かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 72

2020-08-22 20:31:25 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究 ⑧(13年9月)
      【からーん】『寒気氾濫』(1997年)30頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、高村典子、渡部慧子
       司会と記録:鹿取 未放


72 閉じられし屈葬の甕のなかに覚め叫ぶときエゴン・シーレなるなり
    
      (意見)   
 ★私けっこうエゴン・シーレが好きです。かなり強烈な絵ですけど。(曽我)
 ★では、曽我さん、この歌についてはどう思われますか?(鹿取)
 ★叫びをあげるような感じの絵ですよね。渡辺さんの歌は、自分も甕の中で目覚めたら
  シーレのように叫ぶんじゃないかという歌なのでは?(曽我)
 ★私はこの歌は渡辺さん自身の心象と思って読みました。そういうふうに読むとすごく
  納得する。(高村)
 ★誰でもこういう状況に置かれて覚めたらびっくりしてってことだと思うけど。(鈴木)

      (追記)
 エゴン・シーレは、ごつごつしていて斑点があるような、普通には美しいと言えない人
体を描いている。「意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画を多数製作」、「死や性行為など倫理的に避けられるテーマをむしろ強調するような作品」(ウィキペディア)を描きました。画集を繰っても「屈葬の甕のなかに覚め叫ぶ」絵は見あたりませんでした。作者は、シーレの「意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画」から「屈葬の甕」の中の〈われ〉を着想したのかもしれません。甕の中で目覚めた〈われ〉は恐怖のあまり叫ぶ訳ですが、それは28歳という若さで病死したシーレ自身の口惜しさでもあるのでしょう。(鹿取)


コメント
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