ベッドに深々と身を沈めたまま…ノエルはまるで全身の力が抜けてしまったかのように動かない。
軽く閉じられた瞼とほんの少し開かれたの唇に満足げな表情を浮かべていつもより少し早めの呼吸を繰り返す。
やがてひと際大きく息を吐くと…そっと眼を開けた。
ノエルの身体にはまだその余韻が残っているようで西沢が触れる場所すべてに反応がある…。
こんな状況下でノエルには申し訳ないが…面白い…と西沢は思った。
男の反応じゃないな…。
行為の後の余韻に浸れるのは…ノエルが女性でもあるという証なのだろう…。
もし…今…再び西沢が求めたら…即…受け入れ可能なくらい…まだ続いている。
不思議なことに女性を相手にしている時のノエルにはその感覚はないようだ…。
西沢たちとなんら変わるところのない男…輝の言葉を借りれば…だが…。
「ごめんね…紫苑さん…。 僕なんかの相手させちゃって…ごめんね…。 」
ノエルは余韻が冷めると急に現実に戻ったようで…西沢に対して何かひどく悪いことでもしたかのように何度も謝った。
「謝る必要なんてないだろ…。 愛し合っただけなのに…。
謝らなきゃいけないとしたら…約束破った僕の方…ご両親の許可を貰ってからだなんて言って置いて…。
きみのお父さんに殺されそうだね…。 」
そう言って西沢は笑った。
ノエルもつられて微笑んだ…が…親父なら殺しかねない…とは思った。
ずっと僕の傍に居てくれる…?
何もしなくていいから…今のままで構わないから…そう西沢が訊ねた。
ノエルはほんの少し躊躇っていたが…誰も…何も変わらないなら…と小さな声で答えた。
ほっとした笑顔で…有難う…と西沢は言った。
変わらないよ…みんなそのまま…恭介も輝も亮も…父さんも…みんな…今までどおり…そう言ってもう一度…ノエルを抱き寄せた。
我々が言うところの悪とは何か…を考えてみると…時代や宗教によってまたは民族や文化によって捉え方が異なっている。
悪とは…相容れない宗教…敵対する国…反目し合う民族…と考える者も居るし…或いは殺したり、盗んだり、偽ったり、欺いたり…社会的な反正義を行う者…と考える者も居る。
魔物だの化け物だの鬼だのと言われているものが…実は自分たちが情け容赦なく滅ぼしてしまった種族を表わしていたり、追い出してしまった先住民族を意味していたりすることもないわけではない。
人間は時に自分たちの行為や歴史を正当化するために、犠牲になった者たちを悪と表現したり、悪魔や物の怪、動物などに置き換えてしまうことがある。
さらに…人間というものを正当化するために、人が悪いことをするのはその人の心のせいではなく…その人の心に巣食った鬼…魔物…悪魔…悪霊などのせいだと責任転嫁を行うこともある。
どちらも良心や神仏に対する自己弁護に過ぎない。
それらのことを考慮に入れると…倉橋や三宅に残る古文書の言う魔物…とは化け物や悪魔と言った具現化されたイメージのものではなくて…人の心そのもの…ではないかと西沢は推測する。
前の世界が滅びた時に滅亡の原因をつくって逃げ出した者たちとは…HISTORIANが擬人化しているだけで…やはり同じく心ではないだろうか…?
現代人の心の中に当時の人々と同じような悪心が芽生えて世界を再び滅びに導こうとしている…そんな図式を思い浮かべてみる。
けれど…その推測は容易に否定される…。
心はその人その人に個別に存在するもので…別に何処からか逃げ延びて現在に至っているわけではない。
それにもし単に人心の腐敗だけが原因ならば…放っておいても世界は滅びるわけで…磯見や岩島たちが暴れる必要もなければ、HISTORIANの存在意義も否定される…。
そもそも…HISTORIANという組織が誕生した時に、来るべき未来に戦うよう運命付けられた敵とは何者…?
五行の気はそれを逃げ延びた悪の正体…と呼んだ…。
それは今…磯見を始め多くの潜在記憶保持者を操っている。
どうやって…?
巨石に近付いたこと以外に…他の何かと接触があった様子もないのに…?
待てよ…磯見たちはHISTORIANを潰すために操られているとしても…それだけじゃ世界は滅びない…。
潜在記憶保持者を操っているもの…はどんな方法で世界を滅ぼすと言うんだ?
それに目的は…?
例えば…もう一度…過去に滅んだ自分たちの世界を甦らせるため…とか…?
或いは…亮が言っていたように再び選別が行われる…いや…それはないな…。
だって選別ならこんな七面倒なことしないだろう。
地震か洪水一発で終わらせられるじゃない…。
一発…?
不意に西沢の背筋を冷たいものが走った。
核爆弾…。
世界各国の上層部を操って…核戦争でも起こそうってか…?
現段階では…HISTORIANの抑止力でそこまで手が出せないで居るのか…?
ひょっとして…HISTORIANが国籍も名前も明かせないのは…あらゆる国の政治の裏側に関与しているから…?
待ってくれよ…国が相手じゃ僕なんかじゃ…どう動きようもないじゃないか…?
いくらHISTORIANがあちらこちらの能力者たちに手紙を送っても…その手紙が真実を述べていると分かったとしても…どの能力者も二の足を踏むぜ…。
国家が相手じゃどうしようもないって…。
いや…国を直接相手にしろと言ってるわけじゃないよな…。
国を脅かそうとしている得体の知れない何者かをどうにかしてくれと言ってるんだから…。
落ち着け…紫苑…落ち着いて考えろ…。
そいつ等は…見えない敵…だけど能力者なら何とかできるかもしれないとHISTORIANは考えたんだ…。
抑止力で上層部を保護している間に…そいつ等を誰かに何とかして貰いたい…自分たちだけでは世界中を護るなど到底…手が足りない…そういうことだ…多分…。
怜雄…怜雄だ…。
怜雄になら何か分かるかも知れない…。
あの学者頭になら…何か閃くものがあるかも…。
僕の気付かない何かを見つけてくれるかもしれない…。
そう思いついて西沢は仕事部屋を飛び出した。
後期試験が終わったすぐ後の土曜日…西沢はノエルを連れて高木家を訪れた。
勿論…結婚の承諾を得るため…。 智哉のぶっ飛ぶ顔が眼に浮かぶ…。
くぇっこんんん…! 息子が男とぉぉぉ!
すでに裁きの一族には有から話をして貰って宗主の了解を得ていた。
宗主は…太極の化身を妻にするのか…豪快だな…と愉快そうに笑ったという。
今頃は一族の特別な名簿にノエルの名前が記されている。
其処に記されてあれば…戸籍上はどうあれ…ノエルの配偶者としての権利が侵害されるようなことはない。
早い話が事後承諾…すでに届けを出したようなものだ。
智哉は…思いの外…冷静だった。
ある程度…そういう事態になるかもしれないことを予測していたようにも見受けられた。
西沢の丁寧なお詫びとお願いの言葉を聞きながら何かじっと考え込んでいた。
しばらくするとノエルだけを部屋の外に出した。
「西沢さん…あの馬鹿息子はともかく…あなたは本当にそれでいいんですか?
実は…滝川先生や有さんから事情は聞いていました。
何かのトラブルに巻き込まれたせいで…あいつの症状がだんだんひどくなっているから…このままじゃ大変なことになる。
気持ちをどうにか安定させるには想いを満たしてやるのが一番だと…。
ですが…あいつは…いつかは西沢さんを裏切るかも知れないんですよ。
好きな女でもできりゃ…あなたへの想いはすぐに消えてしまうかもしれない…。
あいつの想いなんて…それくらい儚いもんなんですよ…。
それでも一緒になってくださると…? 」
智哉は気遣わしげに訊ねた。
ノエルのため…というわけではないのです…。
西沢は少し切なげに微笑んだ。
「いつか…そういう日が来るだろうことは覚悟しています。
けれど…ノエルが好きだから…その日までは寄り添って居たいんです。
その時が来たらちゃんと僕の許から送り出してやりますよ。
もともと自分は男だって意識が強い子だから…とてもじゃないけど何時までも僕の奥さんでは居られないでしょう…。
それはそれでいいんです。
止まってしまった時が再び動き出した証拠なんだから…。
心配しないでください…ノエルは好きなように生きられます…。
ノエルが望まなければ女性扱いもしません。 」
智哉は大きく頷いた。
ノエルが心を病んだ時に…智哉はそうとは思わずかえってノエルを傷付けるような言動ばかりしてしまった。
そればかりか自分が受けた衝撃をそのまま怒りに代えて、何の罪もないノエルにぶつけてしまった。
結果…ノエルは家を飛び出し…未だに居場所を得られないまま…。
それでもずっと西沢が傍に付いていてくれたおかげで道を誤ることもなく無事に過ごしてきた。
西沢は今…そのノエルに居場所を与えてくれようとしている。
ノエルの傷ついた心を癒すために…。
将来のことは分からないが…取り敢えずはノエルの心を安定させることが先決…。
西沢には心から申し訳ないが…馬鹿息子を嫁に出すとするか…。
嫁に…ねぇ…なんとも複雑…だ。 まあ…すぐに暇を出されるかもしれんが…。
とにかく戸籍上はなんともしようのないことだし、身内で認め合うだけの結婚だが…それでも…寄り添う間はふたりが幸せでいてくれるといいな…。
花嫁…?を託す父親として智哉は心からそう願った。
たとえ…共に過ごせる日々が僅かな月日だとしても…。
次回へ
軽く閉じられた瞼とほんの少し開かれたの唇に満足げな表情を浮かべていつもより少し早めの呼吸を繰り返す。
やがてひと際大きく息を吐くと…そっと眼を開けた。
ノエルの身体にはまだその余韻が残っているようで西沢が触れる場所すべてに反応がある…。
こんな状況下でノエルには申し訳ないが…面白い…と西沢は思った。
男の反応じゃないな…。
行為の後の余韻に浸れるのは…ノエルが女性でもあるという証なのだろう…。
もし…今…再び西沢が求めたら…即…受け入れ可能なくらい…まだ続いている。
不思議なことに女性を相手にしている時のノエルにはその感覚はないようだ…。
西沢たちとなんら変わるところのない男…輝の言葉を借りれば…だが…。
「ごめんね…紫苑さん…。 僕なんかの相手させちゃって…ごめんね…。 」
ノエルは余韻が冷めると急に現実に戻ったようで…西沢に対して何かひどく悪いことでもしたかのように何度も謝った。
「謝る必要なんてないだろ…。 愛し合っただけなのに…。
謝らなきゃいけないとしたら…約束破った僕の方…ご両親の許可を貰ってからだなんて言って置いて…。
きみのお父さんに殺されそうだね…。 」
そう言って西沢は笑った。
ノエルもつられて微笑んだ…が…親父なら殺しかねない…とは思った。
ずっと僕の傍に居てくれる…?
何もしなくていいから…今のままで構わないから…そう西沢が訊ねた。
ノエルはほんの少し躊躇っていたが…誰も…何も変わらないなら…と小さな声で答えた。
ほっとした笑顔で…有難う…と西沢は言った。
変わらないよ…みんなそのまま…恭介も輝も亮も…父さんも…みんな…今までどおり…そう言ってもう一度…ノエルを抱き寄せた。
我々が言うところの悪とは何か…を考えてみると…時代や宗教によってまたは民族や文化によって捉え方が異なっている。
悪とは…相容れない宗教…敵対する国…反目し合う民族…と考える者も居るし…或いは殺したり、盗んだり、偽ったり、欺いたり…社会的な反正義を行う者…と考える者も居る。
魔物だの化け物だの鬼だのと言われているものが…実は自分たちが情け容赦なく滅ぼしてしまった種族を表わしていたり、追い出してしまった先住民族を意味していたりすることもないわけではない。
人間は時に自分たちの行為や歴史を正当化するために、犠牲になった者たちを悪と表現したり、悪魔や物の怪、動物などに置き換えてしまうことがある。
さらに…人間というものを正当化するために、人が悪いことをするのはその人の心のせいではなく…その人の心に巣食った鬼…魔物…悪魔…悪霊などのせいだと責任転嫁を行うこともある。
どちらも良心や神仏に対する自己弁護に過ぎない。
それらのことを考慮に入れると…倉橋や三宅に残る古文書の言う魔物…とは化け物や悪魔と言った具現化されたイメージのものではなくて…人の心そのもの…ではないかと西沢は推測する。
前の世界が滅びた時に滅亡の原因をつくって逃げ出した者たちとは…HISTORIANが擬人化しているだけで…やはり同じく心ではないだろうか…?
現代人の心の中に当時の人々と同じような悪心が芽生えて世界を再び滅びに導こうとしている…そんな図式を思い浮かべてみる。
けれど…その推測は容易に否定される…。
心はその人その人に個別に存在するもので…別に何処からか逃げ延びて現在に至っているわけではない。
それにもし単に人心の腐敗だけが原因ならば…放っておいても世界は滅びるわけで…磯見や岩島たちが暴れる必要もなければ、HISTORIANの存在意義も否定される…。
そもそも…HISTORIANという組織が誕生した時に、来るべき未来に戦うよう運命付けられた敵とは何者…?
五行の気はそれを逃げ延びた悪の正体…と呼んだ…。
それは今…磯見を始め多くの潜在記憶保持者を操っている。
どうやって…?
巨石に近付いたこと以外に…他の何かと接触があった様子もないのに…?
待てよ…磯見たちはHISTORIANを潰すために操られているとしても…それだけじゃ世界は滅びない…。
潜在記憶保持者を操っているもの…はどんな方法で世界を滅ぼすと言うんだ?
それに目的は…?
例えば…もう一度…過去に滅んだ自分たちの世界を甦らせるため…とか…?
或いは…亮が言っていたように再び選別が行われる…いや…それはないな…。
だって選別ならこんな七面倒なことしないだろう。
地震か洪水一発で終わらせられるじゃない…。
一発…?
不意に西沢の背筋を冷たいものが走った。
核爆弾…。
世界各国の上層部を操って…核戦争でも起こそうってか…?
現段階では…HISTORIANの抑止力でそこまで手が出せないで居るのか…?
ひょっとして…HISTORIANが国籍も名前も明かせないのは…あらゆる国の政治の裏側に関与しているから…?
待ってくれよ…国が相手じゃ僕なんかじゃ…どう動きようもないじゃないか…?
いくらHISTORIANがあちらこちらの能力者たちに手紙を送っても…その手紙が真実を述べていると分かったとしても…どの能力者も二の足を踏むぜ…。
国家が相手じゃどうしようもないって…。
いや…国を直接相手にしろと言ってるわけじゃないよな…。
国を脅かそうとしている得体の知れない何者かをどうにかしてくれと言ってるんだから…。
落ち着け…紫苑…落ち着いて考えろ…。
そいつ等は…見えない敵…だけど能力者なら何とかできるかもしれないとHISTORIANは考えたんだ…。
抑止力で上層部を保護している間に…そいつ等を誰かに何とかして貰いたい…自分たちだけでは世界中を護るなど到底…手が足りない…そういうことだ…多分…。
怜雄…怜雄だ…。
怜雄になら何か分かるかも知れない…。
あの学者頭になら…何か閃くものがあるかも…。
僕の気付かない何かを見つけてくれるかもしれない…。
そう思いついて西沢は仕事部屋を飛び出した。
後期試験が終わったすぐ後の土曜日…西沢はノエルを連れて高木家を訪れた。
勿論…結婚の承諾を得るため…。 智哉のぶっ飛ぶ顔が眼に浮かぶ…。
くぇっこんんん…! 息子が男とぉぉぉ!
すでに裁きの一族には有から話をして貰って宗主の了解を得ていた。
宗主は…太極の化身を妻にするのか…豪快だな…と愉快そうに笑ったという。
今頃は一族の特別な名簿にノエルの名前が記されている。
其処に記されてあれば…戸籍上はどうあれ…ノエルの配偶者としての権利が侵害されるようなことはない。
早い話が事後承諾…すでに届けを出したようなものだ。
智哉は…思いの外…冷静だった。
ある程度…そういう事態になるかもしれないことを予測していたようにも見受けられた。
西沢の丁寧なお詫びとお願いの言葉を聞きながら何かじっと考え込んでいた。
しばらくするとノエルだけを部屋の外に出した。
「西沢さん…あの馬鹿息子はともかく…あなたは本当にそれでいいんですか?
実は…滝川先生や有さんから事情は聞いていました。
何かのトラブルに巻き込まれたせいで…あいつの症状がだんだんひどくなっているから…このままじゃ大変なことになる。
気持ちをどうにか安定させるには想いを満たしてやるのが一番だと…。
ですが…あいつは…いつかは西沢さんを裏切るかも知れないんですよ。
好きな女でもできりゃ…あなたへの想いはすぐに消えてしまうかもしれない…。
あいつの想いなんて…それくらい儚いもんなんですよ…。
それでも一緒になってくださると…? 」
智哉は気遣わしげに訊ねた。
ノエルのため…というわけではないのです…。
西沢は少し切なげに微笑んだ。
「いつか…そういう日が来るだろうことは覚悟しています。
けれど…ノエルが好きだから…その日までは寄り添って居たいんです。
その時が来たらちゃんと僕の許から送り出してやりますよ。
もともと自分は男だって意識が強い子だから…とてもじゃないけど何時までも僕の奥さんでは居られないでしょう…。
それはそれでいいんです。
止まってしまった時が再び動き出した証拠なんだから…。
心配しないでください…ノエルは好きなように生きられます…。
ノエルが望まなければ女性扱いもしません。 」
智哉は大きく頷いた。
ノエルが心を病んだ時に…智哉はそうとは思わずかえってノエルを傷付けるような言動ばかりしてしまった。
そればかりか自分が受けた衝撃をそのまま怒りに代えて、何の罪もないノエルにぶつけてしまった。
結果…ノエルは家を飛び出し…未だに居場所を得られないまま…。
それでもずっと西沢が傍に付いていてくれたおかげで道を誤ることもなく無事に過ごしてきた。
西沢は今…そのノエルに居場所を与えてくれようとしている。
ノエルの傷ついた心を癒すために…。
将来のことは分からないが…取り敢えずはノエルの心を安定させることが先決…。
西沢には心から申し訳ないが…馬鹿息子を嫁に出すとするか…。
嫁に…ねぇ…なんとも複雑…だ。 まあ…すぐに暇を出されるかもしれんが…。
とにかく戸籍上はなんともしようのないことだし、身内で認め合うだけの結婚だが…それでも…寄り添う間はふたりが幸せでいてくれるといいな…。
花嫁…?を託す父親として智哉は心からそう願った。
たとえ…共に過ごせる日々が僅かな月日だとしても…。
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