motoの徒然なるままに…

日々是好日日記

ケッパレ!サンフランシスコ!

2020年04月13日 | 日々徒然

幸せとはー 金でもなく、物質的なものでもなく、権力でもない。内面が自信で満ち足りることだ👤ケッパレ!サンフランシスコ🌉!

HAPPINESS- IT IS NOT MONEY,IT IS NOT MATERIAL THINGS, IT IS NOT POWER.IT IS INSIDE, FULL OF SELF-CONFIDENCE.

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「人間らしさ」

2020年04月13日 | 日々徒然

現在は乱気流の中にいるような先が見えない状態だが、間違いを正して「人間らしさ」を取り戻すためのユニークな機会でもある。そういう意味では、皆が連帯しているのを目にすることができてうれしく思う🕶」

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「時代が変われば葬儀も変わる」・・・。

2020年04月13日 | 日々徒然

「時代が変われば葬儀も変わる」・・・。

少子高齢化が進み、3人に1人は65歳以上という長寿社会になり、葬儀に対する意識・価値観も様変わりしております。火葬だけの「直葬」、身内だけの「家族葬」の激増、散骨を中心とした「自然葬」への要望など葬儀を取り巻く環境は激変しております。

私どもの直営葬儀式場<まちなか>フューネラルホーム平安閣は心の絆をだいじにしながら「地元のための、地元による、地元の互助会」として、地域社会に貢献できるよう日夜励んでおります🙏

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「死のダイバーシティ」

2020年04月13日 | 日々徒然

「死のダイバーシティ」🌿
 

終活セミナーを開催するごとに自分の葬儀に関する質問が多くなってきております。

すなわち「死後の自己決定権」が問われるようになりました。

少子高齢化でお墓や葬儀に対する価値観が多様化してきております。

今後は海洋散骨、樹木葬は増えてくると思います。

「先祖代々」が死語になりつつあります。

無縁社会の中で増え続ける「孤立死」など葬儀を社会的にサポートする仕組みが求められております。

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「支え合う社会と 「桜葬」を考える」

2020年04月13日 | 日々徒然

以前、地元紙に投稿掲載された文を載せました📝

「支え合う社会と 「桜葬」を考える」

待ちに待った桜前線が本州最北端に到達した。青森市・合浦公園のソメイヨシノは例年より10日、昨年より9日も早く開花宣言が出された。「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)。桜は無常を象徴する花で花王と呼ばれるほど人々に愛されている。桜吹雪の中を歩いていると幻想世界にいるように感じる。私も西行の歌「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」のように旅立っていきたいと思っている。
◇「死が多様であれば葬式も多様なはず。現在の『家族葬ブーム』にしろ、業者が仕掛けたものではなく、遺族の欲求が先行したものである。葬式の個性化はますます進むであろう」(「SOGI」碑文谷創編集長)。当然、お墓の在り方も変わってくるであろう。墓石の代わりに桜を墓標とする「桜葬」は「樹木葬」を拡大したものであると思われる。「樹木葬」が「個人墓」なら「桜葬」は「合祀墓」。進む少子高齢化社会で孤立化する人間同士が、ネットワークで支え合う社会づくりが急務であると痛感している。
◇行政は環境を整備し、そういうネットワーク団体やNPOなどをマッチングしたりコーディネイトしたりする役目を担っていくべきである。もちろん第三者によるチェック機関も必要になるであろう。人と人とが支え合う社会が、かつて日本人が当たり前のように持っていた「公共心」ではなかろうか。その心が「美しい日本」を創ってきた。あと何回桜の花を眺めることができるのか…。
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
(青森市・船橋素幸)

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「メメント・モリ(memento mori)」

2020年04月13日 | 日々徒然

「メメント・モリ(memento mori)」👤

 
「メメント・モリ(memento mori)」というのは中世の言葉で、ラテン語の「死を忘れるな」という意味であります。自分の死がもう間近に迫っていると知れば、残された日々をどう生きるかを考え、限りある命を精一杯生きるでしょう。人が自覚的に生き始めるための一番強いきっかけは、死を知ることであります。死を見つめることは良く生きること。仏教でいう「死生一如」であります🙏

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「忌中紙」に見る 葬式への心情

2020年04月13日 | 日々徒然

「忌中紙」に見る 葬式への心情👤

 亡くなった方の住居の玄関に貼り出す「忌中紙」は死を穢れとしている証明書みたいなものだと私は思う。いいとか悪いとかという議論ではなく、その意味を探ってみた。
 ◇津軽地方によく見られる「門刈」(本来の文字は「殯」)というバッテン型の木材を玄関両端に付ける風習も、穢れからの回避のための隔離サインだったのではないかと思う。昔は伝染病で亡くなる人も結構いたので、衛生上の感染防止対策もあったと思われる。空き巣に狙われるので徐々に減ってきているものの、まだ何となく貼り出している葬家も多いのではないかと思う。今一度この「忌中」の意味を考えてみる必要がある。
 ◇お清めの塩を用意する、故人の茶わんを割る、火葬場に行く道と帰り道を変える…死に対する恐怖感がさまざまな習俗や迷信をつくってきた。「忌中」と「喪中」では意味が違ってくる。「忌中」は対外的に忌避する短い期間を示し、「喪中」は内面的に供養に専念する長い期間を意味しているのではないかと分析している。
 ◇「お葬式」はなぜするのか? 習俗や風俗には必ず動機がある。形骸化されてきた習慣を見直すことにより、新しい発見があるはずだ。まさに忌中紙一枚から、見えなかった私たちの葬式に対する心情が見えてくる。自分の葬儀は自分で考える終活セミナーも大事であるが、葬儀そのものの本質を考えてみてはどうか? 儀式を見直すいい機会になるはずだ。温故知新の言葉をかみしめながら。
  (青森市・船橋素幸)

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「白骨の御文章」

2020年04月13日 | 日々徒然

されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり💀(蓮如上人「白骨の御文章」)📖

人生は短い。明日など定かでない。だからこそ元気なうちから安心して暮らせる仕組みを構築することが急務だと要望する。もう言い訳だらけの不毛の議論は辟易である。衆知を尽くせば解決方法は100万通りある。市民の知恵を結集して、一歩でも、踏み出すことが肝要である。まずは動く。そこから始まる。

 「土地の価値はそこに住む人間の価値によって決まる」というフランスの諺は、青森市にも当てはまることだ👤

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
(太宰治「右大臣実朝」)📖

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「焼肉南大門松原店」

2020年04月13日 | 日々徒然

昨夜、専務を誘って、次男坊と3人で、「焼肉南大門松原店」に来ました🏮。最初はうちらだけでしたが、後から1組来店してホッとしました。もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?「잘 먹었습니다(チャル モゴッスミダ)」🤗

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「家族の絆」の再生を考える

2020年04月13日 | 日々徒然

「家族の絆」の再生を考える🏠

カラスの鳴かぬ日はあれど「少子高齢化」を耳にしない日はない。各自治体や学者たちは「人口減少社会」に警鐘を鳴らすが、既に家庭という最小の人間社会のユニットが崩壊しつつある。親2人、子2人の「標準家庭」はもはやスタンダードではなくなった。料理番組のレシピも、10年前くらいから「4人」から「2人」向けになったと関係者が解説していた。家族が変わり食卓の風景が変わり、「一家だんらん」が死語となりつつある。
◇その「家族の絆」の接着剤になるのが「冠婚葬祭」という通過儀礼なのではなかろうか? 家族の行事や地域のお祭りなどを大事にして、参加していくことが地域の連帯感を築き上げてゆく。それと同時に、人の死を通じて家族や地域の一体感を醸成して、人間形成を促す。少子高齢化、核家族化で肉親の死をみとることが少なくなった今こそ、子どもたちに死を見つめさせるべきであると常々考えている。儒教の大家・孔子も「礼記」の中で「儀式を軽んじる国家は滅ぶ」と説いている。
◇人の命が軽くなってきている今、お盆やお彼岸、法事などの儀式の持つ意味を再認識することで、人と人との絆を再確認し、人間の尊厳にもつながっていくものと確信している。「祭りはコミュニティーの原点」。わがふるさと青森には「ねぶたまつり」という地域の絆を太くする強力な接着剤があるのに、最近、その粘着力が落ちてきていると思うのは私だけであろうか。

(青森市・船橋素幸・NPO法人「いのちの教育ネットワーク」理事)

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