≪ 羽田の大鳥居”東京で一番海に近い場所”≫
通る度に気になる赤い大鳥居
大きな赤い鳥居が見える。弁天橋を渡ってみると、神社もありません、白い柵に囲まれて、
鳥居だけが風を受けて立っている。誰が見ても 不思議な光景です。
これが、羽田の大鳥居なんです。
神社もなく、ほとんど水際にただ鳥居だけがある。
そのある種、異様な風景に、誰もが吸い寄せられるようにそばに行ってしまう。
なるほど、これはそれなりの物語(歴史)をもつ鳥居なんですね!
鳥居の中央にには「平和」と書いてあります。この鳥居の存在意義を
強く物語っているようです。
反対側からみるとこの様に!
この大鳥居は穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、そ
参道に寄付により建立されたと伝えられています。
その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、
羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物はす
べて取り壊されました。しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免
れて羽田の地に残され、往事を物語る唯一の建造物となりました。
米軍から施設が日本に返還された昭和27年7月、東京国際空港として
再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅
に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しま
れました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去
された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりま
した。昭和59年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走
路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も
新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることと
なりました。しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残し
てほしいとの声が日増しに強まり、平成11年2月、国と空港関係企業
の協力の下でこの地に移設されたものです。
(大鳥居の由緒碑より転載)
願いが込められいます。