この国の裁判判決で、怒りを覚える判決は多々あるが、一昨日の東京地裁判決には怒りを通り越してあきれてしまった。
結婚後に職場で、結婚前の姓の使用が認められず戸籍姓を強制されたのは人格権の侵害だとして、日大三中学・高校に勤務する女性教諭が、学校法人に対し旧姓の使用と慰謝料を求めた訴訟で、東京地裁が請求を棄却した。その判決は戸籍姓を「戸籍制度に支えられ、より高い個人の識別機能がある」と指摘し、職場という集団の中で「職員を識別、特定するものとして戸籍姓の使用を求めることに合理性、必要性が認められる」とした。
現在の民法のもとでは、結婚した夫婦は同一姓を名乗らねばならない。その事によって姓を変えねばならなかった者は不利益を被ることとなる。男女どちらの姓をも名乗れるのだから男女平等かというとさにあらず。男性が進んで姓を変えたりすれば親戚一同から非難されたり変な目で見られるだろうし、「養子にいったのですか」と言われたりで、社会的不利益は計り知れない。というのが日本の現状だから結婚相手の女性はその辺を慮って、止む無く男性の姓を名乗ることを甘受することとなる。現代の日本では実質的男女平等が実現されていない最たる例だ。
大体、夫婦同一姓は明治時代から始まったもので、日本古来のシキタリでも“日本の古き良き伝統”でも何でもない。韓国や中国は夫婦別性で、江戸時代以前の日本も同じだ。北条政子は結婚しても北条政子だった。
実質的な不平等を解消する法的方法として選択的夫婦別性がベストだろうが、現実的妥協策として、結婚後も職場などで、旧姓使用で我慢している女性は多い。私のよく知る、向丘高校の同僚女性2人も旧姓使用だった。ジャンケンで姓を決めたという人も知っているがこれは例外中の例外。お前はどうだったかと問われれば、私が妻に「どうする?」と聞くと、妻は「私の姓はありふれているから貴方の姓の方がいい。私の姓が稀姓なら変えたくない」などと答え一件落着したが。
昨年の最高裁判決では旧姓使用を「法律上保護される利益」と認め「(使用を)認めるよう配慮していくことが望ましい」とまで言及していたのだ。東京地裁はこれをどう受け止めているのだろう。旧姓(=通称)使用の範囲は年々拡大し、例えば商業登記簿の役員欄に旧姓が記録で出来るようになったそうな。住民票やパスポートにも、戸籍名と通称の併記を認める方向にある、と斎藤美奈子は書いている。
旧姓が認められないならば、個人の不利益解消の為に選択的夫婦別姓へと民法を変えればいい。そうすることで不利益を被る人がいるのだろうか?“夫婦を別性にすると家族が崩壊する”と主張している人々は、歴史的にも社会的にもそれを証明すべきだろう。旧姓使用を認めたのは、民法変更を厭う体制派の妥協点だと私は見る。そうなのに今更旧姓使用を否定する判決とは。
(明日から信州へ出かけ、ブログ再開は18日以降となります)