かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の202

2019-09-27 18:35:06 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の27(2019年9月実施)
     Ⅳ〈蟬とてのひら〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P133~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆、渡部慧子    司会と記録:鹿取未放

  ◆5年以上の長きにわたって共に学んできたT・Sさんが
   9月5日急逝されました。感謝してご冥福をお祈りします。
  ◆秋田の菅原あつ子さんが、紙上参加で加わってくれました。


202 いとこ死にまたいとこ死に真夜中の廊下廊下に歯をみがく音

     (レポート①)
 たとえば、音楽の豊かさは聴く人のそれぞれのたのしさ、切なさを呼び起こし、過ぎ去った時と今を重ね、今をさらに深くすることにあろう。ここでは映画の一場面のように鮮やかに死者と歯を磨く音をひきよせて、死者への懐かしさと哀しさをこめた感情がみえる。そしてこちらとあちらをつなぐような今と昔(従兄弟達と遊んだ幼いころ)をゆききできるようなそんな場としての廊下であろう。(慧子)

          (レポート②)
  一人のいとこが死に、またもう一人いとこが死んだという、あるいは「またいとこ」の部分は「またいとこ/又従兄弟(又従姉妹)」かもしれない。(またいとことは親がいとこである子どうしの関係、ふたいとこともいう)。通夜に集まったのか、病院でなくなったのか、親戚たちの歯を磨く音が廊下廊下に響いているという。静まりかえった廊下に、誰もが力尽きたように歯を磨く音だけが響いている。まだ生きているものの歯を磨く行為が、余計に寂しく感じられる。(真帆)

      (レポート③)(紙上参加意見)
 年齢の近い近親者が相次いで死んでしまい、不意を突かれたような驚きが、「真夜中の廊下廊下に歯をみがく音」という学校の怪談めいた表現によって、妙な生々しさで伝わってくる。実際に、作者はいとこたちと一緒に泊まって仲良く歯を磨いたことがあるのかもしれない。(菅原)

      (当日意見)
★岡東さん、この歌の歯を磨いているのは生者ですか?死者ですか?(鹿取)
★私はごく平凡にお葬式に来た人が磨いているんだと思ったのですが。(岡東)
★私は死者達だと思っていました。廊下廊下だから一つの廊下ではないんですよね。まあ
 大邸宅なら沢山の廊下があるでしょうが、ここはそういう光景を幻視・幻聴している。
 ほんとうは幻視・幻聴なんていう必要も無くてありありと見ている。状況は全く違いま
 すが渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」の象徴性を思いました。(鹿取)
★当然死者ですよね。同時に死ぬってことはまあないので次々にいとこが死んだ。複数の
 死者ですね。そういう死者達が夜中に歯を磨く音がしているようだ。現実ではないです
 ね。一つ一つは普通の言葉なんだけど組み合わされると全く違う複雑な情景が生まれて
 いますよね。幻影であるし幻聴であるし、深くて淋しいもの。(A・K)
★歯を磨くということが余りに鮮やかすぎて死者の行為のようには思えなかったんです。
 話し声とか笑っているとかだったら違うけど、具体的な行為だから。(真帆)
★歯を磨く音がリアルだから幻聴としての説得力があるように思います。(A・K)
★私は入眠時幻覚というのをよく見て、死者だと分かっているいる人がベッドのそばにや
 ってきて話しかけたりするんだけど、衣擦れの音とか息づかいとかとってもリアルに聞
 こえるので、死者が歯を磨く音は全く違和感がないのですが。これは歌ですから実際の
 経験を詠う必要は全く無いので、松男さんは自由に創作されていると思いますが。
  (鹿取)


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