懐かしい小川原湖を反対の方角から眺めてみました。
バブルの時期 小川原湖開発という名のもとで ずいぶんその近辺の山が売り買いされました。何がどうなったのか わかりませんが 今ではまったく価値がなくなったそうです。
当然 それらをあてこんで立派なホテルなどが建ったそうですが もうありません。
「なんにもないよ」
「夢の後だもんね」
しぶる両親と行って見ました。
小川原湖の一画には 昔 アメリカ人のプライベートビーチのような所がありました。きれいなボートがおいてあり 色鮮やかなパラソル ボールを追いかけて楽しそうに遊ぶ家族づれ そこはしっかり金網が張巡らされていました。その一方は、 あまり整備されていないところにたくさんの日本人がひしめいて、なんだか変?と子供心に思ったものです。あの特別な場所はまだあるのだろうか?と ぼんやりもの思いにふけっていました。
そして、米軍基地の人達が家を借りる それが日本で負担しているって理解している国民がどのぐらいいるのかなって思う。
とても強い風がふきつける小川原湖でした。
バブルの時期 小川原湖開発という名のもとで ずいぶんその近辺の山が売り買いされました。何がどうなったのか わかりませんが 今ではまったく価値がなくなったそうです。
当然 それらをあてこんで立派なホテルなどが建ったそうですが もうありません。

「なんにもないよ」
「夢の後だもんね」
しぶる両親と行って見ました。
小川原湖の一画には 昔 アメリカ人のプライベートビーチのような所がありました。きれいなボートがおいてあり 色鮮やかなパラソル ボールを追いかけて楽しそうに遊ぶ家族づれ そこはしっかり金網が張巡らされていました。その一方は、 あまり整備されていないところにたくさんの日本人がひしめいて、なんだか変?と子供心に思ったものです。あの特別な場所はまだあるのだろうか?と ぼんやりもの思いにふけっていました。
そして、米軍基地の人達が家を借りる それが日本で負担しているって理解している国民がどのぐらいいるのかなって思う。
とても強い風がふきつける小川原湖でした。
