用之必勝!?

偏ってますけど、反面、何でも「あり」ってこってす。 ぽりしぃ薄いッスけど、とりあえず、「横浜」贔屓です。

ホントの定位置

2011年04月27日 23時55分29秒 | すたーだすとめもりぃ
 中日、今季初の連勝=プロ野球・中日―横浜(時事通信) - goo ニュース
 毎年「せめてこの時期くらいは夢見せろよ!」ってなことを言ってるような気がする。 まぁ落ち着いてみると、早かったような頑張ってたような.....。
 省エネ投稿で、リアルタイムで追いきれてないJリーグへのうっぷん晴らしてるようなところもあるかな.....。

何だかなぁ.....

2011年04月27日 23時31分24秒 | 放射能?
 委員 ほとんど参集できず【NHK】

4月27日 19時24分
 東京電力の福島第一原子力発電所の事故で、地震が発生した先月11日、政府に専門的な助言を行う原子力安全委員会は専門の調査委員40人に対し、携帯電話のメールで招集したものの、交通機関が止まっていたことなどからほとんど集まらなかったことが分かりました。
 これは、27日に開かれた衆議院の決算行政監視委員会で原子力安全委員会の班目春樹委員長が初めて明らかにしたものです。
 それによりますと、先月11日の地震と津波によって福島第一原発の1号機と2号機で冷却のための電源がすべて使えなくなったという通報を受けて、原子力安全委員会の緊急事態応急対策調査委員40人に対して、携帯電話のメールで招集したということです。
 しかし、ほとんどの委員は連絡がつかず、連絡がついた委員も交通機関が止まっていたことから、内閣府にある原子力安全委員会に当日集まることができたのは歩いてきた数人だけだったということです。
 また、国の防災基本計画では、災害時にはこうした調査委員らを現地に派遣することになっていますが、地震の直後には事務局の職員を1人派遣しただけで、実際に派遣したのは、1か月余りたった今月17日でした。
 こうした一連の対応について、班目委員長は27日、「派遣が大変遅くなってしまった。失敗だったと思い反省している」と述べ、事故の情報収集や判断の態勢に問題があったことを認めました。
 地震発生当日に原子力安全委員会の委員が参集したかどうかについて、これまで委員会の事務局は「明らかにすることはできない」と取材に応じていませんでした。

 何が何でも集めろ!って言うつもりはないんだけど、この隠蔽体質のが問題だね。

「想定外」は免罪符足り得るか?

2011年04月27日 18時22分29秒 | 放射能?
 4号機の燃料プール漏水か 貯水少量、耐震工事に影響も(朝日新聞) - goo ニュース

2011年4月27日(水)14:59
 東日本大震災で被災した福島第一原発のうち、使用済み燃料プールで火災が起きた4号機で、燃料を冷やすために入れている水が想定したほどプールにたまっていないことがわかった。東京電力によると、水が漏れている可能性があるという。事故収束に向けた工程表では、4号機原子炉建屋の耐震補強は7月までに終わることになっているが、東電は、水が少ない原因がわからなければ工事に入れないとしており、工程に遅れが生じる恐れがある。
 4号機は地震発生時には停止中で、燃料はすべてプールに移されていた。燃料集合体の数は1~6号機の中で最も多く、燃料から出る熱による水の蒸発量も最も多い。東電は連日、放水車で水を入れて燃料を冷やしている。
 この数日間の注水量は1日140~210トン。燃料による蒸発量は1日70トンと見積もられ、プールの水位は上がっている。だが、上がり方は想定より少なく、1日あたり12~48トン分の水が行方不明になっている計算という。
 東電によると、原子炉建屋内への水漏れは確認されていない。プールと原子炉をつなぐゲートの破損などによって原子炉側に水が漏れている可能性があるという。また、注水量がそもそも見積もりより少ない可能性も残されているという。
 4号機では3月15日、4階にあるプールの下で火災が発生。原子炉建屋が壊れ、プールを支える壁などが破損した。現状での建屋の耐震性は、想定の揺れの半分程度しかないという。
 4月27日午前8時までに震度4以上の余震が134回発生し、福島県内では、11、12日には、震度6弱の揺れを記録した。余震に備えて早急に耐震補強工事を進める必要がある。
 工程表では、プールの底の空間部分に柱を入れたり、筋交いを入れたりする補強工事を7月までに実施することになっているが、東電は26日、「想定しただけの水がプールにたまらない原因を突き止めないと、耐震補強工事に入れない」と説明。今後、放水車による放水を増やして変化をみたり、原子炉建屋の内部に再度作業員が立ち入って水漏れしている場所がないかを調べたりすることにしている。(杉本崇、川田俊男)

 今さら「工程表」を見直した挙句、あぁだこぉだ難癖つけても始まらないし、やっても無意味に過ぎることは重々承知している「つもり」だが、それでも「机上の空論」提示が、如何に無意味で、無責任で、かつ無慈悲であるかを物語ろうって思うなら、やるに越したことはないような気もする。
 殊に、期間を区切ることは、どれだけの根拠があっての話なのか、素人目にもスンナリ受け入れられるレベルに落ちるまでは、そうそう口にはできない「はず」と思える「罪深さ」を伴っているように思う。

 人類は、どれだけ「原子力」をコントロールできるところに立っていると言うのか!?

 思い上がりも甚だしい!


原子力をクリーンエネルギーだと強弁(詭弁?)してみたり、代替エネルギーが明確化するまで、原発停止などできる訳がない!と居直ってみたりするのって、ある意味、人間の思い上がり以外の何ものでもないと思う。 辿れば他にも色々出てくるだろう。 津波は5.7mを想定したので、10mに原発を建設した.....とか、高濃度の放射能汚染水が海水に混ざる危険性を回避するために、低濃度の水は海に捨ててOKだ!.....とか.....

 何を論拠に工程表出して1年程度で収束させてみせる!なんてほざきやがった!?
 変に「希望」を与えたところで、相容れない現実との狭間で、苦しみを倍加させるのは被災者だけだろ!?
 水漏れが「想定外」なのは分った。
 ただし、それも「織り込み済み」で工程表が提示されていた!と、責任ある人間に公表させるべきだ。

 織り込み済みである以上、現場作業員にシワ寄せがいかない理由でもあるはずだ!

なるほどぉ.....

2011年04月27日 16時30分00秒 | ジジネタ
 「かわいそうな被災者」という勝手なイメージを押しつけてはいけない香山リカコラム】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

2011年4月26日(火)08:40
 4月14日、ちょうど仙台空港が再開した日に、取材で再び被災地を訪れました。
 新聞やテレビは、空路の再開を機に、復興ムードの論調へ大きく転換したような気がします。しかし、被災地の方たちの心の問題は、目に見える復興とはズレが生じていると感じました。
 仙台空港近辺には、いくつかの小さな町があります。町の人たちは、空港が再開してもらわないと物資が来ないので、その必要性を十分に理解しています。ただ、空港の再開を最優先したために、人手と重機はすべて空港に持っていかれたといいます。近辺の小さな町には、空港の再開とは裏腹に、復興が手つかずのまま放置されているという皮肉な現実がありました。
 前回、震災から十日あまりの被災地を訪れたとき、津波の被害が大きかった地域のそばでお菓子屋さんとお寿司屋さんが営業していました。今回はそこへ立ち寄りましたが、お客さんはほとんどいません。
 聞くと、震災の直後、尋常ならざる事態のなかで、お寿司屋さんは店に残っていたすべての材料を使って大量の稲荷ずしを作ったといいます。お菓子屋さんは、停電で機械を動かすことができなかったので、手作業でできる範囲でお菓子を作ったそうです。
「お互いさまだからね」
 そう言って、お寿司屋さんもお菓子屋さんも被災者に無料で配りました。
 ところが、時間がたって訪れたのは、お客さんが来ないという現実でした。だからといって、その方たちが「あんなことするんじゃなかった」と仰っているわけではありません。ただ、被災地の外から支援に来る人や企業はクローズアップされても、地元で支援をする商店や企業のことが語られていません。むしろ、家屋も社屋も工場も被害から免れたため保障が受けられず、材料が入らない、お客さんが来ないという三重苦に喘いでいます。
 空港が再開した、仮設住宅の建設が始まったというニュースが入ると、被災地以外の人は復興が始まったと解釈すると思います。しかし現地に入ると、被災者にはそれぞれの事情があり、被災地と被災地の外との温度差はかなりあるように思えました。被災地は復興の段階に入ったなどと、軽々には言えないのです。

 「支援」は被災者のためというより自分のためにやるもの
 今回の訪問で強く感じたのは、被災地には人の数だけ問題があるということです。家も家族も仕事も失った人もいれば、家族は無事で一緒に避難所生活をしている人、また被災から逃れた家で暮らしている人もいます。被害の情況もまちまちであれば、負った悲しみや苦しみへの思いも人それぞれです。それをあたかも、被災地にいる人がすべて同じような苦しみに喘いでいるかのように、一様に「頑張ろう」と言われても、それぞれの被災者の方のこころに届くのだろうか。そんな疑問を感じます。
 東京に限らず、いろいろなところでチャリティーイベントが開かれています。
「いま自分にできることをやる」
 その意義はよくわかりますし、イベントに来ている人や、壇上に立つ人の善意を疑うつもりは毛頭ありません。しかし、それは被災地のそれぞれの人の事情とはまったく関係のないところで行われていることを自覚することは大切でしょう。
 例えば「私の歌を聞いてください」とYouTubeで自作の歌を流す。もしかしたら被災地に届いて癒される人がいるかもしれません。何かをせずにはいられないという気持ちもわかります。
 ただ、被災地の人を想って何かをするのは、基本的に自分のためであること。いてもたってもいられなくなる。これはきっと被災地の人に役立つはずだ。その善意の思い込みは、それぞれの方々に必ずしも合わないこともあり、善意の押し付けになってしまいます。このことに気がつかないと「やってあげているのに」と恩着せがましくなってしまう恐れがあります。

 被災地にいる人をステレオタイプで見てしまう
 まだそれほど多くはありませんが、ネット上で被災者に対する批判が見られるようになってきました。被災者がいま欲しい物を要求しただけで「何でももらおうとする」「要求が多い」というのです。
 その被災者は、聞かれたから答えただけでしょう。
 逆に、人をムカッとさせるようなことを言う被災者がいるのも事実です。
 しかしこれは考えてみれば、ごく当たり前のことなのです。被災地にいた人は、全員が人格にすぐれた人であるはずはありません。もともと図々しい人も、だらしない人も、人に素直に対応できない人も、意地悪な人も打算的な人もいるはずです。そのような人がたまたま被災したことで、それまでの人格がすべて一新され、純粋で善良な人に変わることなどあり得ないのです。前回書いたように、人は急に変らないものです。
「辛い情況に健気に耐える善良な人たち」
 私たちは、被災者に対してこんな像を作ってしまっていないでしょうか。今回の被災者は東北の人が多いので、お話を聞いていると確かに謙虚で純粋な方も多いです。ただ、その像にマッチした人を取り上げるマスコミの姿勢との相乗効果で、そうした「被災者人格」のようなものが増幅されている感は否めません。
 このことは、障害者に関する問題でもよく語られています。一般に、障害を持つ人はかえって心が澄んでいると思われがちです。この人たちがちょっと俗っぽいことを言ったら、それだけで「とんでもない」という反応を示す人がいます。それだけ勝手に障害者像をつくりあげており、身障者はその期待が重荷になっている一面もあります。
 私は、身体障害者のプロレス団体「ドッグレッグス」のリング・ドクターとして、彼らの興行に立ち会ったことがありますが、リングサイドの実況は「あの人は、実は風俗が好きで、たいへんな額の借金がサラ金にあり…」などと、露悪的に語ることがあります。
 観客は大笑いで、会場は盛り上がります。もちろん、障害者でありながら必死に頑張るという感動的な場面もありますが、彼らは決して天使ではない。健常者と同じように、お金だって欲しい、有名にもなりたい、女も大好きだ。それなのに、ある意味で差別的な「良い人のはずだ」というレッテルを貼られてしまう。それもある意味で、差別、偏見です。その偏見をなくすために、プロレス興行を行っているのです。
 自分たちが勝手に作り上げたイメージを少しでも外れると、「許せない」と叩く。ステレオタイプな物の見方を否定されると、途端に腹を立てるのです。被災者に対する支援者の態度が、こうした方向に進んでいる恐れがあります。

 長い休みを使って気を紛らわすことも必要
 私たちは、すべての被災者を同一視し、勝手なイメージを作り上げていないでしょうか。その像に基づいて「心は一つです」「東北がんばれ」と連呼する押しつけがましい支援になっていないでしょうか。
 被災地の多くの人は「ありがたい」と口にします。とはいえ「がんばれといっても、これ以上何をがんばればいいのかねぇ」とため息を漏らす人もいます。被災者にとってはピントの外れた支援にも、感謝の言葉を並べなければならないのが現状なのです。
 仙台に滞在しているとき、地元紙を読んでいたら、タレントのミッツ・マングローブさんの記事が載っていました。内容は、彼女(彼?)が最近出したCDのプロモーションでした。ミッツさんが寄せていたのは、こんなコメントだったと思います。
「昭和の歌謡曲でも聞いて、ひととき気を紛らせてください」
 震災が起こってからというもの、アーティストは「この曲で勇気を与えたい。元気を受け取ってほしい」と言うのが一般的になっています。ミッツさんの「気を紛らわしてください」という言い方は、とても誠実だと思いました。そして、気を紛らわすというのはとても大事なことだと改めて気づきました。
 現実から目を背けることは悪だと思われがちですが、ひと時の現実逃避は自分をいたわるために必要です。むしろ、現実を何とかするためにも気を紛らわす時間が必要だと私は思います。
 世間は、間もなくゴールデンウィークを迎えます。
 被災地の人たちはもちろんのこと、私たち被災地以外に住む人も、日々考え、情報に揺さぶられることで疲れ切っています。
 原発問題をはじめ、日本の社会のありようについては、超長期にわたって考え続けていかなければならない問題です。だからこそ、現実逃避をすることでこころを平静な状態に戻すべきだと思います。
 もちろん、震災のことを考え続ける人もいい。しかし、もしいまが辛い状況だと感じていたら、テレビやラジオやインターネットから離れて、震災のことを考えない日を作ってもいいと私は思います。
 ひとときだけでも気を紛らし、現実逃避をすることによって、再び現実に戻ったときにこれまでと違った向き合い方ができるようになっているかもしれません。

 被災地のことについて、このブログであまり語ったことはなかった。 せいぜい募金に応じる程度のことしかしていない自身が、何か口にするには、あまりに被害が甚大過ぎて、変に偽善的に倒れて、自身ですら嫌味に感じるのだ。
 震災にショックを受けて、ネット上で可能な取り組みに、積極的に関わっている方々がいることも承知しているし、自身も同様の動きができたのかもしれないと思う。 遅いかもしれないが、遅過ぎるタイミングでないことも自覚している。
 正直なところ、「できない」を決めてしまうのが、自身としては最も楽だし簡単だ。 横浜贔屓の偏屈ブログの持ち主として、ふりかかる可能性の残る「火の粉」に関して「だけ」気にして取り上げて話題とすれば良い。 ただまぁ、若干の「罪悪感」のようなものは残るが.....。
 だから、このコラムを取り上げた.....と言うのでは、更に贖罪を重ねる行為に等しい。
 言い訳がましいが、事実を伝えるにしても、気に入った文章を取り上げたいと思う。
 考えてみれば、自身の口で被災地を語ること以上に、きっちり行動を重ねている方々の、今回取り上げたような読み物にも、あまり接していなかった。 何しろ、情報はTVから否応なく、更には間断なく流され.....続けていたし、現在も続いているのだから.....。
 が、読んでみて、TVの「恐ろしさ」のようなものに、改めて気付かされたような気もする。
 百聞は一見に如かずとは言うものの、目と耳を通じて入ってくる情報は、一瞬で多くの情報量を伝えられると同時に、その「切り取られた」情報が、あたかも「全て」であるような印象を持たせることが可能なのだ。 凡そ、このコラムにあるような心持は、抱きようがなかった。
 その意味では、このコラムに記載された「情報」は、その言葉のまま受け止めるのが、最も有益と思える。

探し出せず.....

2011年04月27日 07時54分14秒 | 放射能?
福島県内の放射線量、詳細な汚染マップ作成 文科省(朝日新聞) - goo ニュース

2011年4月27日(水)01:29
 福島第一原発事故を受けて、文部科学省は26日、2012年3月までの福島県内の積算線量を推定した汚染マップを公表した。原発から北西方向の地域で避難区域の目安とする年間被曝量が20ミリシーベルトを超えている。今後、月に2回更新して、避難区域の設定などに活用していく。
 事故当日3月12日から4月21日まで、文科省や福島県などが計測器を載せた車などで測った約2100地点の放射線量をもとに、12年3月11日まで1年間の積算線量を推測した。木造の屋内で16時間過ごすと仮定して推計した。4月11日に公表後、今回は2度目だが、20キロ圏内を示したのは初めて。
 計画的避難区域に指定された地域内の14地点のうち、北西約24キロの浪江町赤宇木で235.4ミリシーベルトと最高値を示した。一方で、避難区域内でも飯舘村二枚橋は10ミリシーベルトとばらつきがあった。11日の公表時より、多くの地点で年間の推定値が低下したことから、20ミリシーベルトを超える範囲は少し狭まったという。
 詳細な線量マップができれば、臨機応変に避難区域の設定や解除にも使える。細野豪志・首相補佐官は「実測に基づく汚染マップ作りは非常に重要。今後、土壌の汚染マップも作り、政策決定などに活用していく」と語った。

このマップって「文科省HP」に掲載されてるんじゃないの?
とても「恥ずかしい」話なのかもしれないけれど、探し出せない.....。