先日、4月30日。天皇賞出馬表発表当日の夜の記事で、
何故、あのようなイベントをこの春に組んだのか。見える。また目に映る。
わたくしはこの場で、こう記した。
そして、終ってから、あれが予告・布石だったのか、と悔いるのは最も厭なことである、との思いもこれに託していた。
その、天皇賞へ向けた、春先の既にかなり前に終わったイベントとは
思い出の阪神大賞典 回顧イベント
1996年 ナリタブライアン VS マヤノトップガン
である。無論、今年のこのレースの施行に併せ、阪神競馬場で組まれたイベントであり、後続を9馬身離して直線、ただこの2頭だけで、武豊 田原成貴 二人の魅せるトップジョッキーがびっしりと追い続け、ゴールで僅かにブライアンが鼻差出た、稀代の名勝負だった。
このイベントに既に引退された、坂口正大、大久保正陽、両元調教師を招き、これをライヴで観たことの無いファンにも熱く語りかける。
で、今回の天皇賞出馬表で、わたくしは自身の大本命が浮かび上がってきた時、この春先のイベントは、ここでも解釈を披瀝申し上げたが、実は、桜花賞へのサインであることを感じ、それが レッツゴードンキ での勝利に繋がった訳だが、これとは別に、この天皇賞・春への布石でもあったのでは、との疑いに取り憑かれたものである。
先ず、桜花賞へ向け。この二人、同じ田原と武豊でやった 1995年 桜花賞 ワンダーパヒューム ダンスパートナー の桜花賞への誘いでは?と思わせたのが、「相棒」(=パートナー)の成宮寛貴のプレゼンター登場であった。これで レッツゴードンキ 勝利確信に辿り付くことができた。
が、今回、4月29日への注目から、サクラローレル の天皇賞が浮かび上がってきた時、この終わったイベント
1996年 阪神大賞典 思い出の名勝負
ナリタブライアンがマヤノトップガンを凌ぐ。
このレースに続く、愈々大本番、春の天皇賞で起きた出来事が愈々、再現濃厚と感じられて来た。
1996年 天皇賞・春
再び、2強激突かと思われたレースで、
1番 横山サクラローレル ブライアンを差し切り、戴冠
もう申し上げるまでも無く、この2年前の3冠馬を差し切った1頭こそ
1枠 1番 横山典弘
今回の主役では?とわたくしが睨んだ ゴールドシップ これと同じ、1番の横山 だったのである。
かく、視野を広げ、正解手順を正しく踏んでいくと、あれもそうだったか、と云う向こうの散りばめ、準備し、解かる者だけ解かれ、と云う布石にいくつも突き当たる。
かくして、既に昨日のことだったかと、もう回顧気分で振り返る昨日午後3時40分。
全くの独り舞台、独壇場だった。
ゲート入りの厭々の仕草から、出遅れこそすまいがダッシュがつかず、最後方の定位置を キズナ武豊 が譲り、長々と連なる馬群の大きく離れた17頭立て17番目。2コーナーを過ぎ、仰天の鞭をふるう横山の気合を入れた前線進出。競馬評論家的に云えば、負ければ大暴走と非難される、掟破りの戦法。
終わった後、恒例の岡部さんのコメント。「これがゴールドシップなんですね。」
歴史に残るキャラクターと化した、芦毛のGⅠ6勝馬。
1頭のやんちゃな主役を終始、見守り続けたレースだった。
そして、感動のレースでもあった。
両手を広げ、天を仰ぐパフォーマンス。6月号に躍る、あるいは表紙を飾るかもな。
愈々白くなった馬体に赤い勝負服。GW中の憲法記念日、そして昭和天皇を回顧する日、実に日の丸掲揚のような1頭だった。
JRA発行『優駿』を買わない、読まない方は、競馬で勝つ気が無い方々だと、わたくしは常々云い続けている。
『優駿』をも紐解かず、JRAページのメッセージにも鈍感で、何故、ビートブラック と当日記念撮影を向こうが企画するのか、このイベントそのものにも目を向けることの無いような方々。ただ、的中の答の馬券だけ教えてくれ、と云う方々には、わたくしにアプローチされることをお断り申し上げたい。
籾井勝人 前アジアバドミントン連盟会長。職務怠慢で全会一致で解任されたそうだな。どうも、好かねえ、おっさんさ。