徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第二十話 疼く身体…苛立つ心)

2006-06-11 16:27:10 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 「とにかく…今回は何事もなくて助かりました。
暑い時ですけれど…森の中は過ごしやすいですし…ご年配の方に合わせてゆっくりした散策程度の探勝会に致しましたので…。 」

 荘川から帰ってきた紅村がほっとしたように微笑んだ。
お疲れさまでした…と西沢は労を労った。

 探勝会は年に三回~四回ほどあって、紅村の遊山仲間の俳句の先生や水墨画の先生がそれぞれの生徒たちのために企画する小旅行なのだそうだ。
 勿論…自然保護の啓蒙を兼ねてのことだが、堅い話は一切抜きにして自然を心行くまで楽しんでもらい、そうすることで自然の大切さを実感してもらうのが目的だという。

 「どのくらい効果があるものかは分かりませんけれど…無意味ではない…と僕も仲間たちも考えております…。 」

そう言って紅村は穏やかに笑った。

 サイン会の仕事であちらこちら出掛けている桂には電話で話をしたが、紅村とは仕事帰りに待ち合わせた。
 相庭一族の経営するカフェ・バーは相庭に知られたくないことでもない限り、西沢にとっては安全な場所と言ってよかった。
 
 店のママは西沢の顔を知っていて西沢たちが来るとすぐに他の客から離れた席に案内してくれた。

 何気ない荘川での話から始まって軽い話で談笑した後、西沢は例の注意情報について紅村に話した。
 紅村や桂は族姓を成す能力者ではないので外からの情報は入りにくい。
その都度個人的に伝えておく必要があった。 
 
 「それにしても…その方のように力を感知できないというのは困りものですね。
不意打ちでもされたら防ぎようがありませんからねぇ…。 」

 紅村は幾分不安そうに言った。
まったく…と西沢は答えた。 

 「それもおそらく…ひとりやふたりのことではありません。
紅村先生や桂先生は通常…単独で行動されるので十分注意してください。 
今のところは襲撃対象を特定の組織に限っているようですが…。 」

西沢の忠告に紅村は素直に頷いた。

 店のドアが開いて何人かの客がどやどやと入ってきた。
ママの案内で西沢たちとは離れた席に向かって行った。

 おや紫苑…珍しいところで…とその中の誰かが声をかけた。
そちらを見ると金井が立っていた。

 「久しぶり…相変わらずあれやこれやでご活躍だな…。
そちらは…紅村先生…ご歓談中にご無礼致します。 」

金井は挨拶を済ますと急に眉を顰めながら小さな声で囁くように話し始めた。
 
 「実は…磯見がな…おかしくなっちゃったんだ。 
仕事にはきちんと出てくるんだけれど…突然…じっと考え込んで…フリーズ状態…話しかけても反応なし。

 家族に聞いた話じゃ…急に家を飛び出して行って…帰ってくると自分が何処で何をしていたのか覚えてなかったりするんだそうだ。  

 磯見だけじゃなくて…あの番組で事故にあった連中が多かれ少なかれ同じような症状を起こしているらしい…。
事故のショックによる後遺症じゃないかと上の方でも頭を痛めてる。 」

 へぇ~元気そうだったのにねぇ…と西沢は当たり障りのない答えを返した。
また様子知らせてよ…海から拾い上げた僕としては気になるからね…といかにも心配そうな顔を見せた。

 額面どおりに受け取った金井は快く承諾した。
それじゃ…紫苑…またな…お邪魔さまでした紅村先生…。
笑顔でそう声をかけると金井は足早に仲間の待っている席の方へ去っていった。
  
 「どうやら…だんだん動きが出てきたみたいですねぇ…。 」

少し緊張した面持ちで紅村が言った。

 「もうひとつ…注意しなければならないのは…これが単にふたつの組織同士の争いに過ぎない可能性もある…ということです。
 例のHISTORIANと敵対する何処かの組織…。
HISTORIANが戦いを有利に展開するために僕等を利用しようとしているとも考えられなくはないのですから…。 」

西沢が言うと紅村も仰るとおりですと頷いた。

 「ただ…西沢先生…ふたつの組織の争い…と言うには…妙な行動に走る者同士の間に繋がりが無さ過ぎると思われませんか?
 おそらく同じ行動をとっていながら顔も名前も知らない者同士じゃないかと…。
組織のひとりとして協力して戦うという感じではないですね。 」

それには西沢も深々と頷いた。

 「分かりにくいのはそこなんですよ…。 
英武や輝が言うには自分の意思で動いているわけはないのに…誰かに操られているとも思えない…そんな状態なんだそうです。
夢でも見ながら動いているような…と輝が言っていましたが…。 」

 日頃…あちらこちらの教室で何人もの人と接している紅村もそんな状況には今まで出くわしたことは無かった。
少しばかり記憶が飛んでしまう人は数多く見ていたけれど…。 

 とにかく何かがはっきりと動き始めたことは確かだから…西沢の言うとおり警戒を怠らない方がいい…。

 生真面目な紅村の気合の入った表情見て西沢は苦笑した。
紅村先生は真っ直ぐな方だから…。
 あんまり…端っから真正面に構えない方がいいですよ。
やたら疲れるばかりだし…いざという時固まっちゃって動けません…。

 そう言われて…それもそうだと紅村は思った。
思いっきり肩に力の入っている自分に気付いて何だか可笑しくなってきた。
今にも噴出しそうにしてこちらを見ている西沢と声を上げて笑った。



 明け方…やっと六枚目の挿絵を描き終えて…今日が締め切りの仕事は完了。
これで相庭が来るまで寝られるぞ…とベッドに潜り込んだ。

 西沢の報告に対する上からの指示は引き続き調査せよとの内容で、これまで依頼に過ぎなかった扱いが指令書へと転じた。 

それもこれも後…後…後! とにかく今は眠りたい。

 潜り込んだベッドの傍らにノエルの温もりがないことをぼんやりした意識の中で感じていた。
 ああ…夕べは亮のところだったんだ。
引っ掻き傷が増えてないといいけれど…亮が気付いて…ノエルを…止めてくれると…いいけど…。
身体ごと引きずりこまれるような感覚とともにふっと意識が遠のいた。


 のっけから容赦なく照りつける夏の陽とともに街が少しずつ覚醒していき、やがて動き出す音があちらこちらから響いた。

 開け放した窓から夏場には珍しく爽やかな風がすうっと部屋の中を吹き抜けてカーテンを翻した。
姿の見えない何かがそうっと滑るように西沢に近付いていく。

何かに圧し掛かられるような気配を感じて…西沢は目を覚ました。 

 「五行の…気…なんて…久しぶりなご来臨…。
また僕のエナジーでも抜きに来たのか…? 」

 まさか…とその気は笑った…。
気が笑った…と感じたのは気の振動が西沢の身体に伝わったからだが…。

 おまえに…伝えたいことがあってな…。
前と違ってレベルを下げなくても会話が出来るようになったので助かる…。

 「ふうん…ノエルに産んで貰ったエナジーの基盤の効果かな…。
太極とも直に話が出来るようになったし…。 」

西沢は呟いた。

 まあ…そんな話はどうでもいい…。
おまえは…失われた世界のことが知りたいのだろう…?
 だが…知らなくてもいいことだ…。
時々…我々の記憶領域に入り込もうとする連中がいるが…迷惑している…。

 「アカシックレコード…気の記憶領域だったのか…? 」

 人間の考えの及ぶ限りでは…宇宙創世から137億年分の記憶…の保存されている場所…HISTORIANが有事に備えてリーディングを試みている場所。

 生命が誕生してからでさえ…40億年の年月…これも人間の考えた年月だが…その中のたったひとつの出来事を断片だけ読み取って…何の役に立つと言うのだ…?
そんなものでは何も分からんよ…。

 別に…おまえにも過去を解き明かしてやるつもりはない…。
知ってどうなるものでもないのだから…。

 ただ…おまえたちの言う40億年の記憶は…我々の記憶領域だけではなくて…おまえたちの中にも存在するものだ…。

 逃げ延びた悪…がどうやって逃げ延びたか…よりはむしろ…逃げ延びた悪とは何なのかを考えて見るがいい…。 

 「逃げ延びた…悪…の正体…? 」

 まあ…おまえたちが滅んでも…我々に何ら支障はないが…また新しいものを作り出すのもなかなか面倒なのでな…。

 「よく言うよ…。 人間が壊したものを補修・再生するより…人間を消して新しいものを作った方が楽だと言っていたのはあなただろ…。 」

声を上げて西沢は笑った。

 何があったか…などは話すまい…。
今の世の中…おまえたちの周りをよくよく見れば分かることだから…。
 同じ轍を踏むのが人間の宿命なら…この世界も終わりに近いということだ…。
我々が手を下すまでもない…。

 「有難う…無い知恵絞って考えてみるよ…。 気の御厚意に感謝する…。
それはそうと…なかなか素晴らしいレチタティーボを聴かせて貰った。
あれは…あなたの…? 」

 ふふんと少しばかり自慢げに気が笑った。
宇宙が舞う時には…何かが起こるものだよ…。
そう言って…西沢の部屋から次第に気配を消していった。


 チャイムに叩き起こされて…ぼーっとしたまま仕事部屋へ行き、イラストをカルトンに挟んだ。
 そのまま玄関の扉を開けると…寝てらしたんですか…?といつものように非難めいた視線を向けて相庭はカルトンを受け取った。
 カルトンはすぐに相庭について来ていたK出版社の担当に渡された。
担当は挨拶の言葉もそこそこに飛ぶように帰って行った。

 新しい仕事のリストを手渡しながら相庭が説明しようとした時、相庭の背後の扉が開いてノエルが戻ってきた。
  
 今日は~っと相庭に声をかけながら寝室の方へ引っ込んでいった。
相庭はざっと説明を続けたが、西沢が話に集中していないようなので、まあ…いつものことですから読めば分かります…と早々に引き上げていった。

 寝室の籐の椅子の上でノエルが蹲っていた。
早番の亮が書店へ出かけるのに合わせて帰ってきたのだろうが、ノエルの出勤はこれからだというのに妙に元気が無かった。

 「ノエル…お腹痛むのか? 」

 ノエルはチラッと西沢を見たが何も言わずに向こうを向いた。
西沢は膝をついてノエルの下腹部に手を当て様子を探った。

 「ひどいな…。 亮にあれだけ注意したのに…。 」

 違う…とノエルは言った。
亮にその気は無かったんだけど…僕が身体を引っ掻くのを止めさせようとして…。
どうしても苛々して…身体疼いて…。
 僕が頼んだの…。 壊してくれって…。 
でも…亮は優しいから…そんなことできないって断られた…。
だから…仕向けたの…壊れてしまうように…ちょっと苦しかったけど…。

哀しい溜息が西沢の唇から漏れた。

 「ノエル…僕にこどもを産んでくれるんじゃなかったの…? 」

えっ…? ノエルは怪訝そうに西沢の顔を見た。

 「ノエルの大切なお腹で…僕の赤ちゃん…産んでくれるんじゃなかったの?
そんなひどいこと繰り返していたら…できなくなっちゃうよ。 」

 だって…僕には…僕には赤ちゃんなんて産めないはずでしょ…?
紫苑さんだって…本当は…分かってるくせに…。

 西沢はノエルの治療を始めた。
ノエルの心が落ち着かない限り何度治療を繰り返してもきりがない。
それでも治療を止めるわけにはいかなかった。

 「人間の身体は時に奇跡を起こすって…僕は信じてる…。
だから…大切にして欲しいってあれほど言ったのに…。 」

 ノエルの身体から痛みが引けば…ノエルの心がまた苛立つ…。
どうしたら良いのだろう…。

 輝のことが起きる前にはこれほどひどい症状は無かった。
むしろ…安定しかけていたのに…。

 ノエルのためにと懸命に治療を続けながらも…どこか遣り切れない思いが西沢の胸を締め付けた。  






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続・現世太極伝(第十九話 変わらないで…。)

2006-06-09 18:29:56 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 いつもなら起こしても起きないノエルだが今朝は夜明け前にふと目を覚ました。
西沢はさすがにまだ眠っている。
 無数にあった身体の引っ掻き傷は西沢の治療で難なく消えていったが…時々また新しいものが増える。
 死ぬまでここに居てもいいと言ってくれたし…結婚まで申し込んでくれたけれど、ノエルの心が安定するには至っていない。

 西沢はノエルが望めばノエルを傷つけない程度には遊んでくれる。
けれど…西沢が自分から求めたことは一度もないし…ひとつになったこともない。

 だって…いままでは…ずっと小さな子どもみたいに可愛がられていたんだ。
良い時も悪い時も西沢は自分の膝の上に座らせて諭すように語りかけた。
言わば怜雄の子どもたち…幼い恵や有理と同じような扱いを受けてきたわけで…。

 相手が輝ならそんな扱いは絶対にしない。
居候を決めてから一年以上にもなるからノエルも何度か濡場に出くわしている。
 結婚申し込むなら当然…輝にだろ…毎度断られ続けているにせよ…。
あ…それとも…あんまり断れたんで矛先を変えたのかな…?

 自分の命を捨ててまでノエルを護ってくれた人だけれど…その愛の形が結婚に結びつくようなものだとはどうしても考えられない…。
 ノエル自身の気持ちはどうあれ…西沢の方はまるで我が子を見守るような気持ちでいるのではないかとさえ思う…。

 紫苑さん…。 小さな声で呼びかけると西沢は眠そうに薄目を開け、それでも笑顔でノエルを抱き寄せ、またすぐに寝入ってしまった。

 ま…いいか…慌てることないもんな…。 
そのうちに紫苑さんの気が変わるかも知れない…。 
 僕が返事してからの心変わりじゃ…なんか哀しいもんね…。
そんなことを思いながら…ノエルは再び眠りの世界へと落ちていった。 
 


 やれやれ…外は暑いな…と汗を拭きながら怜雄は居間のソファに腰を下ろした。
亮が冷たい麦茶を渡すと嬉しそうに一気に飲み乾した後で、はい…お土産…と持ってきたフライドチキンの箱を渡した。
 キッチンからエプロン姿で前菜を運んできた英武を見て、おやおや…なんて珍しいお姿…と笑った。

 「何がそんなに可笑しいのさ。 僕だってオードブルくらいはできるよ。
千春ちゃんがいくつか教えてくれたからさ。 」

 ノエルの妹千春と付き合い始めて一年余りになるが…英武は齢の離れた千春にますますヒートアップ…。

 千春がオードブルねぇ…ついに花嫁修業でも始めたか…とノエルは肩を竦めた。
人のこと言ってる場合じゃないだろ…と亮が囁いた。

 キッチンの方では西沢と滝川がそれぞれ腕を振るっていた…と言っても肩の凝らない簡単なスナック・メニューではあったけれど…。

 「ひと雨…来そうよ。 風が匂うわ。 
ノエル…デザート…。 アップルパイ…冷蔵庫に入れといて…。 」

 最後に現れた輝が花模様の四角い箱を差し出した。
うん…ありがと…と普段どおりの返事をしてノエルは箱を受け取った。

 「今日は…紅村先生や花木先生は来ないのか…? 」

 怜雄がキッチンに向かって訪ねると、花木先生は今日は九州の何処だかで出版サイン会…紅村先生は探勝会の打ち合わせだそうだ…と答えが帰ってきた。

 「そうか…面白い人たちなのに残念だな…。 」

 おおかた準備が終わると居間のテーブルの周りにいつもの顔が揃った。
堅い話は後で…ということでまずは食事を楽しんだ。
 食事の間中…ノエルは輝の様子が気になっていたが…輝はいつもとまったく変わらなかった。
 片付けをしている時も…傍であれこれ話をしながら…アップルパイを切り分けていたが、特にノエルに対してどうこうは言わなかった。


 「さて…とこれが彼等から届けられた手紙…眼を通してみて…。 」

 SF小説の粗筋書ような短い手紙が怜雄たちの間で回された。
読んだ後のみんなの当惑したような表情がその難解さを表わしていた。

 「まあ…簡単に言えば…神さまの怒りで起こされた天変地異によって世界が壊滅する寸前に…その原因となった連中が逃げ出して生き延び…現代に現れて再び悪さを始めようとしている…ということだな…。 」

怜雄が最初に口を開いた。

 「悪が逃げ延びて…無関係な人が死んだんじゃ…天罰の意味ないじゃん。 」

ノエルが不満げに言った。

 「自然現象だよ…ノエル…。 後世の人が伝説に宗教性を持たせただけさ…。
自然は無差別だからね…。 悪の方が逃げ足は早かったんだろう。 」

 何時の時代でもそんなもんさ…。  
滝川はそう言って笑った。

 「逃げ足はともかく…いくら悪でも現代までは生き延びられないよ。
万のつく歳月なんだから…さ。 
 それが再び出現したというのはどういう意味かな…? 
HISTORIANと同じようにどこかに組織として潜伏していたとか…?
まさか…本当に本人たちじゃないよね? 」

英武が不安そうに言った。

 「タイムマシンでもなきゃ無理でしょう? 
今でも造れないそんなものが一万年以上も前にあったというの? 」

馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに輝が肩を竦めた。

 「必ずしもタイムマシンとは限らないよ。 ねえ…紫苑…? 
まあ…全くと言っていいほど在りえない話だけど…重力を考えた場合にはね。 」

亮がそう言うと西沢は頷いた。

 「そう…重力の強い場所では時間が遅れるという話をそのまま考えればね。
時空の歪み…という言葉からは僕も重力を思い浮かべたんだが…。

 何も考えずに…言葉だけから受け取れば、重力の強いところへ逃げ込んで何十年か経って出てきたら外の世界ではなんと一万年経ってました…なんて話が出来るけど…それは笑い話に過ぎない。

 その説はきみの言うとおり在り得ないね。 選択の余地なし…。
そんなところでは何も存在できないと言うか…そんなところへ落ち込んだら光だって脱け出せない…。 」

 ああ…ブラックホールのことね…。  
それは逃げ込める場所じゃないな…と怜雄が頷いた。

 「むしろ…輝の言うタイムマシンを考えた方がいいね。
タイムマシンを意図的に造ったと言うよりは…たまたまそういう働きをするということなんだが…光速或いはそれに近い速度の出せる宇宙船だ…。

 それに乗って光速で十年ほど宇宙を旅してくれば…地球では万のつく年月が経っていると…まあそんなところ…。 」

西沢が夢のような話をすると、理論上はね…と怜雄は笑った。

 「そうだな…地球の重力と同じ1Gの加速度で中間距離まで加速して、その後、減速するという行程を90%~100%の光速で一万何千光年の距離を旅すると…まあ船内時間で10年ほども経てば地球では一万何千年以上たったと言う話にはなるな…。
 けど…口で言うような簡単なこっちゃないからね…。 そんな宇宙船…そうそう造れたもんじゃない…。 
 あのシャトルでさえ、だいたい時速一万キロ…光速と言えばあなた…秒速三十万キロよ…。 分かる? 」

 うん…まあ…何となく…言いたいことは…。
ちょっと引き気味に英武が答えた。
そんなに高速の宇宙船はまだ造れないってことだけはね…。

 何で…? 宇宙船で10年しか経ってないのに地球で一万何千年も経つのさ?
ひそひそ声でノエルが亮に訊いた。
 よせ…ノエル…話が別の方向へ行く。 
後で説明してやるから…物理で習っただろ…。

 「それは…つまりだね…。 高速の乗り物の中では時間に遅れが生ずるからだ。
高速の乗り物の中で床から天井に光を放つとすると中に乗っている人にはまっすぐに光が天井に向かうのが見えるだろ。
 それを乗り物の外から見ると光も乗り物の動きと一緒に斜めに移動しながら天井に向かうので、その分、光が天井に到達する時間が長くなるわけだね。
そこに時間の遅れが生じるわけよ。 」

 よくぞ訊いてくれました…とばかりに怜雄は満足げに説明を始めた。
話がそのまま重力にも及ぼうとしている気配なので慌てて西沢が止めた。

 「物理学の講義はまた今度ということで…話を本題に戻そう。
怜雄…分かりやすい説明を有難う…。

 とにかく…タイムトラベルだか何だか方法は分からないが…その逃げた悪どもが帰って来て人類を滅ぼそうと企んでいるわけだ。

 で…ヒントとしては…すべては人の中に潜むという言葉…。
あと…亮とノエルが実際に見た公園で外国人を襲っていた人物…。 」

何か覚えてる…?と訊かれてふたりは顔を見合わせた。

 「見た感じ…日本人だったよ…。 僕…すぐのびちゃったから…顔貌は覚えていないけれど。」

ノエルが言った。亮もそれに同意した。

 「若い男だったような気がする…170cmくらいの…そうだね…玲人さんくらいの体型で…。 」

覚えている限りを亮が話した。

 「輝…英武…ふたりの自覚していない記憶を読み取ってみなよ…。 」

 滝川がそう勧めた。
そうね…と輝がノエルに触れた。英武も亮の手を取った。
ノエルは少しどきどきした。

 「普通の…若い男だわ…。 ノエルたちの言うとおり日本人よ。
おかしいわ…。 この男には自分が能力者であるという意識がないのよ。
それなのに特殊な力を使っている…。 」

輝はちょっと首を傾げてからもう一度ノエルに触れた。

 「夢を…見ているような状態なんだわ…きっと。 
催眠術にでもかかっているのかしら?」

 あぁ~…と英武が妙な声を上げた。
みんなの目が英武に集まった。

 「この男知ってる…。 磯見くんじゃない? 紫苑…ちょっと手を貸して。 」

 西沢が手を出すと英武はその手を取って男の顔を西沢に見せた。
暗がりでぼけてはいるが…なるほど磯見のように見える。

 「なんで…磯見が…? この男が特殊能力者だなんて…気配もなかったのに。」

西沢は怪訝な顔をした。 

 「確かにそうだよね…。 僕もこの前会った時には感じなかった。
今…ひとつ言えるのは…どうも…本人の意思で動いているわけじゃなさそうだ。
かと言って…何かに操られているとも思えないんだけど…。 」

英武も判断に困った。
 
 「遺跡で妙な状態に陥った人たちの…その後の行動を調べてみる必要がありそうだな…。
 被害に遭ったのは一般の人たちなので…どのくらいの情報が得られるかは分からんが…出来るだけ手配してみるよ。 」

滝川が思いついたように言った。

 「恭介…少し前にこの地区へ足を向けた人たちを中心に調べてくれないか…?
隣町の駅裏にあるHISTORIANの拠点が襲われたんだ。
 襲った人たちは…磯見と同じ状態にあったと考えていい…。
遠くからわざわざ出向いて来ているようなら…突発的な行動じゃなくて…いくらか前から妙な言動があったに違いない…。 」

 西沢はそう滝川に頼んだ。
了解…やってみよう…と滝川は答えた。

 すべては人の中に潜む…か…。
怜雄がしみじみとその言葉を繰り返した。



 あまりに荒唐無稽な手紙のことは伏せておき、特殊能力者とは感知できない能力者が現れ、特定の能力者が襲われるような事態が起きているという情報だけをそれぞれの一族に持ち帰えるよう西沢はみんなに指示を出した。

 その攻撃の矛先がこれから何処に向けられるか分からないので注意するようにとの警告を添えて…。
 勿論…同様のことは上へも報告した。
上の判断で御使者仲間から関連する一族へ…滝川を通じて全国の家門にも注意情報は伝えられるだろう。

 みんなが引き上げた後…ノエルがぼんやり籐のソファに座っていた。
いつものようにくしゃくしゃっと頭を撫でた西沢の手をノエルが捕まえた。
ソファの前に膝をついて西沢はノエルと目線を合わせた。
 
 「輝さんに…きっと…分かっちゃったよ…。
僕のこと読んだから…。 
輝さん怒らない? 紫苑さんとの仲…まずくならない? 」

 西沢と輝の関係に罅が入ることを心配するノエルは不安げに言った。
輝は…ずっと前から知ってるよ…と西沢は微笑んだ。
隠したりしないんだ…お互いに…。

 「僕…嫌だな…。 輝さんと紫苑さんの関係を壊しちゃうの…。
だって…ずっと…ずっと…愛し合ってきたんでしょ?  」

ノエルは哀しげに西沢を見た。

 「壊れたりしないんだ…ノエル。 
僕がきみを好きになっても…何も変わらない。
輝も…恭介も…誰も何も変わらない…。
 それとも…僕はきみだけのものになった方がいいかい? 
浮気者の僕は嫌い…? 」

西沢は穏やかに微笑んで訊ねた。

 「ううん…変わらないで…。 このままがいいんだ…。
このままが一番…居心地がいい…。 みんな変わらずに居て欲しい…。 」

 ノエルも笑顔を見せた。
西沢の腕がそっとノエルを抱きしめた。
 16で時間を止めたノエルの…心…何時か扉が開きますように…。
大丈夫…何も…変わらないよ…安心して…ノエル…。






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続・現世太極伝(第十八話 喜劇…プロポーズ)

2006-06-07 18:39:58 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 三宅が彼等と関わりを持ったのはほんの少し前…美咲の写した写真が手元へ戻ってきてからだった。
 美咲が最後に見ていたものをどうしても知りたくて、無駄だとは思いつつも再び葦嶽山へ行ってみた。
 そこで熱心に巨石を観察している塾長と出会い…趣味の話で意気投合し…勉強会に誘われたとのことだった。

 まあ…その程度の付き合いじゃ…パシリでも仕方ないか…。
それでもましな扱いの方だ…。
 新顔の三宅を連絡係に選ぶとは…彼等もよっぽど切羽詰っていたんだな…。
それとも…わざわざ三宅を選んで組織に引っ張り込んだのか…? 

 三宅にはこれから先は出来るだけ彼等とも距離を置くようにと忠告した。
彼等を襲った連中が無関係な三宅にも牙をむかないとも限らないから…。



 三宅が役目を終えて安心して帰って行った後で、西沢はもう一度、さほど長くはない原文と翻訳文を読み返した。
 予言されていた危機…。時空の歪みによって繋がった過去と現代…。
再び滅亡を招こうとしている過去に追放された者たち…。
そして…彼等の言葉…すべては人の中に潜む…。

 仕事部屋でも…キッチンでも…湯船の中でも…繰り返し内容を思い浮かべ、ああかこうかと検討してみる。
思いつく限り考えては見たが…そのパズルは容易に組み立てられなかった。 

 何はともあれ…ノエルが戻ってきたことは確かなので、その点ではやっと落ち着いた気分で手足を伸ばした。

 ノエルはまだ…萎れたままで…この暑いのにいつもの西沢のパジャマに包まって籐のソファの上に居た。

 いつものようにノエルの頭をくしゃくしゃっと撫でて通り過ぎようとした。
ふと…大きなパジャマの襟から覗くノエルの身体に眼を止めた。

 「ノエル…その傷どうしたんだ? 」

 無言のまま答えないノエルのパジャマのボタンをひとつはずすと…ノエルの身体には瘡蓋になったものや血の滲んだ無数の引っ掻き傷が残っていた。

 「だって…嫌なんだ…この身体…。 考えただけで…うずうずして来るんだ。
傷ができるとスーッとする。 壊れちゃえばいいんだ…。 」

 西沢は俯いたまま何も言わなかった。
西沢がノエルのパジャマに手をかけたままじっと動かないので、ノエルは不安げに顔を覗き込んだ。 
 
一筋…二筋…涙が頬を伝っていた。

 「ごめんな…ノエル…。 もっと早く気付いてやればよかった…。
待っていないで…迎えに行ってやれば…よかった…。 」

 違う…これは…紫苑さんのせいじゃない…。
僕が…僕が…馬鹿だから…。 

 「痛かったろうに…。 ごめんな…。 」

 違うってば…。 どうしよう…紫苑さん泣かせちゃった…。
ノエルはうろたえた。
 
 「ノエル…こんな冬のパジャマじゃ…汗で傷がひりひりするよ…。
夏のやるから脱ぎな…。 
そう言えば…去年もそれで通したな…もうぼろぼろだろ…処分しよう。 」

西沢は収納棚の扉を開けて新しい夏物を取り出そうとした。

 「僕…新しいのいらない…。 」

 そう言うとノエルはソファを降りてベッドの上の肌掛けの中に潜り込んだ。
だめ…これは…これは…ここを出て行く時に持っていくんだ…。
心の中で叫んだ…。

 「だって…ノエル…襟の辺りも擦り切れてるし…冬物がいいなら他のをやるよ。
新しいのが買い置いてあるんだ。 」

 西沢が新品のパジャマを取り出した。
明日一度洗濯してからあげるよ…。

 「これがいい…。 これじゃなきゃだめ…。 」

ノエルの執着心に西沢はふうっと溜息をついた。

 だって…これは…紫苑さんなんだ…。
いつか…ここに居られなくなっても…きっとこれがあれば…。

 「いま…何て…? 」

 西沢の心にいま確かにノエルの声が聞こえたような気がした。
絶えずノエルを取り巻く不安…居場所を失うこと…西沢を失うこと…。
 
 「僕の…代わりなの…それ…? 
そうか…じゃ…大事にしてもらわなきゃなぁ…。 」

聞こえちゃった…。 

 「でも…ノエル…本物はどうするの? 放りっぱなし?
それ…ひどくない? 本物も大切にして欲しいよなぁ…。 」

 きょとんとした顔をしてノエルは肌掛けの中から顔を出した。
西沢はベッドの縁に腰掛けて横目でノエルを見た。

 「置いてけぼりは嫌だなぁ…。
蝉じゃないんだから…脱け殻だけ持ってかれてもなぁ…。 」

 不満げに唇を尖らせながら西沢はぼやいた。
あっ…とノエルは思い出した。
 実母が西沢を道連れに無理心中を図った時に…西沢だけが生き残ったことを…。
置いてけぼりをくった西沢が…ずっと自分の存在意義を探し続けていることを…。

だけど…僕に何が出来る?

 「僕…ただの居候だもん…。 何の役にもたたないし…迷惑ばかりかけるし…。
我儘ばかり言って…甘えてばかりだし…居ても邪魔なだけだよ…。 
紫苑さんもそのうち持て余す…。 」

 ノエルは悲しげに笑った。
僕が居ても何にもしてあげられない…。  

 「脱け殻なんて…愛してないで…僕を愛してくれたらいいのに…。 」

 西沢が溜息混じりにぽつりと呟いた。
えぇっ…? 何それ…? 
ノエルは怪訝そうに西沢を見つめた。

 「ノエルがさ…ここに居たいんなら死ぬまで居てくれて構わないんだよ。
ただ…きみの気持ち次第で僕は扱いを変えなきゃいけないだろ?

居候か…友達か…恋人がいいのか…僕の奥さんになりたいのか…でさ。 」

 奥さんって…そりゃ無理だろう…いくらなんでも滅茶苦茶だ。
紫苑さんの頭の中ってどういう構造してんだろ…。
 
 「だって…可笑しくはないだろう? ノエル…両方なんだからさ…。
俺は男だ…そのままがいいってなら…友だちとしてここにいればいい。
紫苑だけは特別ってのなら…いっそ奥さんになっちゃえばいい。 」

 おいおい…極端すぎる…って。
さすがのノエルも頭を抱えた。 
 どぉすりゃいいの? 
有り得んし…。 そんなの…できるわけないじゃん!
それに…輝さんどぉすんのよ~。

 「まあ…急ぐことないから…考えといて…。
答えは二年先でも三年先でも構わないよ。 どちらにせよ…出て行かなくてもいいんだからね…。 
 木之内の父さんが…亮の嫁さんにしたいなんて言ってたけど…亮には彼女ができたみたいだしさ…。
なら…僕が貰っちゃっても良いかな~って…。 」

事も無げに西沢は笑いながら言った。

 笑いながら簡単に言わないでよ~。 僕…真剣に悩んでるのに冗談でしょ~。
こんな喜劇みたいなプロポーズ聞いたことないよぉ…。
あ~輝さんの嫉妬ってこれかぁ~?

 親父が聞いたら一週間は寝込むよ。
息子が結婚申し込まれたなんて…しかも男に…。
どぉぉすりゃいいんだぁ~!



 どうすればいい…?と訊かれても亮にも答えようがなかった。
普通の場合なら…好きな相手からプロポーズされたと聞けば、おめでとうよかったね…と言って祝福してあげればいいのだが、ノエルの場合は…。

 「ノエルは…どうしたって女の子にはなれないよなぁ…。 
生まれた時から男の子やってるんだもんな…。
紫苑の傍には居たかったんだろうけど…結婚までは…。 」

 答えに詰まった亮は有に相談を持ちかけた。
有は意外にも驚かなかった。

 「紫苑は別に…ノエルに女になれと言ってるわけじゃない。 
そのままのノエルでいいから紫苑自身を心の拠所にしろと言ってるんだ。
 それもひとつの方法だよ…。 ノエルの決心次第だな…。 
そうなったら俺はノエルの本当のお父さん…いいねぇ…それ。 」

 何言ってんだか…この親父は…。
亮は肩を竦めた。
 紫苑もよく考えるべきだよ…ノエルが困らないようにさ…。
時々…わけの分からない行動に出るからな…。

 「亮…誤解するな。 紫苑は好き嫌いだけの軽い気持ちでノエルに結婚を申し込んだわけじゃないぞ。
 いつ訪れるかもしれないノエルとの別れを覚悟してのことだ。
今は紫苑のことしか頭にないノエルだが…自分は男だっていう意識が強いから…いつかはその心が女性に向くかもしれない。

 その時が来たら潔く身を引くつもりでいるんだよ。
ノエルがずっと幸せで居られるように…紫苑なりに考えたんだろう。
それまでは自分が支えてやって…それからはノエルが支えていけばいい…と。 」

 有から西沢の本心を聞かされて亮は愕然とした。
亮もずっとノエルが好きだったけれど…別れを覚悟してまで一緒になろうとは思わなかった。
 
 「紫苑は…犠牲になるつもりなの…? ノエルを支えるために…? 」

いいや…と有は首を横に振った。

 「犠牲ではない…。 その日まで…その時が来るまで…ふたりの時間を幸せに生きようと思っているだけだ。
 それが紫苑の生き方なんだよ…。
紫苑ならノエルを在りのままに愛するだろうから…今までと何ら変わることなくノエルも生きていける。 」

 やがて訪れる悲しみと苦痛を覚悟しての…愛。
信じられねぇ…僕なら避けるよ…そんな結婚…絶対…考えもしない。
紫苑らしいと言えば…紫苑らしい…けど…。

 「ノエルには…そのうち紫苑から話すだろう。
黙ってろよ…ノエルが自分の気持ちに正直に決心できないといけないからな…。」

 すぐさまノエルに話してしまうかも知れない亮に有は釘をさした。
それでもきっと…紫苑は幸せなんだ…と…。






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続・現世太極伝(第十七話 どうして…こうなるんだぁ…?)

2006-06-05 23:46:26 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 最近ちょっとお洒落に目覚めたかな…春かなぁ…と心楽しく思っていたら、またもとに戻ってしまったノエルを見て谷川店長は心配そうに亮に訊ねた。

 あいつ…元気ないなぁ…失恋かぁ…?

 まさか西沢の恋人に手を出して気まずいことになってる…なんてことは亮の口からは絶対に言えない。
 ちょっとトラブルがあって…相手は気にしてもいないんだけど、本人が気に病んじゃって…と無難に答えておいた。

 自業自得と言えばそれまでだが…早番で上がっても寂しそうにひとりで亮の家に帰って行く後姿を見て、亮も何となく胸が痛んだ。 

 西沢のマンションをちょっとだけ見上げて溜息を吐きながら通り過ぎる。
そんな毎日が続いていた。
 何時か出て行かなければならない時が来ると覚悟はしていたものの…まさか自分が西沢を裏切るようなことを仕出かすとは思ってもいなかった。

 悲しくて…申し訳なくて…寂しくて…惨めで…前を向いて歩けなかった。
西沢の部屋のある方をチラッと見上げて…その後はまた俯いたまま通り過ぎようとした。

 「ノエル…。 」

 滝川の声がした。
振り向くと笑いながら手を振っていた。

 「この間305号に越してきたんだ。 ちょっと寄って行かないか…? 」

滝川はノエルの肩を押すようにして自分の部屋へと案内した。
  
 西沢の部屋より少し小さめの手入れの行き届いた小綺麗な部屋だった。
家財道具が少ないので広さの差はあまり感じられない。
 僕の仕事場はスタジオだからね…紫苑とこほど部屋数は要らないんだよ。
そう言って楽しげに笑った。

 「この部屋の合鍵…。 ノエルにも渡しとく…。 何処へも行けなかったら…ここへ来い…必ずだぞ…。
誰にも内緒で行方不明になるなよ…。 」

驚いて見つめているノエルの手に滝川は合鍵を握らせた。

 「おまえに何かあったら紫苑が悲しむからな…。
心配してるぜ…紫苑…。 毎晩ちゃんと…おまえの分まで飯作ってさ…。
朝…残った飯を溜息吐きながら喰ってる。

 まるで帰ってこない恋人を待つ女って感じ…。
あの紫苑がって笑っちゃうけどまさにそれ…。 

 紫苑が全然気にしてないって言ってるのにどうして帰らないんだ?
おまえは確かに馬鹿をやったけど…ありゃぁ半分は輝の責任だし…少しばかり浮気癖のある紫苑自身にだって責任があるんだぞ。 」

 滝川が解せないとでも言いたげな顔でノエルを見た。
だって…とノエルは洟を啜った。 

 「紫苑さんみたいな優しい人にひどい思いさせて…どの面下げて帰れる…?
いくら僕が恥知らずでも…恩人を裏切って平気じゃいられないよ…。

 それに…いつかは…あの部屋から出て行かなきゃならなくなる。
いま戻っても…紫苑さんの傍にいつまでも居座るわけにはいかない…。

 また居場所を失うなんて…そんな哀しい想いは…何度もしたくないもん。
だから…あそこには…もう僕の居場所はないんだって…そう想うことにしたんだ…。 」

 僕の居場所…四年間…求め続けてやっと見つけた束の間の安息…紫苑さん…。
滝川にはノエルの心の咽び泣く声が聞こえるような気がした。

 「あのなぁノエル…それじゃぁ輝の思う壺だぜ…。
輝は…普段は優しくて面倒見のいい女だけど…多少嫉妬深いとこあってな…。
 紫苑の傍からきみを追い出すくらいのことは手段選ばず平気でやる。
だからきみも平気な顔して紫苑の傍に居据わったらいいんだ。 」

 ノエルが眼をパチクリさせた。
輝さんの嫉妬…どうして…? あれは…ただのお遊びじゃないの…?

 「まぁ…とにかく…何があっても紫苑はおまえを追い出すようなことは絶対しないから…。
 居場所がなくなるなんて…無用な心配してないで…出来るだけ早く紫苑のところへ帰るんだぞ。」

 滝川にそう諭されても…はいそれじゃあ…と西沢の部屋へ直行する気にはなれなかった。
 何となく亮の家へもそのまま帰る気が失せて…とぼとぼと駅前の方へ戻っていった。
 


 ブランカの窓際…いつも西沢が好んで座る席へノエルは腰を下ろした。
元気ないわねぇ…大丈夫…?と注文を聞きに来た悦子が心配そうに訊ねた。
平気…と答えながらちょっとだけ笑ってみせた。

 カレーを頼んだ…。食欲なんてないけれどそれなら食べられるかもしれない…と思った。
梅雨時に食欲のなくなる亮がよく食べていたから…。

ノエルの席へ注文の品を運んだ後…悦子は亮にメールを送った。

 なんか…めちゃめちゃ落ち込んでるわ…。
いま…カレーつついているけど…全然食欲ないみたい…。

 かろうじてひと口ずつ水で流し込むように飲み込むだけで、一向に中身の減らない皿を前に溜息だけが増えていった。
 
 不意に勢いよく扉が開いてサラリーマン風の若い男が飛び込んできた。
何処か席を探すわけでもなく、そのまま真っ直ぐ悦子のところまで歩いていくと、何やら人を捜している様子で相手の人相だの風体だの細かに話し出した。

 「とにかくバスケの選手のように背が高いんです。 顔も外国人みたいで…。
名前はショーン…或いはシオン…。  
この近くのマンションに住んでいるって聞いています。 」

 えっ…外人顔って…紫苑さんのこと…? 
ノエルは男の方を見た。 見知った顔がそこにあった。

 「三宅…何やってんの…? 」

男も…えっ…?と振り返った。
 
 「高木…! きみこそ何してんの…? 」

 何って…飯食ってんだけど…。
悦子がにこっと笑ってノエルを見た。

 「丁度いいわ…。 西沢紫苑さんとこなら…ノエルの居候してる家だから…。 
ノエル…それ食べたら…この人連れてってあげてね…。 」

…って…おい…それはまずいだろう…?
妙な成り行きにノエルは困惑した。

 「助かったよ…。 あ…ゆっくり食べてくれ…。 」

三宅はほっとしたようにノエルの前の席に腰掛けた。

どうして…こうなるんだぁ…。

 ノエルの顔が引きつった。
とてもじゃないがそれ以上カレーは喉を通らなかった。

 

 静まり返った部屋の中に玄関の鍵を開ける音が響いた。
その音を聞いて…西沢はほっと安堵の息を吐いた。

玄関のところでノエルが今にも消え入りそうな情けない顔をして立っていた。

 お帰り…ノエル…。 
そう言って西沢は優しく微笑んだ。

 ノエルの背後に…英会話塾のあの若い男の姿があった。
男はぺこんと頭を下げた。

 「美咲の彼氏…三宅…。 紫苑さんに用事があるんだって…。 」

 そう…どうぞ…あがって…。
西沢は快く三宅を招きいれた。

 「夜分にお訪ねして申しわけありません。 あのメモを塾長に渡しました。
早急にお知らせしなければならないことがあると…これを預かって来ました…。」

 三宅は西沢に封書を渡した。
封書の中には英語で書かれた文書と、それを翻訳したらしいたどたどしい日本語の文書が入っていた。

 その文書のあまりの荒唐無稽さにさすがの西沢も絶句した。
滅亡を招いた罪ではるか太古に追放された者たちが時空を越えて現代にその姿を現し…再び滅亡を招こうとしている…というようなまったく信じ難い内容だった。

 創造主の怒りと呼ばれ、かつて人類を滅ぼした恐るべき衝撃が原因で時空に歪みができ、瞬間的に過去と現代が繋がったために引き起こされた危機だという。

 しかもそれは既にかなり古い時代から予言されていて、『HISTORIAN』は来るべき未来の危機に備えるために結成され、代々使命を語り継いできた。
 元々の組織名は別の言葉で示されていたらしいが、差し障りが生じた時代があって変更されたらしい。

 どう…解釈すべきか…。 西沢は判断に迷った。
すべてを…偽りだ…作り話だ…と言ってしまうには…今現在…起きている事件そのものが不可解すぎる。
 かと言って手放しで信用できるような話でもない。
このまま上に報告したんでは西沢は頭がいかれたと思われるほどの代物だ。

 「塾長さんは…人類に迫っている危機に注意して欲しい…とだけ…この文書に書いておられるが…具体的に何か僕にこうしてくれというようなことでもあるのかな…? 」

 西沢は三宅にそう訊ねた。
三宅は少し考えていたが思いつかないとでもいうように首を振った。

 「ご存知の通り僕は勉強会に関わって日が浅いので…詳しいことは何ひとつ知らないんです。 頼まれただけで…。
 ただ…ひとつだけ…塾長と他の幹部が話していた内容に…すべては人の中に潜む…という言葉が妙に気になっています…。 」

 人の中に潜む…それは…憑依を意味するのか…潜在を意味するのか…。
三宅がただの使い走りに過ぎないことがもどかしくて仕方がなかった。

 以前には人を送り込んできたにも関わらず…襲われた後は直接会うことを避けてでもいるかのようで、三宅に居場所を聞いても、彼自身にもはっきりとは掴めないようだった。
 あのメモも塾長の携帯に連絡を入れた後、向うから使いが来て、人伝に受け渡しをしただけだという。
塾長からの頼まれごとも全部…電話か人伝の間接的な指示に過ぎなかった。

 謎はますます深まるばかりだが…取り敢えず何者かが人類の滅亡を企んでいるのだけは分かった。
どう…上に報告するべきかは…解決のつかない難問となりそうだったが…。





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続・現世太極伝(第十六話 ちょっと…わけあり…。)

2006-06-04 16:39:36 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 引越社のトラックがマンションの正面玄関先に停まった。
インターホンで305号に到着を告げると、荷台の扉を開け、きちんと梱包された家具や荷物を降ろし始めた。
 専門のスタッフが手際よく家具を運んで行く。
滝川はひとり暮らしだし、これまで使っていたものはほとんど処分してきたので家具はそれほど多くはない。
搬入は思ったより簡単に終わってしまった。

 両親がまだ健在だった頃に購入した一戸建ては、ひとりで暮らすには広過ぎた。
管理の手間も維持経費も掛かり、このところちょっと持て余し気味だったところへ、家を買いたいという話が持ち上がって、しばらく前から西沢のマンションの近くに部屋を探していた。
 有から西沢の健康管理を内々に頼まれていることもあって、できるだけ行き来の楽な場所で…と考えていたが、たまたま305号の老夫婦が介護士付きの高齢者専用マンションに移るというので、そこを譲り受けることにした。

 マンション自体は6~7年経っているが、転勤族だった老夫婦が短期間だけ住んでいた部屋はまだ新しく手入れの必要もなくて、業者を頼んで隅々まで綺麗に掃除をして貰っただけですぐに移り住むことができた。

 たとえ…すぐ隣の部屋に越してきたとしても…あの男は間違いなくあなたのベッドで寝るでしょうよ…。
 305号は単なる荷物置き場よ…。 
実質…あなたの部屋へ引っ越してきたようなものだわ…。

 そう言って輝が鼻先で笑い飛ばしたように、同じ階に引っ越してきた後も滝川が西沢の部屋で過ごす時間は今までとさほど変わらなかった。
 

 「襲われた外国人は交番で事情を訊かれた後…慌てて立ち去ったそうだ…。
助けに入ったノエルのことは口に出していない。
 通報した目撃者は散歩中の近所の人だが、亮くんとノエルについてはまったく覚えてないらしい。
亮くんも…それなりにちゃんと後始末をしてきたようだな…。
 何れにせよ…もし…おまえに何か用があるとすれば必ずまた現れるだろう…。 
僕が直接確認したわけではないが…彼等の活動の拠点が隣町の繁華街にあるそうで…日本人メンバーも何人か出入りしているという話だ…。 」

 ノエルを襲ったふたりの外国人に付いて調べていた滝川は、情報網を使ってそのふたりが確かに『HISTORIAN』のメンバーであることを突き止めた。

 ふ~ん…もともとこの国にも拠点があったんだ…。
単なる歴史研究目的の組織としては…ちょっと規模が大き過ぎないか…?
金にもならない研究なのに…。

 「あんまり知られちゃいないけれど…物凄く古い時代からある歴史研究組織なんだそうだ…。
 代々カリスマ的な導師が代表に選ばれるらしくて…まるで何かの宗教団体みたいさ…。 
 古い時代には宗教に関する発言をすると迫害されるんで研究内容を誤魔化すのが大変だったらしい…。
 まあ…この時代まで持つということは…歴史を解き明かそうとすることに興味を持つ有力なパトロンが大勢居たんだろうな…。」

 歴史を…解き明かす…ねぇ…。
もっと別の目的があったような気がするんだけどな…。

西沢はふと…空っぽの籐のソファに目を向けた。

 「今日も…亮くんとこか? 今回はいやに長いな…。 」

 滝川がそれに気付いて訊ねた。
ああ…それが…ちょっとわけありで…さ。 
 
 「輝が…ノエルを嵌めたんだ。 ここに居づらくなるように仕向けた…。
ノエル…お調子者だからもろ引っ掛かって…さ。
 そんなこと端から分かってたから…よくあることだなんて…僕も適当に誤魔化したけど…やっぱり気にしたんだろう。
おまえみたいに図太いと何があっても平気で居据わるけどな…。 」

 図太い…こんな繊細な男を捕まえて…何てことを…。
20年もの間ただひとりの女の子を思い続けているこの僕に向かって…。

 「はいはい…分かりました。 可愛い紫苑ちゃんにキスしていいです。 」

 そう言って西沢は笑ったが…本当は笑い事じゃなかった。
実家のひとりぼっちの部屋から抜け出して…ようやく…この部屋に居場所を見つけたのに…四年目にしてやっと…新しい服を着られたところなのに…。
また…自虐がぶり返さなければいいけど…。
ノエルの居ない籐のソファが置き去りにされたように寂しげに見えた。
 

 サンドビーズのクッションを抱えてノエルはぼんやり窓の外を見ていた。
それほどクーラーを利かしているわけでもないのに何だか寒いような気がした。
 亮は悦子とデートなので…ひとり亮の部屋に籠っている。
今夜は有も居ないし…本当にひとりきりだ。

 他人の家にひとりで居るというのはとっても居心地が悪い。
西沢のマンションではひとりで居てもなんとも思わなかったのに…亮の家では今までひとりになったことがなかったせいか落ち着かない。

 紫苑さん…もう寝ちゃったかなぁ…。
今夜は…滝川先生…来てるかなぁ…。

 帰りたい…と初めて思った。 西沢の寝室のあの籐のソファの上…大切な場所。
もう…帰れない…よね…。 紫苑さんを裏切っちゃった…。 
自分から居場所失くしちゃった…。

 恩を仇で返すようなことをした自分が情けなくて…許せなかった。
ノエルの中で再び自分自身への嫌悪感が増殖を始めた。
     


 できるだけ地味なメンズタンクトップにカットシャツ…デニムのパンツ…何処にでも居るお兄さんといった出で立ちで西沢は駅裏の繁華街を歩いていた。
 深めに帽子を被って、濃い目のグラスをかけ、できるだけ目立たないようにとは思ったが、如何せん…その容姿は嫌でも人目を惹いた。
何しろ人波の中から頭ひとつどころか下手したらふたつくらい出ているのだから。

 モデルの時には極めて有力な武器だったこの容姿も、御使者としては目立ち過ぎて足を引っ張るだけ…。
 それでもどうにか通りすがりに外人か…とじろじろ見られたり…めちゃめちゃ背の高いお兄さんだ…くらいで済んだ。

 あの後…滝川の情報をもとに玲人が拾ってきた情報によると…彼等の拠点はどうやらこの街の雑居ビルの二階…会員制の英会話塾であるらしい。
街を歩きながらそれらしい場所に眼を光らせた。
 
 袋小路の突き当たりにそれらしいビラの貼ってある建物があったが、当の英会話塾は既に閉鎖されていた。
 一階にある小さな喫茶店のママに訊ねたところによると、塾を開いてまだ一年経つか経たないかというところなのに、最近、強盗に入られて講師たちが怪我をしたようで、個人経営だった塾は一時閉鎖を余儀無くされたということだった。

 物騒よねぇ…治安大国なんて…ほんと昔の話になっちゃって…。

 ランチタイムにはまだ間のあるせいか、おしゃべり好きなママはあることないこといろいろ話してくれた。

 時々…関係者が来てるみたいだから…用事があるなら郵便受けにメモでも入れておいたらいいわ…。 

 ママは親切にもボールペンと可愛いメモ用紙を渡してくれた。
一枚剥がしたメモ用紙に…連絡下さい…とだけ書いて、残りの用紙とペンを返しながら西沢はママに礼を言った。

 再び二階の塾の前に立つと西沢はメモ用紙を取り出した。
ドアの隙間からそれを差し込もうと手を伸ばした時、背後に誰かの気配を感じた。
振り返ると若いサラリーマン風の男が強張った表情で西沢を見つめていた。

 男は何を思ったのか慌ててその場を逃げ出した。
階段を駆け下り、袋小路を抜けて、街の雑踏の中に紛れ込んだ。
 逃げて逃げて…やがて…完全に西沢を撒いたとでも思ったのだろう。
繁華街を抜けた小さな時計台のある公園で力尽きたようにベンチに腰を下ろした。

 項垂れてぜいぜいと呼吸するその男の眼に再び西沢の姿が映った時、最早その場を立ち上がる気力も失せていた。

 「きみは…あの塾の人…? 」

穏やかな声で訊ねる西沢に男は曖昧に首を振った。

 「僕は…スタッフではなくて…少し前から歴史の勉強に来ている者です…。
英会話塾の空きの時間に趣味の会があって…僕の他にも数人が参加しています。
 怪我をした塾長に頼まれて…部屋に風を入れに来たんですが…あなたが居たので…また…誰かが襲撃に来たのかと…。 」

 男は怯えたように声を震わせた。
おそらく…襲撃された時にも居合わせたのだろう。
よほどの恐怖を味わったと見える。

 「襲撃してきたのは…外国の人だったの? 
僕にも外の血が入っているからそう見えるかも知れないけど…。 」

こいつは…いったい何者だ…? 男の目が疑わしそうに西沢を見た。

 「ああ…申し訳ない…見ず知らずの男があれこれ訊いたら驚くよね。 
実は…少し前に…僕を訪ねてくれた人が居るらしくて…。
邪魔が入って会えなかったんで…僕の方から訪ねてきたんだけど…。

 きみ…その塾長さんに会ったらこのメモを渡してくれないか…?
塾長さんが見れば…ちゃんと意味が分かると思うけど…。 」

 西沢はさっき喫茶店で書いた一言メモを男に渡した。
男はそれを受け取って素直に頷いた。

 「きみさ…できれば…あまり深入りしない方がいいよ…。
もともとは無関係なのに巻き添え食って大怪我でもしたら大変だよ。 」

 いかにも実直そうな若い男を見て西沢は忠告した。
男はますます怪訝そうな顔をした。
やっと社会に出たばかりの…まだ何処となく大人になりきっていない顔…。

 亮やノエルとそんなに違わない年頃だ…。
西沢の口元に思わず笑みがこぼれた。

 それじゃあ…と声をかけて西沢はその場を後にした。
鬼と出るか蛇と出るか…後は成り行き任せ…。
とにかく種だけは蒔いた…。

出来得れば…少しでも良い芽が出てくれることを胸の内に祈りながら…。






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続・現世太極伝(第十五話 ほんとに…襲っちゃうよ…。)

2006-06-02 18:48:06 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 西沢のマンションはすぐ目と鼻の先…とは言っても、相手の攻撃をまともに喰らった衝撃で意識を失ったノエルを担いで、ふたり分の気配を消しながら301号室を目指すのは、結構、骨の折れる仕事だった。

ノエルが小柄で助かり…っと本気で思った。

 鍵を取り出すのももどかしくチャイムを立て続けに押した。
気配を感じた西沢が返事より先に飛び出してきた。

 すぐそこで…襲われてたやつがいて…巻き添えを食ったんだ…。
そんなことを言いながら西沢にバトンタッチした。

 やっとの思いでノエルを西沢の部屋に運び込んだ亮は、偶然その場に居合わせた自分の父親を見て少なからず驚いた。
 有は西沢の実の父親ではあるが、養父への遠慮もあって、近所に住んでいながら西沢とはできるだけ距離をおいていた。
 顔を合わせるようになったのは、幼少期を除けばまだ最近のことで、それまでは年に数回の電話だけが親子を繋いでいた。

 その有がひとりで西沢に会いに来ているなんて…。
事情はどうあれ親子だから、訪ねて来ても何の不思議もないのだが、亮はなんとなく胸に引っ掛かるものを覚えた。

 今夜は滝川が来ていないので、代わりに有が居間のソファに横たえられたノエルの状態を調べた。
 幸いなことに怪我らしい怪我はしておらず、単純に衝撃で気を失っただけのようだった。
 身体にそれほどのダメージはないが、媒介能力者は時に精神的なダメージを受けていることがあるから注意するようにと西沢に言った。

 負け知らずの喧嘩ノエルが拳を過信していることは、普段の態度からよく分かっていただけに、自分がもっと強く戒めるべきだったと西沢は後悔した。

 襲われていたのは外国人の能力者だったと亮から聞かされた時、西沢と有は思わず顔を見合わせた。
思ったより身近に危険が迫ってきている…西沢も有もそのことを実感した。

 西沢から連絡が入った時にはまだ、インターネットで配信された海外での襲撃事件と国内の能力者に配られた警告書を結び付けることに戸惑いを覚えていた有だったが、その外国人がもし…以前にノエルを襲った者であるなら…西沢の話も俄かに現実味を帯びてくる。

 「襲われたのが彼等なら…なぜまだこの辺りをウロウロしていたのだろう…?
交信は一応成功したのだから…ここにはもう用は無いはずなのに…。 」

西沢が訝しげに呟いた。

 「…紫苑。 おまえに何かを伝えようとしたのでは…? 」

 まさか…と西沢は笑ったが…有は何か思い当たることでもあるかのような眼をして西沢を見つめた。

 「有り得ん話じゃないぞ…彼等にとって危急のときだ。
勿論…おまえだけじゃなくて…交信できた相手すべてに…だろうけれど…。 」

 その言葉は西沢にとって…もはや…彼等との関わりを回避できない事態にあるとの宣言に等しかった。
 自分から首を突っ込んだわけでもないのになぁ…と不本意そうな表情を浮かべる西沢に、遺跡で起きた妙な事件に興味を持った段階でとうに突っ込んでるかも知れないよ…と亮が言った。

 自分が伝説の御使者になってるとは夢にも思わない西沢は…それでかぁ…と頭を掻いた。
 何れにせよ…御使者である限りは上から調査せよと言われれば、調査せねばならないわけだし…宗主から依頼書も来ているから知らん顔はできない。
関わって当然と言えば当然なのだが…。

お気の毒さま…と有が笑った。 仕事が増えたな…。

 右も左も分からない状態なんだ…笑いごっちゃないよ…と西沢は困り顔で肩を竦めた。 何がどうなってるのか…それさえ掴めないんだから…。

 西沢の唇から溜息が漏れた時、やっとノエルが眼を覚ました。
何が起こったのか…という表情で辺りを見回していたが、西沢に怖い顔を向けられて縮み上がった。

 拳じゃ勝てないって言っただろう! 考えなしにいきなり飛び込むんじゃない!
きみを助けるために亮は使わなくていい力を使ってしまったんだ!
 子どもじゃないんだからその意味が分かるな? 
正体も分からない相手に亮の存在を知られてしまったことになるんだぞ!
 
 ごめんなさぁい…何時になく大きな雷を何発も落とされてノエルは頭を抱えた。
西沢がノエルに対して声を荒げたのはこれが初めてだった。

 この際だから…というので西沢は家門に育っていないノエルにも族人としての心得・心構えををみっちり言って聞かせた。
 小さい頃から叱られ慣れしているノエルも、西沢の怒りはさすがに応えたらしく豆粒のように硬く縮こまって聞いていた。

 可哀想になって亮が庇おうとするのを有がそっと止めた。
庇って貰うような齢じゃないだろう…? 

 ハチャメチャで適当なことも平気でするけどな…紫苑はある人の献身のお蔭で主流の血を引く者として宗主に匹敵するほどの訓育を受けている。
だから本来は誰よりも厳しい男なんだ。

 木之内にあれば…家門の長として一族を率いる力のある男なのに…親父の俺が間抜けだったばっかりに…西沢家に取られて…まるで部屋住みの扱いだ…。
 普段は胸に収めて決して何も語ろうとしない有が、ぽろっと愚痴をこぼした。
父親の無念の胸の内が分かるだけに亮は何も言えなかった。



 コンクリートもアスファルトも鉄板焼きの鉄板かと思うほど焼けていて、髪の毛も肌も焦げ付きそうだ。
 ブランカの悦子の頻繁な打ち水も虚しく店の前もカラカラ状態。
夕方にひと雨来てくれないと街路樹も乾涸びそうだ。

 あちぃ…と何度も呟きながら、バイトから上がってきたノエルは居間のテーブルに財布を放り出すと、そのままバスルームに向かった。
 
扉を開けた途端…おわっと妙な声を上げて飛び上がった。

 「失礼ね…。 そんなに驚くことないでしょ。 」

 洗面台の鏡の前にすっぽんぽんの輝が立っていた。
輝はバスタオルを身体に巻くとお先に…と出て行った。

 あ~びっくり…。

ノエルはどきどきしながらシャワーを浴びた。
 
 肩にタオルを引っ掛けて居間に戻ると輝はまだその姿のまま。
ノエルの存在など眼に入らないようだ。

 「紫苑…居ないのね。 」

天然水のミニボトルを飲みながらノエルに言った。

 「今日は急な仕事が入ったんで朝から出てったよ。 
輝さん…約束してたの…? 」

 そういうわけでもないんだけど…。
ちょっと残念そうに唇を尖らせた。

 ノエルも冷蔵庫からミニボトルを取り出すとがぶ飲みした。
何か着てくんないかなぁ…眼のやり場に困っちゃう…。
チラッと横目で見ながらそう思った。

 「おませね…ノエル…。 」

 輝がクスッと笑いながら言った。
う~ん…ちょっと憤慨…。
輝の顔を覗きこむと忠告するように言った。

 「あのねぇ…輝さん。 輝さんは僕のこと…いつもお子さま扱いするけどさ…。僕…とうに二十歳なわけ…。 油断してると襲っちゃうかもよ…。 」

 いいわよ…輝は可笑しそうに声を上げて笑った。
その気があるなら…悪ガキの本領発揮して御覧なさいよ…。

 ノエルは天を仰いだ。 敵いません…たいした度胸…。 
言っとくけど…嫌だって女には手を出してないから…あくまで合意。 

 「15~6でねぇ…合意も何もないもんだわ…。 言い訳無用…。
紫苑の前では子猫のくせに…本性は虎さんかしら? 」

 仲間内では…豹…でございます…。
ねぇ…ほんとに…襲っちゃうよ…。

小娘ちゃんが…生意気…。

輝の言葉がそこで…途切れた。


 
 浴室から響いてくる子どものようなはしゃぎ声。
まるで小学生…の水遊びだ…。
 やれやれ…と呆れながら西沢は、絨毯の上に脱ぎ捨てられたノエルのカーゴを拾い上げソファの端に置いた。
 
 しばらくして浴室から出てきたノエルは、帰ってきている西沢の姿を見て再び飛び上がった。 
 おわ…即ばればれ…!
今日はよくよく心臓に悪い日だ…と思った。

輝がすぐ後から…今度はちゃんと服を着て出てきた。

 「あら…紫苑…お帰り…。 」

輝は何事もなかったかのように平然と西沢に声をかけた。

 「ああ…。 留守だって知らせないで悪かったね…。
ま…若い遊び相手ができたから…かえってよかったのかな…。 」

 西沢も顔色ひとつ変えないで淡々と答えた。
うわ~…怒ってるよ…これは…ノエルひとりが何だか生きた心地がしなかった。

 「うふ…これはお返しよ…度重なるあなたの浮気の…。 
こんな可愛い坊やをあなたの独り占めにはさせないわ。 
この子…ほんとに男だったのねぇ…驚いちゃった…。 」

 なんつうことを…輝さん…火に油…ノエルは情けない顔をした。
が…西沢は噴き出した。

 「分かった…分かった…ノエルを叱ったりしないよ。
ノエル…そんなに怯えなくたっていい…怒ってなんかないからさ…。 
気にしてないよ…ってか…よくあることなんだ…僕等の間では…。 」

 よくあること…? ノエルは怪訝そうに西沢と輝の顔を交互に見た。
そうよ…輝が声を上げて笑い転げた。

 このふたりってば…さっぱり理解できない…。
恋人の浮気なんて…許せないと思うけど…許すしかない時もあるのかなぁ…?
…って浮気の相手の僕が考えるこっちゃないけど…。
  
 あ~あ…これで絶望的だ…。
馬鹿なノエル…これですべてがお終い…。
久々に女性から男と認めてもらえて…そこんとこだけは嬉しくはあったけれど…。   




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