第82回 ダービー わたくしの本命馬は敗退した。
信じ難い結末だった。実は、わたくしも本来、自宅で、TVでライヴで観戦する筈だったレースだが、諸般の事情で許さなかったのである。
わたくしも、昨夜、夜8時半頃、新幹線に乗っていたのである。
仰天した。が、通常通り開催と見て、初志を貫いた。
予定と違い、都内自宅に帰り着いた先程、正体に思い当たった。
出馬表が出て後、ぐらりはかつて経験があることだった。
だから、はっきり申し上げる。ドゥラメンテ2冠。これは予定外だったのだ、と。
苦肉の策だった。
2004年10月23日 新潟県中越大地震 発生 17時56分
実に、土曜日。開催が終わってからの夕方の発生だった。そして、翌日が大一番の菊花賞
2004年 第65回 菊花賞
1着 8枠18番 デルタブルース 岩田康誠 角居厩舎
2着 3枠 5番 ホオキパウェーブ 横山典弘 二ノ宮厩舎
(18頭立て)
昨夜、新幹線の車中の仰天。これはくどくどと述べまい。
2015年 第82回 ダービー
18頭立てだったので、敢えて、次のように着順を申し上げる。
18頭立て 逆順
大外から 18番目 1枠 1番 サトノラーゼン 岩田康誠
大外から 5番目 7枠14番 ドゥラメンテ
今日のダービーの結末は 枠連 1-7 1番14番 ではなく、
逆番 枠連 3-8 5番18番
同じ、端の 岩田康誠 発射
これだった。このデルタの菊花賞直後の最終が 6-6 今日の最終・目黒記念が 1-1 優勝は同じ、サンデーの勝負服の優勝。デルタと同じドゥラメンテだった。
元々は、2冠の予定ではなかったのだろう。
この2004年の菊は、出馬表が木曜午後にとうに発表され、土曜開催の終了後、ぐらり来て、競馬会が脚本を変更した。
今回も、変更する必然性が発生した、と云うことである、と思う。
信じ難い気もするが、これが真実であると思う。
それだけ、大きかった、と云うことだ。