『壽三升景清』の第二幕第二場が都六波羅大牢の場で、演目〔景清〕からの演出。
六波羅にある大牢は、自ら縄にかかって捕えられた景清の牢破りを防止するために、堅牢に造られていて、力持ちの景清でもこれを破る事は叶わない。その景清がなぜ自ら縄にかかったのか、源氏の武者たちが連日尋問を重ねるも、当の景清は一切口を開かないのである。今日もその景清の口を開かせようと、仁田四朗(友右衛門)や梶原源太らがやってくる。源氏の面々にとっても、観衆(私もその一人だが)にも、それが謎として提示される。ミステリー好きの私には、ここからの展開が見どころとなった。
景清を訪ね来た、傾城阿古屋と、二人の間でなした一子人丸が拷問される寸前に代官筆頭職の秩父庄司重忠(獅童)が入って来る。ひとりとなった重忠は、源平の立場をはなれ、男と男の話し合いがしたいと申しでる。この重忠の言葉に感じ入った景清は、固く閉ざした口を開き、進んで牢に入った理由を明かすのであった。
その理由とは、数多の源氏武将がたった一人の景清の処遇をどうすることもできず、右往左往する様を世間に知らせ、源氏に日本を治める力がないことを知らしめるためだと・・・。(写真:新橋演舞場正面に飾られた羽子板) 海老蔵と獅童、両花形役者による対決・問答がこの芝居の最大の見せ場。両雄あい譲らずの掛け合いに惚れ惚れする。平家再興を志し、源氏を滅ぼすという大望の前にかたくなだった景清は、重忠との再三の問答により、自分が歴史の敗者であることを悟り、その恨みの思いを捨てることを約束するまでに心境変化。やがて、理想の英雄となった景清は、見事に堅固な牢を破り、自ら赴く先は解脱の世界と言い放ち、何処へか去っていく。
ここまでが、末期を迎えた景清が見た夢幻の世界だったのだろう。
大詰は〔解脱〕より。
解脱の世界を目指す景清を吉祥天(芝雀)・摩利支天(獅童)・日天らが天女を従えて出現し、景清は天人たちと舞い、天人に囲まれながら、解脱の境地に至ることが予感される。、舞台下から見ていると、舞台上の三升席で見物する観衆も、景清を見送る人々に見えてくるのであった。更に歌舞伎初めての試みだそうだが、津軽三味線(上妻宏光ら)の演奏の、ひときは強く響く音とともに幕。(写真:国立国会図書館蔵「東海道五十三次之内 宮 景清」)
(観劇後いりいろ調べたり家人に聞いてみたりした。「平家物語」では一場面しか登場しないのに何故景清伝説が生まれたのか?彼の面目は壇の浦合戦以降の残党の意地を見せた抵抗ぶりが、別本では知盛の遺児知忠に随いて戦う場面もあるが、そこでも景清は無事落ち延びたことになっている)