かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 391

2025-01-30 10:01:32 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


391 ひとの嬬を吾はおもうなり六月の樹をよぎるとき魚のにおいせり

               (レポート)
   「ひとの嬬」を思いつつ樹をよぎるとき、そこから、生臭い「魚のにおい」がした、と詠む。「嬬」は「雨」という文字を含み、柔弱、かよわいなどの意味もあり、梅雨時の歌の中では、「ひとの妻」ではなく、「ひとの嬬」の表記は的確だ。それが結句の「魚のにおいせり」をうまく喚起している。梅雨時のじめじめした生臭さでもあり、ひと嬬を思っていることの生臭さでもあって、それらが相まって、この歌の気分を高めている。(鈴木)


             (当日発言)
★生臭いと直接言わずに「魚のにおいせり」って言っているんですね。よくこの作者は人の妻を思っちゃうんですね。(笑)(真帆)
★「六月の樹をよぎるとき」ってどういうことを言っているのですか?(M・S)
★うーん、前の歌(おおきなる樹はおおきなる死を孕みいてどくどくと葉を繁らせてゆく)と関係があるのでしょう。大きな死を孕んでいる樹というのはある意味生臭いですから。それに六月ですから葉が生い茂っているのですね。どちらが先に出来たか分かりませんが、相互に関係しているように思います。ところで、「吾は」は音数的にも「あは」と読みたいです。(鹿取)
★後の方で、わざわざ同じ漢字に「あ」とルビを振っているんですよ、だからここは「われ」かと。(鈴木)
★そうすると初句、二句、結句と一音ずつ字余りがあって、読みにくい。結句は「魚のにおいす」とすれば定型に収まるのに、8音にしているのはわざとでしょう。この辺りは忸怩とした思いが字余りで表現されて居るのかもしれません。(鹿取)
★この歌は好きだなあと思いました。(A・Y)            

 


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