「菅原伝授手習鑑」第五幕が開けると、そこは農家風の屋敷。幕開け前後のイヤホンガイドに耳を傾けると、
「ここは、今の大阪府にある佐太で、左遷となった菅丞相が、宇多上皇の尽力により、罪を免れるのではないかと、一時逗留し、良き沙汰(さた)を待っていたので、後世“佐太(さだ)”と呼ばれるようになったとも伝えられています」と。又
「白太夫が長年仕えた菅丞相は、松・梅・桜を愛でていました。それ故、白太夫は三つ子に松王丸・梅王丸・桜丸の名を付けました。舞台庭では、その松が生い茂り、桜・梅が満開となっています。「配所の段」で菅丞相はその三つを入れた歌を詠んでいます。
“梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん”と」 これは歌舞伎での話。歌の作者も含め、史実かどうかは??
さて、幕が開け松王丸と梅若丸が妻を伴い一番乗りでやって来る。(後で明らかになるが、実は桜丸は既に到着していて、白太夫に重大決心を打ち明け、思いあぐねた太夫は氏神様にお参りに出掛けて留守)
松王丸と梅王丸は、「車引」での遺恨そのままに、取っ組み合いの喧嘩を始め、重い俵を持って相手に襲い掛かる始末。揚句の果てに、太夫が大切にしてきた、桜の枝を折ってしまう。トンデモナイ事をしでかした事で我に返り、兄弟喧嘩はそこまで。丁度そこへ、氏神様から太夫が帰宅。桜が折れていることに気が付いた太夫は、はっとした様子だが、何故かそのことでは怒らずに奥へと消えてゆく。
再び現れた太夫に梅王丸は、菅丞相のいる大宰府へ参る為め、暇乞いを願い出ると、それよりも行方不明の北の方を探し出し、お守する事こそ肝心と諭され、妻ともども屋敷を後にする。松王丸は時平公への更なる奉公のため、父に勘当を願いでると、白太夫は激怒し、彼の方から親子の縁切りを宣言し、松王丸を屋敷から追い出しまう。 誰もいなくなった部屋に桜丸が、父に付き添われ、台に短刀を乗せて現れる。何事かと驚く妻八重に、桜丸は、逢引の手助けが原因となって菅丞相が左遷の身となってしまった責任を取り切腹するのだと、初めて妻に打ち明ける。驚き、嘆き、悲しむ八重は義父に何故止めて下さらないのかと、助命を哀願する。この場面での梅枝の演技に私は感情移入した。梅王丸に命じたと同じ役割を与えれば、切腹しなくても済むものをと、強く思った。
しかし白太夫はこう語るのだった。
「先ほど、氏神様で扇子三本で占いを立てた。引いた扇子に桜と書かれていれば、桜丸の切腹を思い止めよとの神意。しかし2回占い、2度とも桜の扇子ではなかった。帰宅して見れば桜の枝は折れていた。桜丸の切腹は神様の思し召しだと分かった」と。かく言われては八重も諦めるしかない。悲しみ深く、夫の自死を見守る前に倒れてしまう。
夫には先立たれ、義父は大宰府へと旅立ち、夫の兄とその妻達は去り、一人残された八重に、深く重い寂寥が漂い、幕となる。(写真:責任を感じ切腹する桜丸を演じる菊之助)
六幕の「寺子屋」では、菅丞相の子秀才の身代わりとなったのは松王丸の子小太郎。松王丸は実はその為に梅王丸達と敵対しているかの如く振る舞って来たのだ。”大事をなさんが為にはまず味方から欺け”を実行した松王丸。自分の子を差し出したのみならず、身内から蔑れながら大志を成し遂げた”男の中の男”。実はと松王丸が語る場面で、妻は、すすり泣きを耳にし、ハンカチを取り出す人をも目にしたとか。この様な場面や人情に紅涙を絞られる日本人が、昔も今も多いのだろうか。私には、夫の死を嘆き悲しむ妻の心情の方により共感を覚えた。観劇に私情が入り過ぎて多弁。
今日の一葉:3月10日撮影の、谷中「上聖寺」のミツマタ