かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 267

2024-05-26 12:07:50 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
       

267 独酌にわが酔うころやぽつねんと富士山は口開けておるらん

    (レポート)
 「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」と同じように、われの行為と外部の景を脈絡もなく結び付けている。富士山は想像上の景なのだが、独酌に酔っているわれと、ぽつねんと火口を開けている富士山は呼応して、実景のように重なって見える。(鈴木)


    (当日意見)
★脈絡が無いのではなく繋がっていて、関東ローム層に富士山の噴火の跡がある。口開
 けているところでは虚空に繋がるようなところもある。行為と外部には繋がりはない
 かもしれないけど、一連の流れではまとめるような歌かなと思います。(真帆)
★「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」と同じような歌の作り方で、内容的に脈絡がないと
 は言っていないです。(鈴木)
★今までの歌と少し違って俳諧のような洒脱味を感じます。展開している。口開けてい
 るのは悪い予兆のようにも思える。昔は休火山って言われていましたが。(S・I)
★でも、富士山は何度も噴火もしていますよね。西行なんかも富士山の煙を詠っている
 し。もっとも悪い予感の歌とは思わないです。(鹿取)
★噴火と関係なく富士山は口開けています。(慧子)
★でも、「わが酔うころや」という条件が付いているから。(鹿取)
★この「や」は詠嘆じゃないですか?下の句とは関係がない。(慧子)
★意味のないものを持ってこないでしょう。(S・I)
★富士山も口を開けて酒を飲みたそうにしている。(曽我)
★独酌だから、お猪口のような富士山を思い浮かべているのかなあ。(真帆)
★ふるさとの山ではなく富士山だから、あまりにも通俗的ですよね。日本の象徴の富士
 山をウイットで捉えているのでしょうか。(S・I)
★う~ん、何か読み切れないところがありますね。(鹿取)

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 266

2024-05-25 10:46:54 | 短歌の鑑賞
  

※「ブログ開設から2000日」という上の写真は、このブログの今日の編集画面です。もっとも2000日はこのパソコンを始めてからの通算で、実は2013年6月からほぼ毎日書いています。その間、パソコンを2台替えたので通算日数が引き継げませんでした。そろそろ11年目になる「かまくらdeたんか」を今後ともよろしくお願いします。

※新型コロナの流行で休会していた『泡宇宙の蛙』の勉強会を来月月月より再開します。場所はJR戸塚駅徒歩5分の横浜フォーラムです。興味のある方、ぜひ参加していただけませんか。お問い合わせをお待ちしています。


2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
       

266 ポスト・モダーンの烏が糞をしたまいぬ思いもよらぬ大きなる糞

    (レポート)
 ポストモダーン(近代の終わり)とは、近代の特徴である「人間の開放」「自己実現」「進歩」など人類に共通する価値観(大きな物語)が消失してしまった現代的状況を言い、大量生産によってもたらされた消費社会は、その状況のひとつ。昔、山里に棲んでいた烏は、今や街に出没し消費社会の生ゴミを餌にして大きな糞を垂れる。童謡に謡われた牧歌的な烏ではなく、今や「ポストモダーンの烏」なのである。「したまいぬ」は、傍若無人な烏のおごりを皮肉っており、同時に消費社会にあって大量に食い散らかしてはゴミにするポストモダーンの人間に対する皮肉でもある。(鈴木)


    (当日意見)
★ポストモダーンで有名なのはミシェル・フーコーですね。この歌では、いわゆる「ポ
 ストモダーン」という思想をとらえ、その思想にも破綻があると言っている。その破
 綻は思ったよりも大きいと。ポストモダーンという思想が出たのはマルクス主義の行
 き詰まりからですね。相対主義といわれているんですけれど。資本主義でもマルクス
 主義でも宗教でもある時点から理想がうまく回らなくなる。そんな価値を相対化させ
 るのがポストモダーンの思想だと思います。(S・I)
★でもそのポストモダーンでも破綻をきたしてこのようなお荷物を背負うことになった
 ということですね。それが「大きなる糞」なんですね。(鹿取)
★ポストモダーンは究極までいくと自己の中に閉じこもってしまうのですね。価値観が
 全て相対的ですから。外との関わりが無くなるということです。現在、そうなってい
 ます。だからそこから脱却する思想が今生まれているということです。鹿取さんが
 「かりん」に東浩紀の書評をしていらして、あの中の福島第一原発事故の現場をア
 ミューズメントパークにしてしまおうという計画などは閉じこもらないで外に出て行
 こう、人と繋がろうという試みです。人との関わりを模索しているのが現代です。
   (S・I)
★今の説明はとてもよく分かりました。渡辺さん、フーコーなどもよく学ばれたので
 しょうね、歌集にもトラックの助手席からフーコーを持った女性が降りてきたという
 歌が出てきますから。(鹿取)
★デリダなんかも影響を受けていますね。ポストモダーンの考え方ですが、例えば一本
 の木があって葉っぱが動いている。外側の価値観、宗教だとかの価値観は相対的です
 けれど、葉っぱの揺れに共振することによって共生して生きていける。渡辺さんも自
 然との共生とか親和とか詠っていらして、おそらく現代のポストモダーンの思想を読
 んでいらっしゃるのだと思います。でもなぜポストモダーンが破綻するかというと自
 己に閉じこもって外に出ないからです。だから先ほどの東さんのように人との関わり
 を求めていく思想が出てきています。ポストモダーンの前はマルクス主義だったんで
 すね。知識人の大部分はマルクス主義を金科玉条のように信じていました。その後に
 イデオロギーも資本主義も信じられないというのでポストモダーンが出てきた。そし
 てポストモダーンが盛り上がって世の中を席巻した。そのことを「したまいぬ」って
 揶揄しているんでしょう。思想というのは盛り上がってすっと消える、そういうもの
 を揶揄している歌かなと。 (S・I)


     (後日意見)
 鹿取発言の中のフーコーの歌は、次のもの。(鹿取)
  トラックの助手席から降りてきし女タオルとともに『フーコー』を持つ
                『寒気氾濫』

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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 265

2024-05-24 16:44:27 | 短歌の鑑賞
2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
    参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
       

265 逃げてゆく子蛇を追えばしゅるしゅると子蛇は全力蛇行で逃げる

      (レポート)
 動物が逃げる時は、一直線に逃げるのが普通だ。ところが蛇は蛇行しないと前に進めないため、逃げるときでも「全力疾走」ではなく、「全力蛇行」しながら逃げるほかはない。子蛇のその姿は滑稽でさえあるが、それが追うものに対してはフェイントをかけることにもなり、種の保存に繋がる。(鈴木)


      (当日意見)
★面白い歌。普通は全力疾走だけれど、どうしようもなく哀しい業というか直線的に進
 めない、生き物としてのかなしさ。(真帆)
★真っ直ぐに逃げればいいのに蛇行するというだけの歌ではないと思うのですが、何が
 隠れているのか分かりません。(M・S)
★業とか生き物の哀しさとか言いましたが、ユーモラスで楽しい歌だと思います。
  (真帆)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 264

2024-05-23 11:43:48 | 短歌の鑑賞
2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


264 蒼空を念じておればわが抱けるキャベツから蝶がつぎつぎに湧く

        (レポート)
 「蒼空」は青空であり、前の歌の「虚空」である。青空から様々な雲が生まれてくるように、「虚空」は何もない「無」ではなく、あらゆるものがそこから生まれてくる源泉だ。そのような「蒼空」を心にとめて思っていると、抱いているキャベツからも次々に蝶が湧いてくるようだ。(鈴木)

      (当日意見)
★色即是空、空即是色って言葉がありましたよね。空というのはいろんな色彩を持つ、
 いろんなものを含んでいる。そこから何かを発生してゆく。空からはあらゆるものが
 生まれるという考え方がある。虚空というのは空と同じかは分からないけど。この歌
 は文芸なので哲学とは違うけれど、こういう哲学を念頭に置くと解釈しやすいかな
 と。(N・F)
★この歌は東洋的なんですか?聖書にもそういう考えがあるように思うのですが。(S・I)
★聖書には空(くう)という考えは無いです。(N・F)
★解釈の仕方ですけれど、もしこれが神話ですとこれは東洋の神話ではないですね。
   (S・I)
★東洋と西洋というように分けていくとおかしくない?日本人の哲学者の中にも「空」
 的な捉え方をしている人はいますよ。(鈴木)
★これはS・Iさんのようにサルトルを勉強してきた人には非常にわかりにくい歌。サル
 トルの言う「存在と無」の「無」と「空」は全く違うのですよ。(N・F)
★まあ、渡辺さんも哲学科ですからサルトルもやっていますよ。『寒気氾濫』にもサル
 トルを詠った歌が何首かありますし。それから、無から有が生まれるというのは東
 洋思想でなくても科学だってそうです。ビッグバンから時間も空間も生まれた、ビッ
 グバン以前は時間も空間もなかったって科学で説明されてます。しかし、渡辺さんの
 この歌には「無」とはどこにも書いてないです。レポーターが前の歌の関連で「蒼
 空」と虚空を繋げられたけれど、この歌は日常的な空(そら)の歌だと思います。蒼
 空を念じているのだから、空は曇っているのかもしれないですね。でも今はない「蒼
 空」という語を一旦出したからには蒼のイメージは読み手にインプットされます。蒼
 い空と無数の蝶がわいて飛びだしていく映像的な美しさ、詩的な飛躍の楽しさを味わ
 えばいいのではないかと思います。(鹿取)
★ただその背景に虚空があるということは大事だと思います。ギリシャ神話の混
 沌のイメージです。だからいろんなものが生まれる。(鈴木)
★キャベツから蝶が生まれてくるのは楽しいですね。命の根源のようなものを蒼空に向
 かってひたすら念じていたら、その力が働いたというのはよく分かる。いい歌だと思
 う。 (慧子)
★私も慧子さんと同じ意見ですよ。ただ背景をいわないとこの歌の深さが出ないと思っ
 て虚空など余計なことを書いて誤解されましたけど。(鈴木)
★表面的な歌でも必ず渡辺さんの歌には大きな背後がありますね。何か煙に巻いている
 よな上の句があるからこの歌はいいのだと思います。(慧子)
★スクリーンの向こうにいつも何か隠れている。何かざらざらしていて、万葉の歌のよ
 うにすーと心に入ってこない。哲学をやった人の歌だからですね。特殊な歌人です
 ね。(N・F)
★元に戻るようですが、蒼空を念じていたら蝶がわいてきた、色が美しい。でもキャベ
 ツから蝶を出すためには初句は雪解けなどでもよかった。わざわざ蒼空と言っている
 のはやはり虚空から命がわき出るんだよと言っている。「念じておれば」がかなり強
 くて、蒼空と虚空を繋げても問題ないと思います。(真帆)
★「念じておれば」が渡辺さん的ですよね。マグリットの海の上の虚空に大岩が浮い
 ている絵なんかをふっと思い出しましたが。(鹿取)
★キャベツって形状的に脳の形に似てますよね。(真帆)
★「キャベツの中はどこへいきてもキャベツにて人生のようにくらくらとする」も以
 前鑑賞しましたね。 (鹿取)


      (後日意見)
 「色即是空」の「空」は色彩ではなく、色や形のある物質的現象全てを指す。「色即是空」とはこの世の全ての物質的現象はさまざまな原因や条件によって生じたもので実体のないものだという意味。昔、少し仏教を囓ったけれど、論理が大変緻密に構築されていて、諸行無常とか刹那滅とかどこをとっても現代の科学と矛盾しない。例えば全てが流動し、一瞬たりとも同じではないというのは今日、細胞レベルで実証されている。2500年も前に科学を先取りし、その本質を掴んでいることにとても興味を覚えます。ただ、松男さんは仏教そのものにはあまり関心がないように思えます。
 このキャベツから蝶が生まれる歌も仏教には関係が無くて、むしろ荘子の「胡蝶の舞」等を思い出した。次の歌は同じ老荘思想でも老子の方。(鹿取)
 「もしもわれ老子であらばおもしろや菠薐草を抱えて帰る」(『歩く仏像』)
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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 263

2024-05-22 13:53:50 | 短歌の鑑賞
2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
       

263 地の中に虚空があるという神話地の中へ樹は伸びてゆくなり

      (レポート)
「地の中に」虚空があると直接明言した神話は知らないが、光も形もない「虚空」あるいは「混沌」から、大地の女神であるガイアが生まれたとするギリシャ神話などからも、このことは窺い知ることができる。自然界における樹は、天の虚空に伸びるばかりでなく、地の中の虚空にその根を広げ、伸びてゆく。それによってこの世界のバランスが保たれるのだろう。(鈴木) 
   

      (当日意見)
★「地の中へ樹は伸びてゆく」とあって、土を境に天へも地へも張っていく感じ。鏡に
 上下が相似の形で映されているような。1首めからの関連で土の中というのに意味を
 込めていると思います。以前、私が担当したところで地に汗が染みていくというよう
 な歌があって、作者は土というものに深い意味を見出していると思います。(真帆)
★レポートに「世界のバランスが保たれる」とありますが、これ、バランスでしょう
 か?そういっては面白くないと思います。(S・I)
★虚空があるという神話は知りません。ここがポイントだと思うのですが。(N・F)
★私も調べたけど、そういう神話は見つかりませんでした。「世界のバランス」って言
 ったのは最近の傾向として空にばかり広がって根っ子が浅いというか、街路樹なんか
 はそういう感じで、それで地中にも伸びてバランスを保っているよと。虚空って仏
 教的には「空」というのでしょうかね。(鈴木)
★鈴木さんのいう「虚空」と「空」は全く違います。色即是空、空即是色の「空」です
 から。「空」が分かれば仏教は全て分かったも同じって習いました。「空」はそうい
 う非常にに深遠な概念です。この歌、地中はおどろおどろしい世界のような気がしま
 す。すでに鑑賞した歌で「直立の腰から下を地の中に永久(とわ)に湿らせ樹と育つ
 なり」という歌があったりして、渡辺さんには木が地下に潜っていくことに特別な関
 心があるようです。しかし、「虚空があるという神話」は分かりません。虚空って普
 通何も無い状態ですよね。地の下は根の国だったり冥界があるという神話なら分かり
 ますが。伊邪那岐(いざなぎ)にしてもオルフェウスにしても死んだ妻を捜しに地の
 下の国へ行くし、ダンテの「神曲」では地の下にある地獄巡りをしますよね。(鹿取)
★この歌には空想が入っている。バランスではなくて、幼児体験とか。(曽我)
★上の句の神話を除けば、地の中に木が伸びていくのはごく当たり前と思うのですが。
  (藤本)
★地面は固くて実体があるように思われているけれど、ミクロで地面を見ると隙だらけ
 じゃないかと。その間隙を縫って根っ子は下に行く訳です。地の中は虚空、混沌状
 態なんです。(鈴木)
★レポーターは科学的な見方と詩を混同されているんじゃないか。この歌は詩的空間で
 す。それを味わえばいいのです。(S・I)
★仏教哲学には空(くう)だから有を生じるというのがあるんです。キリスト教文化の
 中にもそういう表現があります。地の中の虚空に根が伸びていくことによって地上の
 木、つまり有が生じる、そういう歌かなあと。虚空というのは何もないのではなくて
 有を生じるものなのです。 (N・F)
★空(そら)だって何もないかと思っていたらダークマターとか出てきたりして。だ
 から天も地も虚空だと言われると納得するんだけど。(鈴木)
★はい、空(そら)は全然虚空(くう)じゃないんですね。ハッブル望遠鏡で見ると何
 もないと思われていたところに、それこそ無数の銀河が見えるそうです。その銀河ひ
 とつひとつに1000億以上の星があるそうですから、気が遠くなりますけど。でも
 神話というからには、この歌はそういう科学の話ではないのです。
    (鹿取)


      (後日意見)
 「虚空」は広辞苑に、仏典では「一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる」と出ている。虚空に物があるかないかより「存在を妨げないことが特性」という点に感じ入った。そうすると地の中の虚空も根っ子が伸びるのを妨げないわけだ。(鹿取)

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