ナンシー関にはまだ批評するべきテレビ番組があったのだろうか。
急速に、地上波テレビに対し興味を失っている自分を振り返って考える。
決して、現在、全てのテレビ番組をダメだと思っているわけではない。
ドキュメンタリーやドラマの一部には、
心に訴えかける何かを持つものも放送されている。
しかし、ナンシー関のようなセンシティブな批評家にとっては、
それらの「真っ当な番組」を褒める事は『こっぱずかしい』部類に入り、
正面切って批評の対象にしないだろうと思われる。
彼女が批評の対象にしたのは、「真っ当であるべきものの中の間抜けや緩さ」であり、
「一見くだらないものの中に存在する、真摯さ」であり、
画面の中の「無意識の邪悪」や「無意識の罪」を発見し、世の中に提示することだった。
実は、それら無意識がもたらすものが、今の世の中でもっとも大問題を引き起こしている。
「小泉旋風→小泉改革→格差拡大」しかりである。
無意識が暴走しないように、メディアの番人をやっていたナンシー関
(本人はそう言ってはいなかったが)。
大衆の無意識をもっと意識するだけの繊細さを制作者の側が持たねばならない。
話は変わるが、この一週間で聞いた話は、
今世の中で起こっているいろんな問題の凝縮だった。
メディアとの関係で書けるかな・・。
それはまた後で
急速に、地上波テレビに対し興味を失っている自分を振り返って考える。
決して、現在、全てのテレビ番組をダメだと思っているわけではない。
ドキュメンタリーやドラマの一部には、
心に訴えかける何かを持つものも放送されている。
しかし、ナンシー関のようなセンシティブな批評家にとっては、
それらの「真っ当な番組」を褒める事は『こっぱずかしい』部類に入り、
正面切って批評の対象にしないだろうと思われる。
彼女が批評の対象にしたのは、「真っ当であるべきものの中の間抜けや緩さ」であり、
「一見くだらないものの中に存在する、真摯さ」であり、
画面の中の「無意識の邪悪」や「無意識の罪」を発見し、世の中に提示することだった。
実は、それら無意識がもたらすものが、今の世の中でもっとも大問題を引き起こしている。
「小泉旋風→小泉改革→格差拡大」しかりである。
無意識が暴走しないように、メディアの番人をやっていたナンシー関
(本人はそう言ってはいなかったが)。
大衆の無意識をもっと意識するだけの繊細さを制作者の側が持たねばならない。
話は変わるが、この一週間で聞いた話は、
今世の中で起こっているいろんな問題の凝縮だった。
メディアとの関係で書けるかな・・。
それはまた後で