かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 396

2025-02-03 14:58:03 | 短歌の鑑賞

  2025年度版 渡辺松男研究47(2017年3月実施)
     『寒気氾濫』(1997年)【睫はうごく】P157
         参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、
             A・Y、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:鈴木 良明        司会と記録:鹿取 未放          


396 耳ぞこに紅葉のごとくひろがりぬうらわかき日のははの呼ぶ声

             (レポート)
 「うらわかき日のははの呼ぶ声」は音色として、紅葉のようにきらきらと明るく華やいでいたのだろう。その声がいまだに耳底に残っていて、ふとした弾みに、その声が蘇えってくるのだろう。(鈴木)
  ※本歌集最後の歌に次の歌がある。
どの窓もどの窓も紅葉であるときに赤子のわれは抱かれていたり


               (当日発言)
★「うらわかき日のはは」は〈われ〉の幼児期ですよね、きっと。お母さんのこと、男の子はみんな好きなんですよね。うちの母は若くて綺麗って。ま、大人になっても、お母さんが生きていても、男の人って基本的に母恋がありますよね。(鹿取)
★この作者はお母さんのことを歌われた歌が多いのですか?(A・Y)
★多いですね。お母さんを早く亡くされている関係もあるでしょうが、何度かシリーズでお母さんの死を歌っています。茂吉の「死に給ふ母」に匹敵するくらいたくさん。「ああ母は突然消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある」(『泡宇宙の蛙』)は歌壇で物議をかもしましたけど、私はとてもいい歌だと思っています。(鹿取)
★松男さんはお母さんをとても愛していらして、何と良い声だろうと思っていらした。    (曽我)
★若い頃お母さんを亡くされたので母の若い声を思い出せるけど、うちなんか100歳超えて母が亡くなったので、若い頃の声なんか思い出せないですよ。(鈴木)
★この一連、性愛をうたってきて、でもこの辺で連の終わりに向けてゆるやかに着地しようとしている。前の歌「ふわっとなる一瞬がありつぎつぎと緋の梢から離れゆくなり」で緋色を出汁、この歌の紅葉で色を引き継ぎながら無理なく繋げている。(鹿取)

 


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