かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  295

2021-08-26 16:33:20 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
    レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆


295 残業を終えるやいなや逃亡の火のごとく去るクルマの尾灯

        (レポート)
 さしあたって今日の課題を残業で処理し「逃亡の火のごとく去るクルマ」の尾灯を見送りながら、作者自身も残業を早く終えて競うように帰ろうとしている一人なのだろう。たぶん、そのような日々が連日続いているのだ。(鈴木)


           (当日発言)
★先を競って帰る車の後ろの灯を「逃亡の火のごとく」と喩えられて面白いけれど、やはり
 悲哀を覚えます。(石井)
★みんなおんなじ思いで仕事してるんだなあって作者は見ていて、部下を思いやり、詠んで
 いるのではないかしら。(M・S)
★作者はまだ仕事が残っていて帰れない。いいなーもう帰れて、という気持が入っているの
 かしらと読みました。(船水)
★「逃亡の火」というと、追っても追っても逃げてゆく火を表していると思う。そういうよ
 うに慌てて「残業を終えるやいなや」いなくなるのは、狡い、ってそんな感じじゃない
 か。自分じゃなくて、ひとのことがらですね。(曽我)
★逃げてゆく人は、他の人ですね?(鈴木)
★自身も入っているんじゃないですか。(慧子)
★「尾灯」だから見送っている感じ。自分も一緒だと尾灯は見られないから。(鈴木)
★自分自身もその中のひとり。おそらく皆と同じように残業をやっているんでしょう。
   (石井)
★「火のごとく去る」とあるから自分はこっちにいるのでは?(鈴木)
★まだいるんでしょうね。(船水)
★ともに行くんだったら「去る」という印象はない。(鈴木)
★そうなると自分は傍観者みたいになっちゃう。(石井)
★いやいや、見送っているという感じをみんな抱えている訳ですよ。「あ、あいつらいい
 な」って感じはある。いち早くみな競うように逃げる訳ですから。(鈴木)
★前の車しか見えませんね、もし流れの中にいるとしたら。(船水)
★作者は一緒になって一番先頭になって逃げてるわけじゃない。その感じが、逆にすごく染
 みるんですよね。(鈴木)  
★僕はまだ仕事があるんだーっていう。(船水)
★作者も同じ時間帯に残業を終えたのでしょうが、他にバーッと去る人たちがいて、自分
 自身 もそういう連中の一人なのかなあ、という感じで詠んでらっしゃると思いまし
 た。(石井)


     (後日意見)
 〈われ〉も残業を終えて帰ろうとしている。ふっと窓外を見ると仲間が我先にと帰宅を急ぐ車の尾灯が門を出て行く。「逃亡の火」とは戦さに敗れた人々が小さな火を灯しておのおの別の方向に散っていくイメージだろうか。早く帰れる同僚を羨ましがっていると読むより、〈われ〉も先を争って帰るひとりと見る方が俯瞰的な視点が出て歌柄が大きくなるように思う。(鹿取)
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渡辺松男の一首鑑賞  294

2021-08-25 17:25:12 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

294 職を全うできざるはわれのみならずトイレに入りて出てこぬ上司

     (レポート)
 仕事の進め方では、目標による管理と成果主義が導入されているのだろう。毎年の高い目標と実際の成果との間にはギャップが生じるので、概ね「職を全うできない」状態になる。それは職員ばかりでなく、このシステムに組み込まれている上司も同様なのだ。トイレは、組織の中では他者から離れて一人に還れる場所であり、そこに逃げ込んで出てこない上司も現われる。(鈴木)


        (当日発言)
★仕事を全うできないのは私だけじゃなく上司もそう。そういう人たちがトイレにいる。私
 だけじゃない、という気持。(曽我)
★いつもは反発を覚える上司にも、哀れなところを見出し、すこし同情している感じです
 ね。(M・S)
★ここに誰を持って来たとしてもそぐわなくて、「上司」だからお歌がピンポンピンポ〜ン
 !という感じかしらと。鋭いお歌ですよね。(船水)
★自分よりも立場の上の上司までもが仕事を全うできない。普段そぐわないことを感じてい
 る私と同じような状況なのだろう。安心感みたいな同情感も表現されているのかな。
   (石井)
★「トイレに入りて出てこぬ上司」なんてすごく情景がわかる。職場の深刻な状態もよく
 わかる。(上司は)自分のミスをカバーできなくてトイレに行っちゃった訳じゃない。自
 分だけのミスじゃない。目標を管理する成果主義が出てくると、組織としての目標になっ
 てくるから、皆が責めを負うことになる。そこがこの歌のポイントだと思う。従来の終身
 職場はそうじゃなかった。(鈴木)
★公務員でも成果主義ってあるんですか。(石井)
★あります、90年代から。公務員にとって目標はすごく立てにくい。例えば、生活保護を
 受けている人がその数を減らせば成果と言えるのか、とかって難しい問題がある。就職支
 援しているところで、例えば専門校なんかで入校者数が多ければ成果といえるのか、って
 いう問題とか。(目標は)すごく立てにくいが、そいういうところでも立ててより良くし
 よう、というあたり。(鈴木)
★生活保護を少なくしたら新聞に載りますね。(石井)
★成果として載るでしょ。逆にね、増やすと成果じゃない。(鈴木)


     (後日意見)
 90年代以降、役所にも成果主義が導入されて大変働きにくくなってきているのは事実だろう。しかしこの歌は成果が達成できなかったこと=職を全うできない、と狭く限定すべきでは無いと思う。作者はそういうことはいっさい言っていないので、もっと一般的なことと捉えていいのだろう。背景としてそういう息苦しい成果主義が〈われ〉や上司を苦しめているのは事実だろう。しかし歌の重点はトイレに入って出てこない上司の人間的な弱さを見てしまったことと、〈われ〉の同質性にあるように思う。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  293

2021-08-24 17:31:14 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたものですが、当
  日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
     

293 新幹線にお百姓さんがまどろみて手のあるところ日が射している

    (レポート)
 出張帰りの新幹線の車中の景か。専らビジネスマンが多く利用している平日の昼の新幹線に似つかわしくないお百姓さんが乗り合わせていたので、特に目についたのだろう。スポットライトのように日が射している手は、ビジネスマンの白いすべすべした手と異なり、荒れてごつごつした働く人の手で、これをあえて具体的に言わないところが上手いところだ。「お百姓さん」という言い方に、まどろんでいる人に対する畏敬のような気持ちも感じられる。(鈴木)


      (事前意見)※
 どうしてお百姓さんと分かったのだろう。新幹線だから横並びの席だと思うが、二人がけのお隣でお百姓さんがまどろむまで少し会話を交わしたのかもしれない。膝の上に置かれた手だろうか、その手に光を当てることで手の持ち主をねぎらっているようだ。(鹿取)


       (当日発言)
★「手のあるところに日が射している」で具体が見えます。(慧子)
★お百姓さんがまどろんでいるところを見て、自分はこの出張でいろんなものを抱えている
 けれど、お百姓さんがこんなふうにしてるってことはいいなー、そういう立場に立ちたい
 なー、と。そういうふうな歌だと思います。(曽我)
★「お百姓さん」に親しみや尊敬の念が籠っている。ビジネスマンは顔も手も白いし、すべ
 すべしているが、土に生きたお百姓さんは、ごつごつした働く人の手。情景だけを言っ
 て、色々と読者に想像させる詠み方がいいなと思いました。(石井)
★お百姓さんは光を司っている人のよう。お百姓さんの手があるところに光が従いてきてい
 るような。自然とともに生きる人の、正しさとはいわないけれど、強さというか。自分と
 の対比が表れていると思いました。(真帆)
★この歌集には作者自身がおじいさんを手伝い農作業をしている歌もあった。それを背景に
 読むとこの歌がさらによくわかるところもあります。(鈴木)

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渡辺松男の一首鑑賞  292

2021-08-23 19:10:16 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆

◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたものですが、当
  日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
     

292 はるばると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ𠮟られに行く

        (レポート)
 地方自治体の職員である作者は、課題になっている事項についての対策をとりまとめ、霞ヶ関の所管の官庁に直に説明し、報告しなければならないのだろう。問題のない単なる報告であれば電話や郵送で済むのだが、この歌の書類は、なかなかまとめにくい厄介な書類なのかもしれない。「書類は軽く」というなかに、内容的にも不十分なので「軽い」という意識もあり、𠮟られることは必定なので、身は一層重く感じられるのだ。(鈴木)

      (事前意見)※
 こういう仕事の現場とか役所のシステムはよく分からないのだが、どういう事情で叱られにゆくのだろう。「書類は軽く」とあるが実際には鞄がぱんぱんになるほど重い書類を提げていたのかもしれない。その書類作成の為に膨大な労力を費やしてもいるだろう。それが報われないで叱られに行く。〈われ〉の落ち度で書類に不備があったりしたのなら叱られるのもやむをえないが、難癖をつけられたり、理解が得られなかったりと不本意に叱られることになったのかもしれない。あるいは、部下の落ち度を上司である自分が叱られにいくこともあろう。そんな不服従の気分が「𠮟られに行く」にはあるような気がする。よって「書類は軽く」はいわば「身は重く」と対比させるための虚辞かもしれない。しかし「書類は軽く」があることで〈われ〉は戯画化され、歌は被害者意識に満ちた敗者の押しつけのいやらしさから遠いものになった。(鹿取)


        (当日発言)
★本音なんでしょうね。「書類は軽く身は重く」ってとってもリズム感のある言葉で。はる
 ばる𠮟られに行くっていうのはせつないなと思いますね。とても尊敬してしまうお歌で
 す。(船水)
★私はこの、「はるばると」と頭に据えたところがお上手だと思いました。書類は軽く身は
 重くということを、なにか他の次元へ移したような詠い方。(慧子)
★かなり気にしていらした感じですね。𠮟られに行くことに対して。書類が軽いっていうの
 と身が重いというのは、反対のものを上手に歌にされていると思いました。(曽我)
★詠み方がすごく明るいですよね。さっき慧子さんが言われたように、「はるばると」こ
 れ、たのしい感じですよね。軽いのと重いのと対比しながら明るく詠んで本音を言って
 る、すごくなんか良いですよね。これ重い話だから重く詠まれちゃうと引いちゃうんで
 すよね。(鈴木)
★お勉強なので伺ってもいいですか?「とぼとぼと書類は重く身は軽く霞ヶ関へはるばる
 と行く」じゃあおかしくなっちゃいますよねえ。(船水)
★付き過ぎっていうか、そういう感じになりますねえ。(石井)
★素朴な感じになっちゃうんですよ、とぼとぼと、と言うと。(鈴木)
★やっぱり「はるばると」じゃないと、なんか、行かないといけないような感じが出な
 い。(石井)
★こどものような感じの心ですね。素直で。(M・S)
★結局、居直っちゃってるところもあるんですよね。どうにでもなれみたいな。それでもは
 るばると、書類も軽いし、みたいな。(鈴木)
★書類が軽いというのをね、ちょっと揶揄しているような感じと取っちゃったんですね。
   (石井)
★そうですそうです(鈴木)
★おそらくその書類はどのような内容かはわかりませんけれど、数字をちょっと変えると
 か、そんな程度のことでね、なんで自分はこんな霞ヶ関に行かないといけないんだ、とか
 何かそんな忸怩たる思いもあるんでしょうね。だから「𠮟られに行く」というような結句
 に持ってきたのかなと思いました。(石井)
★わざとユーモラスに詠っているんだと思います。植木等さんみたいに。「身は重く」まで
 はユーモラスに詠って、「𠮟られに行く」と悲劇的に終る。(M・S)
★そうですね。霞ヶ関へ報告に行く、だと面白くないですものね。やはり「𠮟られに行く」
 というのが効いていますよね。(石井)

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渡辺松男の一首鑑賞  291

2021-08-22 19:21:14 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆


291 精神は肉体よりもごつごつと函館の夜を市電にゆらる

        (レポート)
 仕事で函館に出張したときの景だろう。好景気の頃なら楽しい筈の函館出張も、たぶん明日にでも報告書をまとめなければならないような重い課題を抱えての出張では、ぎすぎすしたこころにならざるを得ない。ぐったりと疲れ切った肉体よりも精神の方が「ごつごつ」とリアルに感じられるのである。(鈴木)


        (当日発言)
★よっぽど難しい心情だったんじゃあないか、って思うんですね。肉体よりも精神の方が、
 っていうのが「ごつごつと」と表現されていてリアルな感じですね。(曽我)
★精神というのは形がない、肉体というのは形がある、そいういうものを比較されるのは
 やはり松男さんらしいなと思って読みました。疲れきった肉体ですねえ、それよりもリ
 アルに精神の方が感じられると、そいうことをレポーターは書いてらっしゃるんですけ
 れどもその通りだなあと思いました。「ごつごつ」というのが何かちょっと不器用な、
 例えば市電に揺られているあの、ゴットンゴットンとした音の響きとかも関連している
 のかなあとも思いました。作者はぐったり疲れている肉体よりも精神の方に重きを置い
 てらしゃる、そいういう情景も分ります。(石井)
★私もこの「ごつごつ」の表現が見事だと思います。「イライラ」とか「キリキリ」、と
 かそういうのではなくこの「ごつごつ」が実に上手に表わしているなあと思います。
    (M・S)
★普通だとこ〜「疲れた」とか「胃が痛む」とかね、そういう言い方しちゃいますけど、
 そういうところ超えちゃってるんですよね。「ごつごつ」ってもう物みたいになっちゃ
 ってる無感動な状態っていうか、そういうのを「ごつごつ」っていう言葉で。上手いな
 あ〜と思いますね。普通だと感情の世界で納めようとする訳ですよ、だけど感情を超え
 ちゃってる、そこがやはり普遍的な感じがするんですよね、この歌。(鈴木)

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