マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

”天空の城”竹田城へ

2014年05月26日 | 

 京都駅から日本海方面を経由して下関市幡生(はたぶ)に至る山陰本線。支線をのぞく営業キロ数は673.8kmで、新幹線以外の、JR在来線としては日本最長である。その山陰線が下関から京都に向かうまでに、山陽方面へ通じるJRと数か所で枝別れする。下関から順に、美弥線・山口線・伯備線・因美線・播丹線・福知山線である。米子からの境線と、綾部からの真鶴線が日本海側へと向かう。
 それらの一つ播丹(ばんたん)線に和田山で乗り換えた。一つ目が竹田駅で、竹田城へはここから向かう。土・日だと山陰線特急から便利な乗継列車で竹田まで行けるのだが、19日は月曜日、そのような便利な列車は無い。そのかわり、人出の少ない竹田と城を歩くことが出来た。
 竹田城跡、かっての山城。歴史的知識としては初代城主が太田垣氏程度しか知らない。室町時代から戦国の世にかけて幾多の抗争があったであろうことは想像に難くない。城跡は城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、霞んだ時に見える風景から、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれると聞いていた。雲海に浮かび上がる古城の石垣群の姿・形が人気の秘密とも教えてもらっていた。










 この日、竹田城へのアクセスにシャトルバスは運行されていない。徒歩40分程度と観光案内所で聞いたので、タクシーは利用せず、山道を上った。今回の旅の象徴とも言えるアップダウン。表米神社からは標高差200mはあろうかという急坂を一気に登ると、車道に合流し、その先に城跡入口があった。入山料は300円である。
 古城は苔むしてはいなかった。かっての、本丸・北千畳曲輪・花屋敷曲輪・南千畳曲輪などの石垣を巡った。大津の坂本で訪ねたことのある‘’穴太‘’造りだ。






 この日も絶快晴で、靄に包まれた城あとではなかったが、陽に映える石垣がかっての城を想像させてくれた。この様な規模の山城は初めてで、‘’現存する山城として日本屈指の規模となっている‘’とのうたい文句が素直に頷ける、見応え充分の城跡だった。竹田の町とは標高差250mはあるだろう。眼下の竹田の町の屋根群や遠くの山並みを飽かず眺めた。(写真:眼下に竹田の町)
 帰りは車道を下り、寺町通りを歩いた。昼食を摂り、荷物を預けておいた、竹田そば処「伊とう」で、お礼の意味も込めてビールで喉を潤した。開店一か月に満たないここの蕎麦は美味で、伊根の舟屋が雑談に出た。
 あとは一路、JRを乗り継いで東京に戻るだけだった。


      (竹田の寺町通り)



     (観光案内所の映像から)


        (観光案内所の映像から)

 
     (観光案内所の映像から)