〝散〟密でもないが、三が日を過ぎて、妻と隣の長沼町の神社に初詣した。静かな境内に車が2台。若いカップルと幼子を抱えたカップルの二組が参拝していた。
たまに車から見かけていたよりも参道が長く、落ち着いた佇いの社で一年の無事をお願いした。いつもと違った神社に出掛けるのも気分が改まる。
帰路、長沼温泉で〝初温泉〟に浸かった。こちらも空いていて、お湯もいつもどおりのふんだんな掛け流し。手足を伸ばし良い気分だった。コロナ感染拡大が知らず知らず心身を萎縮させている。
露天風呂に行くと昼前の太陽が眩しく輝いていた。暫く瞼を閉じていて開けると、誰も居ないと思っていた右方向の岩の窪みに見た顔が・・・。
どう見てもやはり隣町に住んでいるNさんだ。昔の職場で3度、上司になった方だ。緻密な仕事の仕方を学んだ。
夏の暑い休日にランニングシャツで仕事をしていた姿を想い出す。長期計画か何かの作業で数人が出勤してデータ整理と検証を行っていた時だ。「計画屋」のNさんの要求は難しく厳しかった記憶がある。
お聞きすると80才。「見かけだけは元気だけど昨年の5月に心臓の手術をしてね」と昔のままの真面目な語り口と笑顔で“健康話”が続いた。
5年以上はお会いしていなかったので、新年早々、嬉しいことだった。
トシを取るとともに出掛ける機会も減る。そしてコロナウイルス感染防止のための自粛。人間の行動から「出会い」や「体験」のチャンスを遠のける「個人の変容」は自然なことではないから長続きしないだろう。個人個人は出来ることを既に行っている。
今必要なのは「政府と個人との信頼感」。ちまちまと1ヵ月間の飲食店営業時間を調整することではない。一国の首相が逃げ回るような恥ずかしいまねをしないことだ。
“急所”はオリンピックの中止とその予算の活用。2020予算の予備費残額約7兆円とともに検査、隔離、医療、生活補償に資金と人を投入する腰を据えたコロナ対策に着手する局面ではないか。
命に関わる医療崩壊が起きている。