かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 93

2022-06-26 11:46:44 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
    【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
     参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


93 このごろの配偶者すこしいらいらし配偶者のなかに群衆がいる

     (レポート)
 配偶者はこの頃少しいらいらしていて、その原因は「配偶者のなかに群衆がいる」からだろうと作者は思ったようだ。一家の主婦として、また世間のこまごました交際などを担って、何か雑念にとらわれ、未整理の状態なのかもしれない。それを下句のように表現して面白い。(慧子)


      (当日意見)
★配偶者という個をとても大事に思っていらっしゃる。妻を愛情をもって見ながらその個
 の向こうに普遍的なものを見ている。渡辺さんのものを見る目のものすごさを感じます。
 「配偶者のなかに群衆がいる」って、ああっと思います。そうよねっと思う。人間の多
 面性というか、自分では意識しないものが自分の中にいっぱいあって個を作っている。
 そしてその向こうに普遍がある。渡辺さんの歌、難しい、難しいっていうけど、この辺
 りは全然難しくない。(A・K)
★私はもっと単純に考えて、誰だって自分の頭の中にごじゃごじゃごじゃごじゃと他人が
 いるじゃないですか。A・Kさんが配偶者の向こうに普遍的なものを見てるっておっし
 ゃって、鑑賞が豊かなものになったと思います。いらいらしているのは作者に対してか
 なって思って。配偶者の中に群衆がいるって見てるのは作者ですから。「彼女」の中に
 群衆がいるとは言っていないので、よく考えると深いのではまっていってしまう。
    (K・O)
★配偶者にいらいらが向けられているとなると意味が違ってきますね。それだと群衆も配
 偶者と一緒になって作者を批判していることになる。世間的にいらいらしているのなら
 慧子さんの解釈でいいのですが。(T・S)
★私は配偶者が自分自身で苛立っているととったんですけどね、いらいらの対象が他に向
 けられているとは思えません。(鹿取)

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