有馬澄男という騎手が居る。昨年12月初めのレースに出て、そして勝った。このジョッキーはローカルの騎手らしく、中央場所に姿を現すこと自体稀である。記録を紐解けば、2000年9月10日に阪神競馬で騎乗して以来、昨年2004年12月5日に阪神キタノカチドキメモリアルに姿を見せ、そして何と勝つ。これ以降、今年3月、また5月にも合わせて計5レース出走しているが、このジョッキーの役割とは云うまでも無く、有馬記念にある。ちなみにこの騎手は中央競馬で通産1勝である。
2004年12月5日 阪神9R キタノカチドキメモリアル
1着 8枠 8番 ホウヨウソウル 有馬澄男
2着 5枠 5番 ツルマルフレンチ 武豊
これがその歳の有馬記念の予告で、有馬の 1-5 の5枠を暗示した、との見解くらいで見逃すのはそれはそれでよい。私もその程度で、充分また存分に解明できていない事象は数多ある。が、2000年以来久々に登場し、また中央競馬で唯一の勝ち鞍を挙げたこのレースの意味が高が、その程度とは到底思われないし、事実もっと意味はあるのである。中央競馬が、しかも有馬記念ほどの大レース、きちんとサインしてあるという1つの証左に、次の事実を述べよう。
予め断っておくが、競馬会は結果を知り、結果からはじめて、それを示唆する手段を考える。結果が分からず、レースはやって見なければ分からないという頼りないことなら、ここで、この場でわたくしがお話してきたことは総て偶然と妄想であるといえる。
さて、キタノカチドキメモリアルを有馬騎手が勝った。それが年末の有馬記念に対し、どんな意味を帯びていたのだろう。キタノカチドキという名馬は、有馬記念に出走したことがある。結果は2番人気で8着惨敗である。が、有馬に負けた名馬を記念するレースで有馬が勝つことには、意味が込められているはずだ。かくして、次の事実を調べ上げる労を厭わなかった方には、昨年有馬は僥倖とも言える結果が待ち受けていた。
キタオカチドキ唯一の出走した有馬記念の内、次の結果だけ示して置く。
1975年12月14日 第20回有馬記念
1着 7枠10番 イシノアラシ
2着 8枠12番 フジノパーシア
このレースは13頭立てだが、その内唯2頭が同一厩舎だったのである。
6着 1枠 1番 トウコウエルザ 中野栄治 仲住達弥
11着 6枠 9番 トドロキムサシ 中島啓之 仲住達弥
昨年有馬記念は、
1着 1枠 1番 ゼンノロブロイ
2着 5枠 9番 タップダンスシチー
で決まった。この暗示されたレースの、同一厩舎の2つの馬番で1点で教えたのである。今年も既に示唆が投げかけられているはずだ。
2004年12月5日 阪神9R キタノカチドキメモリアル
1着 8枠 8番 ホウヨウソウル 有馬澄男
2着 5枠 5番 ツルマルフレンチ 武豊
これがその歳の有馬記念の予告で、有馬の 1-5 の5枠を暗示した、との見解くらいで見逃すのはそれはそれでよい。私もその程度で、充分また存分に解明できていない事象は数多ある。が、2000年以来久々に登場し、また中央競馬で唯一の勝ち鞍を挙げたこのレースの意味が高が、その程度とは到底思われないし、事実もっと意味はあるのである。中央競馬が、しかも有馬記念ほどの大レース、きちんとサインしてあるという1つの証左に、次の事実を述べよう。
予め断っておくが、競馬会は結果を知り、結果からはじめて、それを示唆する手段を考える。結果が分からず、レースはやって見なければ分からないという頼りないことなら、ここで、この場でわたくしがお話してきたことは総て偶然と妄想であるといえる。
さて、キタノカチドキメモリアルを有馬騎手が勝った。それが年末の有馬記念に対し、どんな意味を帯びていたのだろう。キタノカチドキという名馬は、有馬記念に出走したことがある。結果は2番人気で8着惨敗である。が、有馬に負けた名馬を記念するレースで有馬が勝つことには、意味が込められているはずだ。かくして、次の事実を調べ上げる労を厭わなかった方には、昨年有馬は僥倖とも言える結果が待ち受けていた。
キタオカチドキ唯一の出走した有馬記念の内、次の結果だけ示して置く。
1975年12月14日 第20回有馬記念
1着 7枠10番 イシノアラシ
2着 8枠12番 フジノパーシア
このレースは13頭立てだが、その内唯2頭が同一厩舎だったのである。
6着 1枠 1番 トウコウエルザ 中野栄治 仲住達弥
11着 6枠 9番 トドロキムサシ 中島啓之 仲住達弥
昨年有馬記念は、
1着 1枠 1番 ゼンノロブロイ
2着 5枠 9番 タップダンスシチー
で決まった。この暗示されたレースの、同一厩舎の2つの馬番で1点で教えたのである。今年も既に示唆が投げかけられているはずだ。