かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 53 中欧 382

2022-06-16 17:31:50 | 短歌の鑑賞
  22年度版馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
     【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
      参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
      司会と記録:鹿取 未放


382 ヴルタヴァの朝雨に立つ虹見ればかなしきかなやスメタナの祖国

         (レポート)
 ヴルタヴァ川の朝の雨に虹を見ていると、かなしく胸に迫ってくるものがある。ここはスメタナの祖国だ。(藤本)
 ヴルタヴァ(モルダウ)川:プラハの市内を悠々と南から北へ流れる
 スメタナ:(1824~1884)ボヘミア生まれの作曲家。チェコ国民音楽を確立。
      歌劇〈売られた花嫁〉、交響詩〈わが祖国〉等を作曲。ハプスブルク帝国下の
      チェコにあって早くから民族意識に目覚めた人。1848年フランスの二月革
      命の波を受けプラハで急進派が蜂起した際は国民義勇軍の一員として参加し
      た。1849年Fリストとクララ・シューマンの援助を得て、プラハに私立の
      音楽学校を創設する。1856年から5年間はスウェーデンで指揮者を務める
      がチェコ独立運動の機運に呼応して1861年帰国、民族運動の芸術界におけ
      るリーダー格として活動を開始した。チェコ人の為の国民劇場建設に向け、そ
      の仮劇場で代表作のオペラ〈売られた花嫁〉(1866)を初演した。187
      4年には聴覚を失うが、創作力は衰えを見せず交響詩組曲〈わが祖国〉(1
      879)など作曲する。プラハの精神病院で死去。チェコ国民音楽の父と呼
      ばれる。
 スメタナの祖国:1528年オスマン帝国の脅威を前に、ハプスブルク家の支配下に入
         った。1918年オーストリア・ハンガリー二重帝国の解体までハプ
         スブルク帝国は600年続く。(1918年最後の皇帝カール一世の
         退位)チェコスロバキア共和国として独立。しかし第二次大戦中ドイ
         ツに合併されたが、戦後独立を回復。1948年2月のクーデター、
         チェコスロバキア共和国共産党の政権が成立、社会主義国となる。1
         969年民主化(プラハの春)が始まる。ソ連武力介入。民主派が後
         退、対ソ協調の強化、国内の民主化運動弾圧。1989年共産党の独
         裁体制の崩壊、市民フォーラムを結成して活動してきたバベルが大統
         領に。1969年よりチェコスロバキアの連邦体制をとったが、19
         89年以降スロバキア側の分離・独立の主張が急速に高まり、199
         3年チェコとスロバキアはそれぞれ独立の共和国となった。


        (当日発言)
★レポーターによるとスメタナは六十歳で亡くなっている。しかも精神病院で。朝虹は儚い
 感じがする。朝虹に誘われた「かなしきかなや」だろう。(慧子)
★「かなしきかなや」は悲哀の哀だけではなく、愛情の愛も兼ねている気分だと思う。朝の
 虹が立つモルダウを見ていると曲も浮かび、ああここがスメタナの生きて生活していた祖
 国なのだと、感動が湧いたのだろう。(鹿取)
★ここでは虹がはかないと捉えた慧子さんの意見に賛成。381番歌(一夜寝てプラハの街
 は雨ながら太虹立てり見つつ離(か)れなむ)は「太虹」といっているので、はかなさと
 は遠いようだが、382番歌以降の虹には、絵画に多く見られるこの世のはかなさの象徴
 とするイメージが濃 い。(鹿取)
★歴史の変遷のかなしさ。川のほとりにスメタナの記念館がある。(曽我)


     (まとめ)
 「かりん」の連載エッセー「さくやこの花」⑤(2011年5月号)で、馬場は婚約時代のことを書いている。それによると岩田正は無類の音楽好きで、遊びに行くといろいろレコードを聴かされ、「なぜかストラビンスキーやドボルザーク、スメタナを私も好きになり、よく聴いた。」とある。ここからも作者はスメタナに相当の思い入れを持っていたことが分かる。(鹿取)


    (追記)(2013年11月)
 レポーターが「スメタナの祖国」として現代までの国の変遷をまとめてくれているが、1884年没のスメタナはオーストリア・ハンガリーの二重支配までしか知らない。交響詩組曲〈わが祖国〉もそれ以前の過去を向いて作曲されている。もちろんわれわれはその後の激動の歴史も知る必要があるし、「かなしきかなや」と馬場が詠嘆している「スメタナの祖国」は、当然激動の20世紀までを踏まえての感慨である。(鹿取)

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