東京新聞の月曜日の朝刊には、2面を割いて「伝統芸能」が掲載される。「伝統芸能」の殆どが歌舞伎で、例えば今日は、復活狂言で奮闘中の尾上松緑や沢潟屋の成長株市川弘太郎の個人紹介のみならず、かぶき”彩時記”と名付けたコーナーでは「封印切」の小判が語られている。更には‘’津軽三味線が初登場 歌舞伎、海老蔵と共演‘’と題して、津軽三味線の若手第一人者上妻宏光が登場していた。自分が観てきたものがすぐさま紹介される記事を読むのはひと際楽しい。
『「壽三升景清」に初めて津軽三味線が登場。観客の注目を集めている。歌舞伎の三味線といえば長唄や清元が定番だが、海老蔵の依頼で津軽三味線の若手第一人者・上妻宏光が作曲・演奏している』と。
海老蔵は昨年11月の山形県の巡業先で上妻の演奏を聴き、その日に出演を依頼し、上妻も「やらせてほしい」と快諾。年末の数日間で曲を書き上げたともある。
そういえば、牢破りの場面では迫力ある曲を、最後に景清が解脱に至る場面では静かな曲を、長唄・大薩摩の三味線と合奏していた。『これが縁となり今後も歌舞伎の舞台で演奏できるようになれば』とも話していたそうで、そうなれば歌舞伎を観る際の楽しみが又ひとつ増える。 津軽三味線は何度か聴いたが、殆ど知らない世界。私は、上妻宏光の名前も初耳で、作曲もしてしまうとうい彼の姿を知りたくてネットで調べ、驚いた。Wikipediaから抜粋すると、
『15歳10ヶ月のときに、津軽三味線全日本金木大会で史上最年少優勝。中学卒業後に上京し、ロックバンドに加入するなどの活動を続けて腕を磨き、1995年・1996年の全国大会で2連覇を果たす。2連覇時と3連覇のかかった翌年に、じょんから節に較べて地味で、五大民謡中最大の難曲とされる「津軽よされ節」でただひとり出場。「四枚撥」と呼ばれる高度な技を織り込みつつ、圧倒的な完成度で見事に優勝した・・・』とある。(写真:上妻宏光オヒシャルブログより)