マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「熱海伊豆山」旅行2日目(滝山東照宮)

2019年01月22日 | 

 左図は瀧山寺本堂入口に掲示されていた案内図にA~Eの記号を書き込んだもの。
 当日、私達は、A→B(宝物殿)→C(本堂とその周辺)→D(滝山東照宮)→階段Eを下る→Aと一周して来た。
 










 
 宝物殿を後にし、まずは瀧山寺本堂にお参りした。上の図を見ても分かる様に本堂(C)の右側には滝山東照宮(D)が、後ろには日枝神社や稲荷社が建てられている。瀧山寺は多数の神社仏閣を要する一大お山の中心に位置している。
 本堂は貞応元(1222)年に足利義氏が建立したとある。その義氏の五代後に足利尊氏。前回のブログに登場させた「系譜」で、尊氏の系譜を遡っていくと、頼朝同様、熱田神宮宮司に行きつく。室町幕府の将軍の出自も鎌倉幕府将軍の出自と同じなのだ。
 重文の本堂は屋根が真新しく端正に見えた。建物の様式には疎いが、和様・唐様・天竺様を取り入れた様式は当代の名工の手になった会心の作で、唐様であるところに最大の特徴と書かれている。鎌倉の建長寺の建立より30年も早く唐様の手法が取り入れられ建立されたからか、明治37年には重要文化財の指定を受けているそうな。

 本堂隣に鐘堂。鐘の寄進者は徳川綱吉とある。家光の四男による寄進だ。妻はお話会「柳沢吉保と六義園」の時に、綱吉の功罪について語ったが、”最大の功績は社寺等文化財の改修”、それを目の当たりにしたことになる。









 次いで、滝山東照宮へ。住職は三大東照宮として日光・久能山とここ滝山を挙げていた。日光・久能山は別格として三番目は異論のあるところらしい。私は上野東照宮は欠かせないと思うが如何。(写真:拝殿)








 
中門から先は閉ざされていて本殿へは入れなかった。後で気が付いたが、このお寺・神社の参詣者には殆ど会わなかった。寺発行のパンフレットには「明治維新後は禄高没収となり将軍家の庇護もなく現在に至っている」と書かれている。かっての栄華は既に失われていて、天下の奇祭「鬼祭り」にのみ凝縮されてしまったようだ。(写真:本殿)





 その起源は鎌倉時代に遡る、愛知県指定の無形文化財「鬼祭り」をWikipediaで見ると”この祭りのクライマックスの「火まつり」は圧巻の一言。国重要文化財である本堂に30を超える巨大な松明を持ち込んで、半鐘やほら貝をかき鳴らしながら鬼が乱舞する”そうな。今年は2月16日(土)に行われる。





 一日のみでは受け止めかねる多くの歴史的事実に出合い、長旅にも疲れ、ホテルに戻って来たのは18時を過ぎていた。