マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

中津川へ

2014年05月06日 | 

 中津川市は岐阜県の東南に位置し、長野県と接する、人口8万人弱の小都市である。かってここを訪れのは、恵那山登山の際の一度だけ。中央道を利用して名古屋方面に行く際に、長い恵那山トンネルを抜けると中津川ICたが、ここは通過するのみ。それが、突然妻が中津川に行ってみたい言い出した。何かで“中津川市内の和菓子店巡り“の広告を見たらしく、「和菓子店の多い街には文化が根付いているはず」との自論を展開していた。又数年前、長野県山口村の馬篭が、岐阜県中津川市へ自ら進んで、越県編入して来たほどだから、きっとそれなりの魅力が中津川にあるはず、それが何かを知りたいとも語っていた。行くはずだった古川祭りへの代替としての旅を求めていた妻の思いを丸ごと汲んでのことであった。

 5月1日(木)、蓼科発8時50分。中央高速道を諏訪ICで乗り、途中神坂SAで休息し、10時50分に中津川ICで下車。一般道に入って直ぐ「川上屋」の看板が目に入った。ネットで検索しておいた栗菓子店だ。中津川は実は、“栗きんとん”発祥の地。その名店14に名を連ねていたお店の一つ。お昼には早かったが、“栗おこわ”を食した。これが実に美味しい。オコワの上に栗が豊富に乗り、もち米が上手に炊けている。これで1000円かと。この地のレベルの高さを予感した。




          (栗おこわ)

 市営駐車場に車を入れた後、中山道へと向かった。翌日訪ねた馬篭宿は、史蹟の保全と現在の生活とを共存させてはいるが、観光客が来ることを前提とした、“正装した”姿を見せるに対して、中津川の街道は、ここを訪れる人をあまり当てにしない(期待できないとも言える)、“普段着”の姿があった。街なかにはかっての本陣跡も残されているが、直ぐ傍には普通の家が並んで建っていた。過去と現在が渾然一体としてあった。
 観光客が珍しいのか、向こうから話しかけて来る。東京から来ましたと答えると、一様に驚かれた。この街道のどこが良いかとも聞かれ、古い町並みを歩くのが好きですと話すと、納得した様な顔をされた。新町・本町と歩いてくると造り酒屋「はざま酒造」 があり、そこの“酒遊館”を見学すると、見事に創られた展示会館で、つい吟醸生酒“恵那山”を一本購入してしまった。(写真:脇本陣跡)

         (はざま酒造)


         (酒遊館)


      (鯉はここでは泳がない)
 更に横町・下町と歩いてきて、この付近では鯉のぼりが壁に貼られているのに気が付いた私たちは、帰路に、酒蔵に隣接する本屋さんに入り、女将と話し込んで、その訳を尋ねた。「かっては電線によく引っかかったので」と語られたが、本町付近では18年前からこの様にしているとの事。
 馬篭合併の話も聞いた。明治以前は馬篭は実は美濃に属していたそうな。それを行政の都合で長野県に組み込まれ、地理的問題もあり、そこの住民は不便を強いられてきた歴史があったとも。2005年から中津川市に編入されたが、馬篭がどちらの県に属そうが、三留野・妻籠・馬篭・落合・中津川の5宿は結束していこうと、女将だけでの“中山道こまち会”を作って、行政に左右されない観点で街並保存を志向していると語る女将は元気溌剌、その組織のリーダーの一人とお見受けした。
 町並みから外れて歩くと、川沿いの道には初夏の装いがあり、一本だけ鯉のぼりが翻っているのが見えた。好印象を持って中津川の中山道を後にし、その夜の宿「花更紗」を目指した。