2月の最終日、大泉高校定時制の教え子のトシコさんとヨツエちゃん、そこに大竹君を交えて、私たち4名は「彬」の2階で再会を祝して乾杯の盃を交わした。「彬」での席は6日前の菊之丞独演会後の宴席と奇しくも同じだった。
トシコさんとヨツエちゃんは高校生時代は同じ佐藤姓だったので、名前で呼んでいたが、その両佐藤さん(と今日だけ記す)とは、妻が講師の「伊勢物語」で2ヶ月に一度は顔を合わせている。大竹君とは昨年の12月に再会し、両佐藤さんとは、「伊勢物語」で2ヶ月に一度は会っているとの話をすると、是非会いたいとのこと。3日前の、「伊勢物語」終了後の再会を私がセットした。 再会地点付近の地域活動センターから、谷中夜店通りにある「彬」まで、見どころが多い。この近辺へは初登場の大竹君の為にも、その何ヶ所かへ足を運んだ。天祖神社境内を抜け、旧安田楠雄邸へ。ここではこの日から「ひなまつり」展が始まっていたが、時間に余裕がなく、そこは素通りし「須藤公園」へ。本郷台地の縁を利用したこの公園で両佐藤さんは感嘆の声をあげた。二人ともここは初めて。さほど有名ではないが、都心のオアシスの趣のある公園。池でゆったりと泳ぐ二匹の鯉。私にも新鮮だった。
不忍通りを越えると夜店通り。晴れた土曜日とあって多くの観光客で賑わっていた。(写真:須藤公園の池を見下ろす。以下撮影は3月3日)
「彬」では今回は、ランチの三昧定食(1400円)を注文。話は過去に遡った。4人が参加した9年前の同期会・級友の消息・東北への修学旅行等々。今後のことでは、ハイキングに行きましょうとの話にもなったような気がする。可愛いお孫さんの写真を見せてくれたヨツエちゃんには、表銀座を案内すると約束していたことも明らかになった。何時かはそうしようとは思っていたが今年だったらしい。来年にして貰うかも知れない。
話しながら、私はこの3人の共通点に思い当たった。色々とあるだろうが、15か16の頃、親・きょうだいと別れ、故郷(青森や福島や新潟)を後にし、最初に到着したのが、間もなく”玄関口”の役割を終える上野駅。井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」のフレーズではないが、”上野は私の心の駅”なのだろうと思った。それから46年、営々と働き続けて来た、3人のもう一つの共通点は勤勉。陰日向なく働くこと、と元担任は見た。15・6歳の身でたった一人働き始めた東京での生活。現在まで、真面目に働き続けて来たその結果、今がある。教える身で良かったなとしみじみ思えた時間帯だった。
帰路は谷中銀座を抜け、西日暮里に回った。ここ諏訪台通りにトシコさんの家の寺「浄光寺」がある。彼女に案内されるまま墓に詣でると、そこは上野台地の崖っぷちだった。江戸時代から「雪見寺」と呼ばれ、雪の日にはそこから一面の雪が見渡せただろう。今は崖下を山手線や京浜東北線が走り、3月14日からは北陸新幹線も見渡せるはず。スポーツクラブ「NAS」西日暮里の建物も間近に望めた。(写真:新幹線MAX号)
(直ぐ下を走る京浜東北線)
(スポーツクラブ「NAS」)