「風すごく吹き出でたる夕暮れに、〜明けはつるほどに消えはてたまひぬ」源氏物語・御法朗読
私達、日本人の先人が残した古典書には多くの人生を学ぶことが沢山あります。人間も生まれてから死に至るものです。「生」があるから「死」もある。道元の「正方眼蔵」が「生といふときには生よりほかにものはなく、滅といふとき、滅のほかにものなし。なるがゆえに生きたらばただこれ生滅きたらばこれ滅にむかひてつかふつかふべし。いとふことなかれ」ちょっとオドロキの言葉ですが、「死にむかっているときは死を全うせよ」ふ~む❓「源氏物語」でも死を目前にした紫の上が現世を賛美する場面「生きることをこんなに愛してる」と言ったのも「生きる」ことを精一杯全うしてる姿そのものですね。一方で光源氏はどうしても死に対抗してしまう、この対比が印象的です。例えば、薪が燃え尽き灰になると表現しますね、でも「正法眼蔵」の考え方は、薪は薪だし、灰は灰です。灰あればは薪に戻るわけがない。それと同じで、生から死に変わるのではなく両者は別のものであると、・・・だから生のときは一生懸命頑張ればいいし、死に向かっているときは一生懸命死を頑張ればいい・・・薪のときに、いつか灰になったときどうしようと思い悩む必要はないと言ってるわけです。(わかりやすいことだ)春に冬のこと考えなくていい春を楽しめばいい・・・と古典を読んでいると大変勉強になりますね。