こちら東京はとても涼しい、というか、
肌寒いくらいの日々が続きます。
一昨日から子供達の小学校も始まりまして、
昨日は「夏休み疲れ」がドッと出たのか、
私は一日、ほぼ放心状態。
おそるべし、夏休み。
ありがたし、給食。
ありがたし、一人の静かな時間。
(今、噛み締めている。)
皆さま、お元気でいらっしゃいますか?
このブログ、実は昨日投稿したのですが、
タイトルも変えて、
改めて少し編集してみました。
(読みやすくなっただろうか?)
では、もといっ!
今回のタイトルは・・・
『LOVE受け取る!』
でも、どうやって、どうやって・・・?
今回はそんなお話をしようと思います。
Sound Blog Vol.4『生きた!愛した!愛された!』では、
私自身が「受け取り下手」で、
どこかで「自分は愛されていいの!?」というのがある、
なんてお話をいたしました。
(注:Sound Blogとは私が宅録で作成しているラジオのようなものです。)
受け取り下手、ということは
こちらから「差し出す」のは問題なくできるけれど(の、つもり)、
相手に「お願い」をしたり、「助けて」と言うのが苦手。
「自分は愛されていいの!?」と言うクセに
「立派に人を愛しているつもり」でいる。
これではね、
愛の循環にならないわけですわ。
一方通行。
それでね。
これがどういう時に
明らかになるかというと・・・
例えば。
大好きな人がいたとしましょう。
大好きだから、当然「好かれたい」わけ。
「好かれたい」となると、
「こうだったら好かれるであろう」という自分を
見せる。そういう自分を差し出す。
こうしたら、相手は嫌かな。
こうしたら、相手は喜ぶかな。
まあ、相手の立場を想像する力というは
人間関係で大事だろうし、
「思いやり」というのも、
人の想像力だと思います。
ここまでは良い。
良し、としよう。
先ほど「こうだったら好かれるであろう、という自分」
というやつ。
「だけ」にしておくと・・・
ここで循環が止まる。
愛の循環。
信頼の循環。
愛も、信頼も、
育むものだと思います。
ですから、時間はかかる。かける。
でもね、
「育む」ということは
前進する、ということでもあります。
では「前進する」ってどういうことだろう。
私のような「受け取り下手」「お願い下手」の人間の場合、
相手に対して「こうしてほしいな。」
というのがなかなか言えない。
怖いのね。
それで嫌われちゃったらどうしよう、ってね。
ウザがられたらどうしよう、ってね。
でも、この時点で、愛、終わってるね。
相手から自分を守ってるということよね。
好きな相手から自分を守る、という本末転倒。
「傷つくの怖い。嫌われたくない。」
という、とてもつもなくエゴイスティックな姿勢。
本当は愛を循環させたい、
信頼を築きたい、
育みたい、
と願っているはずなのに、
ここで「前進」は止まってしまうのです。
でもね、
「相手に好かれるだろう自分だけ」を見せていたら、
何が起こると思います?
つまり「本当はね」という、相手への想いや願いが
どんどん自分の中で蓄積されて、
(勝手に)もう無理!ってなっちゃうの。
何が無理なのでしょうか?
無理、にしてるのはお前さんでしょ?
愛を育むのも、
信頼を育むのも、
勇気がいる。
すんごい勇気がいる。
でもね、本当にそれを望むのなら、
傷つく、傷つかない、っていうエゴは
捨てなきゃいけない。
誰かに腕を広げるってね、
全面的に「正直」であるということだと思うのです。
一部ではなく、全部、において。
それが本当の意味での
「自分を差し出す(Give)」ということかもしれません。
自分が望むことを相手に伝える、ということは、
「相手の望みを聞く」のと同じくらい大切である、
ということに気づかないといけない。
伝え合うことによって、
そして、それは決してお互いを責める、ということではなく、
「そうなのか!」「そうなのね!」という
お互いを理解し合うという、素敵なプロセスで、
それによって、
相手ができること、できないこと、も分かる。
もちろん自分にとっても。
勝手に「こうであろう。ああであろう」と
相手のことを想像してる時というのは、
相手にフォーカスしているようで、
実は「自分だけの世界」であり、
何もお互いの間には流れていない、のです。
勇気を持って
ちゃんとコミュニケーションを取った時にしか
見えないもの、体験できないもの、があって、
それはセンセーショナルであり、
それは・・・豊か、だ。
思ってもみなかったような
愛と豊かさが
そこにあったりする。
自分が「こうなのです」と伝えた時に、
「そうなのね」と
たっくさんの愛で返してくれたりするのです。
そこで初めて私は
「受け取る」ことを学ぶのです。
「愛されていいのね」と学ぶのです。
腕を広げても、いいのです。
腕の中に飛び込んでも、いいのです。
傷つくような結果が待っていたとしても
大丈夫、治るから!
それよりも、
大切にしたい相手がいるのなら、
愛したい相手がいるのなら、
一緒に育みたい何かがあるのなら、
なんでもいいから
正直になってみる。
その勇気は
価値あるものだと思います。
喧嘩になったとしても、
傷つけ合っちゃうことがあったとしても、
いいじゃない。
向き合う、というのは
いつも美しいものではないだろうけど、
深い愛とか、信頼とかっていうのは、
そうやってスクスクと育つのかもしれません。
ですから、
全国の私のような「受け取り下手」で
「怖がり」で「いいかっこしー」のアナタ、
渾身の勇気でもってを腕広げて!そしてぇ・・・
LOVE受け取る!
To you who have awakened me to true love
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。
私のオフィシャル・ページを
どうぞご訪問くださいませ。
プロフィール、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も視聴できます!
https://www.ayukosaito.com
↓日々の「歌ってる動画」をInstagram(IGTVセクション)/ Twitterにアップしています
Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
↓「歌ってる動画」以外にも、日々感じたこと、考えたことをアップしています
Twitter https://twitter.com/AyukoSaito
↓私の過去のlLIVE映像などはYoutubeでアップしています
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
肌寒いくらいの日々が続きます。
一昨日から子供達の小学校も始まりまして、
昨日は「夏休み疲れ」がドッと出たのか、
私は一日、ほぼ放心状態。
おそるべし、夏休み。
ありがたし、給食。
ありがたし、一人の静かな時間。
(今、噛み締めている。)
皆さま、お元気でいらっしゃいますか?
このブログ、実は昨日投稿したのですが、
タイトルも変えて、
改めて少し編集してみました。
(読みやすくなっただろうか?)
では、もといっ!
今回のタイトルは・・・
『LOVE受け取る!』
でも、どうやって、どうやって・・・?
今回はそんなお話をしようと思います。
Sound Blog Vol.4『生きた!愛した!愛された!』では、
私自身が「受け取り下手」で、
どこかで「自分は愛されていいの!?」というのがある、
なんてお話をいたしました。
(注:Sound Blogとは私が宅録で作成しているラジオのようなものです。)
受け取り下手、ということは
こちらから「差し出す」のは問題なくできるけれど(の、つもり)、
相手に「お願い」をしたり、「助けて」と言うのが苦手。
「自分は愛されていいの!?」と言うクセに
「立派に人を愛しているつもり」でいる。
これではね、
愛の循環にならないわけですわ。
一方通行。
それでね。
これがどういう時に
明らかになるかというと・・・
例えば。
大好きな人がいたとしましょう。
大好きだから、当然「好かれたい」わけ。
「好かれたい」となると、
「こうだったら好かれるであろう」という自分を
見せる。そういう自分を差し出す。
こうしたら、相手は嫌かな。
こうしたら、相手は喜ぶかな。
まあ、相手の立場を想像する力というは
人間関係で大事だろうし、
「思いやり」というのも、
人の想像力だと思います。
ここまでは良い。
良し、としよう。
先ほど「こうだったら好かれるであろう、という自分」
というやつ。
「だけ」にしておくと・・・
ここで循環が止まる。
愛の循環。
信頼の循環。
愛も、信頼も、
育むものだと思います。
ですから、時間はかかる。かける。
でもね、
「育む」ということは
前進する、ということでもあります。
では「前進する」ってどういうことだろう。
私のような「受け取り下手」「お願い下手」の人間の場合、
相手に対して「こうしてほしいな。」
というのがなかなか言えない。
怖いのね。
それで嫌われちゃったらどうしよう、ってね。
ウザがられたらどうしよう、ってね。
でも、この時点で、愛、終わってるね。
相手から自分を守ってるということよね。
好きな相手から自分を守る、という本末転倒。
「傷つくの怖い。嫌われたくない。」
という、とてもつもなくエゴイスティックな姿勢。
本当は愛を循環させたい、
信頼を築きたい、
育みたい、
と願っているはずなのに、
ここで「前進」は止まってしまうのです。
でもね、
「相手に好かれるだろう自分だけ」を見せていたら、
何が起こると思います?
つまり「本当はね」という、相手への想いや願いが
どんどん自分の中で蓄積されて、
(勝手に)もう無理!ってなっちゃうの。
何が無理なのでしょうか?
無理、にしてるのはお前さんでしょ?
愛を育むのも、
信頼を育むのも、
勇気がいる。
すんごい勇気がいる。
でもね、本当にそれを望むのなら、
傷つく、傷つかない、っていうエゴは
捨てなきゃいけない。
誰かに腕を広げるってね、
全面的に「正直」であるということだと思うのです。
一部ではなく、全部、において。
それが本当の意味での
「自分を差し出す(Give)」ということかもしれません。
自分が望むことを相手に伝える、ということは、
「相手の望みを聞く」のと同じくらい大切である、
ということに気づかないといけない。
伝え合うことによって、
そして、それは決してお互いを責める、ということではなく、
「そうなのか!」「そうなのね!」という
お互いを理解し合うという、素敵なプロセスで、
それによって、
相手ができること、できないこと、も分かる。
もちろん自分にとっても。
勝手に「こうであろう。ああであろう」と
相手のことを想像してる時というのは、
相手にフォーカスしているようで、
実は「自分だけの世界」であり、
何もお互いの間には流れていない、のです。
勇気を持って
ちゃんとコミュニケーションを取った時にしか
見えないもの、体験できないもの、があって、
それはセンセーショナルであり、
それは・・・豊か、だ。
思ってもみなかったような
愛と豊かさが
そこにあったりする。
自分が「こうなのです」と伝えた時に、
「そうなのね」と
たっくさんの愛で返してくれたりするのです。
そこで初めて私は
「受け取る」ことを学ぶのです。
「愛されていいのね」と学ぶのです。
腕を広げても、いいのです。
腕の中に飛び込んでも、いいのです。
傷つくような結果が待っていたとしても
大丈夫、治るから!
それよりも、
大切にしたい相手がいるのなら、
愛したい相手がいるのなら、
一緒に育みたい何かがあるのなら、
なんでもいいから
正直になってみる。
その勇気は
価値あるものだと思います。
喧嘩になったとしても、
傷つけ合っちゃうことがあったとしても、
いいじゃない。
向き合う、というのは
いつも美しいものではないだろうけど、
深い愛とか、信頼とかっていうのは、
そうやってスクスクと育つのかもしれません。
ですから、
全国の私のような「受け取り下手」で
「怖がり」で「いいかっこしー」のアナタ、
渾身の勇気でもってを腕広げて!そしてぇ・・・
LOVE受け取る!
To you who have awakened me to true love
*聴くブログ!?「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
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プロフィール、経歴、ライブ情報、
それから私の歌も視聴できます!
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