生に対する諦めと、孤独感を抱えて、自らの命を絶っていったのではないだろうか?
強気な人は責任感がない、とか家族はどうするんだ、とかおっしゃるだろう。しかし、大き過ぎる借財を前にして、いったいどれだけの方策が立つというのだろうか? 自己破産という道に踏み込める人はまだ生への執着がある人であり、そういう人々は生の側にいる人たちなのだから、これからも自己の人生を生き抜いていける、と思う。しかし、全てを自分の責任に課してしまう体質の人間も確実に存在して、その人たちには自らの命を犠牲にすることによってこの世界から逃げ出すしか方法がないのではないだろうか。彼らを責めることはたやすい。しかし、世の中には強気な人間ばかりではない。また思い詰めたら、その細い救いのない道をどんどんと進まざるを得ない人間だっているのである。
僕だって落ち込んでいる。これが10倍、100倍の借財だったらどうするだろう? 僕は確実に死へと追い込まれる側の人間である。金だけの問題ではない。世の中に十分絶望してきた人間として、もし、大きな借金を抱えてしまったら、僕はまたかつてのように死の淵を彷徨いはじめることだろう。世の中で返すあてのない程の借財を抱えてしまっている方々、お気持ちはよくわかる。そしてそのうちの多くの方々が死の淵を彷徨われるのも理解できる。しかし、そうはいっても、この苦しさを抱え持ったままでも、何とか生の側に停まって、生き抜いてほしい、と心底思う。今回は僕が模範になるのではない。僕が模範になる方々を真似る番なのである。たぶん借財のことばかりではなく、人生には狭い道へと追い込まれることがいくつも出てくるだろうから、である。生きる、とは困難なことである。勇ましいことばかりではない。

〇推薦図書「不安の概念」キュルケゴール著。岩波文庫刊。以前にも紹介したことがあるような気がしますが、今回はぐんと生活の方面に引き寄せて読んでみてはどうでしょうか。そんな読み方も出来る書物だと思います。

凡庸な人間にとって生きる糧とは

2006-12-18 00:47:37 | 観想
僕は自分が凡庸な人間であることにいつも腹を立ててきた。人よりとりたてて長じるところもないし、雑踏の中を歩いていても、まず最初にその雑踏の中の一員として紛れ込むことのできるほど、ありふれた人間であった。いや、いまだにそうなのである。僕は、いまも昔も非凡であることに憧れた。母親は好んで僕に偉人の伝記を読ませたが、それは僕にとっては、偉人になるための日々の努力をすることではなく、人より目立ちたい、という想いを育てることになった。だから伝記は、たくさん読んで母親はうれしがったが、僕にとっては、凡庸な日常生活を超える人物に、人並み以上に憧れる人間になることを教えてくれたのであった。

いろいろな伝記作品を読んだが、それらは、僕の人生から淡々と生きる意味を削ぎ落としていったように思う。伝記に現れた人物の生き方は勿論凝縮されたものであったから、偉人にだって凡庸な日常性が延々と続いていたに違いないのだが、僕は偉人たちの凝縮された非日常的な成功物語をしか理解しようとはしなかった。また僕は、小学生の頃、世界文学全集を買ってもらったが、そこに繰り広げられる世界は、僕の生きる毎日の学校の勉強や帰宅後の宿題をしたりすることとは、まるで、異なった世界であった。愛があり、冒険があり、危険があり、生死を賭けた生きざまがあった。僕は急速に友達との遊びがつまらなくなっていった。家に帰ると、唯一楽しめたのは、中学生の所謂悪のお兄さんたちとの行動であった。そこには、正しいことなどたぶん殆どなかったが、彼らの悪行についてまわることが、僕にとっての日常の中の冒険だった。大人の世界を垣間見た最初の経験だった、と思う。そこでは世界文学全集と、日常性とが矛盾なく繋がっていたのであった。

中学生は優等生で過ごした。何故か大人の代表格である先生たちにも受けがよかった。僕は内心嫌でたまらなかったが、それが先生たちに、睨まれている仲間を陰で救うことのできる有効な方便になってもいた。僕は裏バンであった。ただ、僕の中で、退屈の虫はおさまらなかった。こんなことで高校へ入って、大学に行って、就職するなんて、母親の思うつぼではないか、と腹立たしかったのである。

人間の願いはかなうのである。高校に入学した途端に、70年安保闘争がはじまった。その波は教師たちをも分裂させ、当然学生である生徒にも限りない影響を与えた。僕たちは、教科書を投げ捨て、マルクスを、サルトルを、カミュを読んだ。もうそれからは僕たちの世界だった。教師は僕たちの教室には入ってこなくなった。毎日が討論の場であった。僕の世界は動いた。世界は確実に僕の想像の世界と同一物になった。毎日が冒険だった。学校は世界文学全集の世界と同じであった。退屈な日常性など姿を消した。僕は伝記の中の偉人にもなり得た。

同時に僕は苦い日常性からの逆襲に遇うことになる。非日常は長くは続かないのである、という現実を嫌というほど、大人たちに無理失理教えられることになった。進歩があれば反動もある。これは政治の力学だが、僕はそのとき、そういうことが分からずに、身体で覚えさせられたのである。大人の創った日常に対峙することの怖さを嫌というほど思い知らされた。僕たちの仲間であった教師たちが学校を追放された。公立の学校であったから、職場を換えさせられたに停まったが、僕たちの仲間の生徒たちは単位のとれない学生から本当に学校から追い出された。彼らにはもどる場所などなかった。僕は政治的力学の狭間で、何とか学校を卒業はした。しかし、僕の頭の中にあったことは、せめて世界文学全集のような格好はつけなければならない、ということだった。僕は大学受験を放棄することで、けじめをつけようと考えた。たまたまフランス文学に興味を抱いていたので、フランス語の勉強をしていると思っていた両親には、フランスの大学を目指す、とありもしないウソをついた。そして僕は東京へ逃げた。

世界文学全集と伝記が僕に教えた非日常の世界は、こうして幕を閉じた。僕は一年後の大学入試から、4年間の大学生活を終え、西本願寺系の中学高等学校に入って、また日常の中にどっぷりとつかることになった。家庭も持った。逃げ道はなかった。運命という糸があるとするなら、僕は就職した23年後に、かつての高校時代の友人たちと同じように、宗教者たち?から学校を追放された。そして、世界文学全集と伝記の非日常の世界を喘ぎながら、生き抜いてきた。そして、僕は今日のような、カウンセラーという日常を生きることになったのである。出入りの多い生活と言えば言えなくはない。しかし、凡庸という点においては、ひどく凡庸な生き方であった。僕は何を成し遂げるでもなく、何とかそれこそ日常生活を息を切らせながら生きているだけなのだから。

〇推薦図書「見えない人間」ラルフ・エリソン著。ハヤカワ文庫NV.刊。(1)(2)アメリカ社会に於ける見えない人間とは黒人の生きる権利のことです。僕と少数の仲間は見えない人間ではありましたが、ラルフ・エリソンが意図したように、見える人間として、日常世界を少しは揺るがしたような気がします。この作品には、そういう思い入れがいまでもあります。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃

孤独に耐える力

2006-12-17 22:14:09 | Weblog
正直に言うと僕は孤独に耐える能力に欠ける人間である。たぶん、ずっと以前から、そうだった、と思う。僕が高校時代に学生運動に参加したのも、いかにもサルトルのいうアンガージュマンの思想が、ごたごたとしてはいるが、その雑踏のような人間の集まりの中に自分の身を置いていることにとても共感を覚えていたのである。そう、孤独であるか、ないか、の基準は、人込みの中にいても、その集団という存在に共感できるかどうか、という一点にかかっている。共感がなければ、人込みの中にいても、その人間は孤独の只なかにいるのと同じである。だから、いまの僕は、何に対しても共感を抱けない状況にあると言ってもよい。だから、雑踏の中においても、孤独であるし、一人でいるときも、やはり孤独なのである。
僕が、人間が集まる場としての学校空間に大学を出てから身を置いたのも、たぶん孤独に耐え得る、と直観したからである。たしかに、気の紛れはあった。家族も持った。それなりの生活も出来た。が、僕は相変わらず孤独であった。僕は学生運動の後、何かに共感する、という機会に恵まれなかったのである。だから、学校に身を置いていても、いつも孤独であった。とりわけ異なった人間集団の中に紛れていることの不快さ、不安感は、自分の裡にある孤独感を増すばかりであった。
人間が心を病むのは、このような状態のときに襲ってくる孤独感が根に在る、といっても差し支えがない、と僕は思う。だから言葉を換えて言うと、僕は小さい頃から孤独感を抱えてきたのであり、青年の頃に偶然遭遇したお祭り騒ぎの中で、あるいっとき、自分の中の孤独という毒を燃やし尽くしたのである。そして、その後の人生において、僕はやはりまた孤独になった。単調な日常生活は僕の孤独感を増すばかりである。仕事はなおさら孤独感を増す。それはある一瞬における充実感があるからこそ、その後の空虚感も余計に大きく僕にのしかかってくるのである。
僕に必要なのは、人生におけるお祭り騒ぎである。それは文字通りのお祭り騒ぎでは勿論ない。内面的な充足感が伴うような、心が浮き立つような、思想的な空騒ぎである。たぶん僕によく似た人間は少なくない、と思う。心が浮き立つような思想的な空騒ぎをどうやって擬似的に行なっているか、と言えば、僕の場合は家の天井を見上げながら、思索をしている場合か、本、これは訳の分からない本か、もの凄く分かりやすく心を高揚させてくれるようなものがよい。中途半端な、オセンチな小説なんかはかえって現実との乖離を深めるばかりで、切なくなる。人生を狂わせるような恋愛もよいかも知れないが、これは相手方に迷惑をかけるので、いまは心の底にしまっている。
さて、僕にはこんな毎日が、これからもずっと続くのであろうか?

〇「推薦図書」「路上」ジャック・ケルアック著。河出文庫。全編、分かりやすい行動の空騒ぎから出来ている小説です。所謂アメリカの若き反逆者たち、ビート・ジェネレーションと言われた時代の小説です。人生に退屈を感じた方はどうぞ。

今年はつらいことが多かった

2006-12-16 02:57:37 | Weblog
と言っても、特に何があった、というわけではない。すべては僕の心の中の葛藤である。僕の精神は真夏の8月頃から崩れ出した。きっかけはクライアントの数が少なかった月だったことくらいだろう。何故か自信も確信もなくなった。読書も字ズラを追うだけで、頭には一向に入ってこなかった。カウンセラーとしてやっていけるのか、という基本的な疑問にも直面した。外へも殆ど出なくなった。僕は大の字になって、マンションの真っ白な天井を見上げるばかりであった。それしか出来なかった。すると、自分は過去へ、過去へと引きずり込まれていることに気がついた。自分にとって一番つらかった思い出ばかりが頭の中をよぎった。それでも時折訪れてくださるクライアントの方々がいらっしゃったが、僕はその時は真剣だが、カウンセリングが終わるともうフラフラだった。限界点を超えていた。生きるのが嫌になって、死んでやろうか、といつも考えていた。そうすれば、もうこんな世の中とはお別れだ、と思っていた。そう思いつつ天井を来る日も来る日も眺め続けた。
6年前まで、学校という人の溢れる場所にいたこともあって、一人でクライアントの来訪を待つのがとてもつらかった。時間が刻々と過ぎていき、その中で、学校時代に特に嫌いだった人間を憎んだ。露骨な裏切りをやった英語教師の青年が許せなかった。たぶん、僕はあの頃、犯罪者になるギリギリのところにいたのではないか、と思う。想像の上ではいくつも犯罪を犯してしまっていたように思う。僕は何だか学校を追放された頃のことがことごとく許せなくなったのである。過去のことを忘れるどころか、過去に支配されていたのである。しかし、実際に、あの頃は職場である学校の人間関係も、家庭での別れた女房とも最低の関係だった。人生であんな苦しい想いをしたことがなかった。
僕はいつも教師になる前は、大学の授業料も生活費も自分で稼ぎ出さないといけない状況に置かれていたので、確かに苦しくはあったが、やはり、そんなこととはくらべものにならなかった。そんなことを思い出す毎日が、今年の8月から今日に到る経緯である。人、一人が生きるってこんなにたいそうなものなのか、と自分で驚いてもみた次第である。人間はもっと軽々と生きねばならないはずだ。ドズンと落ち込んだ穴の中で喘ぎながら呼吸して生きているのが人間じゃあない。人生はもっとすいすいと穴があろうと壁が目の前にあろうと乗り越えていかなくてはならない。僕は絶対にタダでは起き上がらない質である。来年はすいすいと生きてやろうと心の底で決意している最中なのである。いまがその時である。僕はがんばる!

〇推薦図書「ポロポロ」田中小実昌著。中公文庫。内容は戦時下の話ですが、この田中小実昌をいう作家はあくまでひょうひょうとした人間でもあり、作風も同じなのです。田中氏は少し前に亡くなりましたが、たぶんひょうひょうとした死ざまであったのではないでしょうか。羨ましいかぎりです。素敵な作家ですよ。