「愛されたい、じゃなくて、愛すればいいじゃない。」
でも、人に、誰かに「愛されたい」という気持ちはみんな持っているし、
至極自然で、決して否定することではない。
でも同時に、「人からの愛を受け取る」というのとも、ちょっと違う。
I receive and accept love.
I want to be loved.
ね。ちょっと違う。
「愛を受け取る」というのは、
人がWHOLEの状態の時にできることで、
人が差し出してくれるものを喜んで受け取る、
というとても肯定的なことだと思う。
「愛されたい」と思う時、感じる時、
人はちょっと自信がなくて、ちょっと寂しい時なのかなあと思う。
WHOLEじゃなくて、ちょっと「欠けちゃってる」(と本人が思っている)時。
で、生きてりゃそんなのしょっ中あるわけで、
人恋しいと思ったり、誰かの愛に助けてもらいたい、
そして実際助けてもらえることもたくさんある。
だから、私は「愛されたい」という気持ちは否定しない。
でも、その「愛されたい」という気持ちの根底に流れるものを見つめたら、
もうちょっと「先」に行けるかもしれない。
ただ「愛され女子」という言葉は、そこから滲み出る、
「愛されない女子たちよ。お前らはそもそも何かが欠けている。
だから、愛に値しない。」というところから、
完全自己否定に誘導し、
そこから当然「自分が愛される条件をクリアして、
自分以外の誰かに愛されさえすれれば、自分の価値が上がる」となるわけで、
この一見可愛らしい「愛され女子♡」という響きの言葉は、
自信のない女の子たち、
でもどうやって自己肯定をしたらいいか分からない女の子たちを
「愛されたい。愛されなければ。」という他人からの愛を渇望させるのだ。
渇望というのは「自分の中に無い」が前提だ。
「無い」んじゃなくて、「満ちてる」。
いつだって。本当は。
だから、キラッキラの「愛する女子♡」が世界に溢れかえればいい。
Wouldn't it be loverly?
歌手AYUKOのページはこちら♪
でも、人に、誰かに「愛されたい」という気持ちはみんな持っているし、
至極自然で、決して否定することではない。
でも同時に、「人からの愛を受け取る」というのとも、ちょっと違う。
I receive and accept love.
I want to be loved.
ね。ちょっと違う。
「愛を受け取る」というのは、
人がWHOLEの状態の時にできることで、
人が差し出してくれるものを喜んで受け取る、
というとても肯定的なことだと思う。
「愛されたい」と思う時、感じる時、
人はちょっと自信がなくて、ちょっと寂しい時なのかなあと思う。
WHOLEじゃなくて、ちょっと「欠けちゃってる」(と本人が思っている)時。
で、生きてりゃそんなのしょっ中あるわけで、
人恋しいと思ったり、誰かの愛に助けてもらいたい、
そして実際助けてもらえることもたくさんある。
だから、私は「愛されたい」という気持ちは否定しない。
でも、その「愛されたい」という気持ちの根底に流れるものを見つめたら、
もうちょっと「先」に行けるかもしれない。
ただ「愛され女子」という言葉は、そこから滲み出る、
「愛されない女子たちよ。お前らはそもそも何かが欠けている。
だから、愛に値しない。」というところから、
完全自己否定に誘導し、
そこから当然「自分が愛される条件をクリアして、
自分以外の誰かに愛されさえすれれば、自分の価値が上がる」となるわけで、
この一見可愛らしい「愛され女子♡」という響きの言葉は、
自信のない女の子たち、
でもどうやって自己肯定をしたらいいか分からない女の子たちを
「愛されたい。愛されなければ。」という他人からの愛を渇望させるのだ。
渇望というのは「自分の中に無い」が前提だ。
「無い」んじゃなくて、「満ちてる」。
いつだって。本当は。
だから、キラッキラの「愛する女子♡」が世界に溢れかえればいい。
Wouldn't it be loverly?
歌手AYUKOのページはこちら♪