某有名脚本家氏のところで起こった「事件」で、ブログ削除された悪質なブロガーの事を、ちらっと書きましたが、ことの発端はなんと
「コメント欄」なのです。
よそ様のブログに勝手なコメントを書く「読者」が居て、その内容が騒動の引き金と成った、と言うことでした。
しかも、その騒動に成ったブログと、某脚本家氏とは何の関係もないのに、どう言う訳か、被害ブログ主と同一人物だ!!
と言う妄想の元に、突然、誹謗中傷される事に成った、と言う、普通の人間の頭では、有り得ない展開と成ってしまった。と言う事らしいです。
そもそも、記事に全く関係ない事をコメントする事が「非常識だ」と
気付かない様な者が、更にそのブログとは関係の無いよそのブログについて、妙なコメントを書いた事で始まった「抗争」ですが、何故コメント管理をしないのか?!が理解出来ません。
私のブログにコメントしているのは、もう、古~~い知り合いか、その記事に相応しいコメントを残して下さった方のみ、公開しているし、誹謗中傷コメントは、非公開の上、削除!しています。
コメントは「閲覧の上、承認」の形で設定しています。
未だブログなんてものが無かった時代に、コメント欄なんて罵詈雑言、誹謗中傷で溢れかえっていましたから、「検閲」は必要なのだと認識しています。
ソビエト連邦が崩壊して、言論統制が無くなった途端に、壁に
「ユダ公は死ね!!」
等と言う落書きが現れたと言うニュースを見て、程度の悪い民族には、言って良い事悪い事、やって良い事悪い事を、先ずは教育してからではないと、勝手な思いを垂れ流しさせては、「混乱」が生じるものなのだ。と理解しました。
「想いを垂れ流す事は危険である事」
「想念は管理するべき物である事」
インターネットの世界は、或る意味、「霊界」と似ています。
インターネットは、或る装置を用いなければ「接続」出来ない「仮想空間」です。
でも、そこで勝手な想いを垂れ流す事で、現実の世界の「裁判沙汰」にも成る訳です。
ここから導きたいのは、「何を想おうと自由だ」と思っていても、
「その想い」の力で、色々な現象が現実世界に起きて来る。良い事も悪い事も。
どうせなら良い事が起きる方が好ましい訳で、だったら、良い想いを持ちましょう!
良い想いとは、大金持ちに成りたい、とか絶世の美女に成りたいとか言う事ではありません。
「常に優しい心で居よう!」
「人様の役に立てる人間に成ろう!」
「腹を立てない様に気を付けよう!」
とか、心を偏らさせない様に「中庸を保つ様に心がけよう!」
「心の平安」を保つ事が、世界平和に繋がります。
夫婦喧嘩の絶えない家では、子供が学習出来なくなりますし、ほんの少しの「想い違い」が争いに繋がります。
まして、誹謗中傷、罵詈雑言は、いけません。
神様の援護により写せた写真を貼ってから、妙な書き込みは無く成りました。
私にとっては「護符」です。 有り難や(⋈◍>◡<◍)。✧♡
私が撮った「妖精」の写真。
御願いして写って頂いた、龍神様と稲荷狐さんの写真。