
「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。 皆様ともども冥利ジャンズ高鳴る大東京に仮の住まいまかりあります。 不思議な縁持ちまして、たった一人の妹のために、粉骨砕身、バイ(商売)に励もうと思っております。 西に行きましても東に行きましても、とかく土地土地のお兄貴(あにぃ)さんお姐(あねぇ)さんにご厄介かけがちな若僧でござんす。 以後見苦しき面体、お見知りおかれまして、恐惶(きょうこう)万端ひきたって、宜しくお頼み申します」
1969年8月27日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの1作目。ロケ地、京都、奈良。上映時間は91分。客動員は54万3000人。配給収入は1億1000万円。
俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの よろこぶような
偉い兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐も無く
今日も涙の
今日も涙の 日が落ちる
日が落ちる
青森市
8月27日(月)
06時 25℃
09時 27℃
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18時 27℃
21時 26℃
そして、今日は宮沢 賢治さんの誕生日です。
1896年8月27日、岩手県稗貫郡里川口村(現花巻市)に生まれました。
死没1933年9月21日(満37歳没)。
職業詩人、童話作家、短編小説家、教師、農業技術指導者、地質学者、水彩画家
最終学歴盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)
活動期間1918年 - 1933年
代表作 『注文の多い料理店』
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房