さすがに、鳩山政権発足当日は避けたが、保釈されたのは、その翌日だ。
アメリカ人の政治学者が、この政権交代をして「日本の戦後が終わった」と
言っているのに、当の日本人はのりPを追っかけている。
日本人はというより、もはやマスコミか?
覚せい剤事件だから、報道局の記者が出動するのも当然なのかもしれないが、
総動員というのはいかがなものか。
さすがに政治部の記者は新政権を追っかけてるだろうけど、
社会部はほとんどがのりPに関わってたんじゃないかと思う。
会見が始まった6時半、横並びに全局分並んだモニターには
全てのりPが映っていた。NHKも。
これは、前日にも見た光景で、その時は宇宙人。
でも、鳩山さんが乗った車を追っかけるために、
上空にヘリまでは出動しない。
ヘリのチャーター代数十万円。
予算削減とうるさき折に、なんでこんなヘリのお金はでるのか?
各局でギャラの高い40代以上の派遣ディレクターが
リストラされているというのに・・。
それは、視聴率がとれると経営者側も信じているからだ。
現に、のりP報道が続いた8月は、低迷するニュース番組の視聴率も
ちょっぴりよかったようだ。
そのためには出費もしょうがないとなってしまうのだろう。
(それに、現に、夕方4時から5時にかけての視聴率は
通常よりよかったようだ。)
でも、まぬけなことに、
結局今回の出所騒動で、一番おもろかったのは、
出迎えの車の運転席と助手席にいた男二人組だ。
いかにもヤ○ザのような、黒サングラス。
人をなめくさったあの表情。
車の正面から構えるカメラに向けて
どんどんアップになるあの2人の姿を見た時はもう釘付けだった。
やっぱ、ヤ○ザ?
そのほかにも車のナンバーが8888だったりとか
想像が膨らむ仕掛けが満載なのだ。
しかし、のりPの会見については、つまらんの一言。
何の言葉も印象に残っていない。
やたらテレビのカメラがドアップをとっていたことと
大粒の涙こぼしてたことしか印象に無い。
だからか、翌日のスポーツ紙は、こぼした涙22粒とか数えてた。
視聴者が、酒井法子の出所に注目したのは、
出て来た時の表情で、
彼女が本当のワルなのか、それとも
夫に勧められ、自分の弱さ故に覚せい剤にハマっていった
ただ可哀想な人間なのかを、見極めたいからだ。
言い換えれば、演技なのかどうかだ。
しかし、それがあんまりよくわからないまま、
さらっと酒井法子お披露目は終了してしまったのだ
(逆に考えれば、ここまで煙にまいた事で、
やはりこれは、かなり腹をくくった姐さんであると
判断した人もいたかもしれないが)。
そういう意味では、本人にとって
このお披露目は大成功だったのかもしれない。
しかし、テレビ的には、え~~~、である。
テレビはまたしてものりPの実像に迫れなかったのだ。
テレビが酒井法子が本物のワルなのか否かを判断する材料を
情報としても映像からも、ほとんど示せない一方で、
週刊誌や、ネット上では
彼女に関するさまざまな情報が飛び交っている。
テレビ視聴者の中のどのくらいがこうした情報に触れていたかは定かではないが、
今やかなり多くの視聴者が、なんらかの形で知っているだろう。
ただネットの情報は、玉石混淆で、一概に信じる事ができない。
そこで、人々は、テレビを、より公共性が高いという理由で、
様々な怪しい情報をジャッジするための
「目安」にしているのではないか?
「テレビで言ったから、あれホントっぽいね」とか、
「とうとうテレビでも情報出て来たから、なんか動くね」とか
(もちろん本当にテレビ報道が正しいかはわかりません)。
そしてもう一つ、先にも述べた、
「被写体の無意識の発露の発見ツール」「嘘発見機」的使い方。
視聴者は、謝罪する酒井法子の表情やしぐさから、
彼女自身さえも気づかない無意識を読み解こうとしたはずだ。
映像というのは時に、言葉より饒舌だ。
ある人々は意識的にそうしたテレビの機能を認識し、
ある人々は、無意識にそうした機能を利用している。
そういう意味で、
もう誰も、テレビの取材や分析力など、
制作者側が意識的に報じている内容には期待してはいないのではないだろうか。
驚くべき事に制作者側も、もはや取材や分析に期待していないという見方もある。
先日、知り合いのディレクターもこぼしていたが、
ニュース映像やドキュメントの制作現場では、
「強い画、強い画!」、つまり、
目が離せない印象の強い映像の多用を求められる。
一方で、伝えるべきテーマとか
問題点はあいまいであることが(最近)多い。
報じられるニュースの社会的意味など興味を示さない制作者もいると聞く。
さっき、テレビは被写体の「無意識」を映すメディアだという話をしたが、
この「強い画」のセレクトというのも、「無意識」の産物だ。
何をもって強い画とするのか、それは言ってる本人でさえ説明できないだろう。
戦場で人が死んでる映像が強いと言って(実際の放送ではモザイクかかっちゃいますが)
それがなぜ強い映像かを説明できるだろうか。ショッキングな映像が
なぜあなたにとってショッキングなのか?言葉で言い表すのは難しい。
「血が流れてるから」とか、それは答えにならない。
「じゃあ血が流れてるのがなんでショッキングなんですか?」
「死にそうな人をみるのがなぜショックなんですか?」という話だ。
我々はそうしたものを「強い画」とひとくくりにしている。
制作者は、自らの「無意識」が反応した「強い画」を放送することで、
視聴者の「無意識」に訴えかけ、画面に目を留めてもらおうとする。
一方、視聴者は、そうした映像から、「被写体や世の中の無意識」を読み取ろうとする。
なんか無意識だらけだ。
視聴率という顔の見えない相手と格闘し続けて来たために
テレビというのは、顔のみえないものしか相手にできなくなったのかもしれない。
よく、視聴者の「俗情」に訴えるという言い方を聞くが、
それは、本人も気づいていない欲望つまり「無意識」に訴える事と同じだ。
なんだかまとまりがつかなくなってしまったが、
とにかく、酒井法子はうまいこと、人々の無意識の網をすり抜けた気がする。
問題意識も切り口も分析も捨てたテレビは、自らの最後の切り札である
無意識の領域さえ機能しなかった。路頭に迷わなければいいが・・。
でも、視聴率が上がるからいいのか?
いや、そんなことしてたらもっと悪いことが起こる気がする。
アメリカ人の政治学者が、この政権交代をして「日本の戦後が終わった」と
言っているのに、当の日本人はのりPを追っかけている。
日本人はというより、もはやマスコミか?
覚せい剤事件だから、報道局の記者が出動するのも当然なのかもしれないが、
総動員というのはいかがなものか。
さすがに政治部の記者は新政権を追っかけてるだろうけど、
社会部はほとんどがのりPに関わってたんじゃないかと思う。
会見が始まった6時半、横並びに全局分並んだモニターには
全てのりPが映っていた。NHKも。
これは、前日にも見た光景で、その時は宇宙人。
でも、鳩山さんが乗った車を追っかけるために、
上空にヘリまでは出動しない。
ヘリのチャーター代数十万円。
予算削減とうるさき折に、なんでこんなヘリのお金はでるのか?
各局でギャラの高い40代以上の派遣ディレクターが
リストラされているというのに・・。
それは、視聴率がとれると経営者側も信じているからだ。
現に、のりP報道が続いた8月は、低迷するニュース番組の視聴率も
ちょっぴりよかったようだ。
そのためには出費もしょうがないとなってしまうのだろう。
(それに、現に、夕方4時から5時にかけての視聴率は
通常よりよかったようだ。)
でも、まぬけなことに、
結局今回の出所騒動で、一番おもろかったのは、
出迎えの車の運転席と助手席にいた男二人組だ。
いかにもヤ○ザのような、黒サングラス。
人をなめくさったあの表情。
車の正面から構えるカメラに向けて
どんどんアップになるあの2人の姿を見た時はもう釘付けだった。
やっぱ、ヤ○ザ?
そのほかにも車のナンバーが8888だったりとか
想像が膨らむ仕掛けが満載なのだ。
しかし、のりPの会見については、つまらんの一言。
何の言葉も印象に残っていない。
やたらテレビのカメラがドアップをとっていたことと
大粒の涙こぼしてたことしか印象に無い。
だからか、翌日のスポーツ紙は、こぼした涙22粒とか数えてた。
視聴者が、酒井法子の出所に注目したのは、
出て来た時の表情で、
彼女が本当のワルなのか、それとも
夫に勧められ、自分の弱さ故に覚せい剤にハマっていった
ただ可哀想な人間なのかを、見極めたいからだ。
言い換えれば、演技なのかどうかだ。
しかし、それがあんまりよくわからないまま、
さらっと酒井法子お披露目は終了してしまったのだ
(逆に考えれば、ここまで煙にまいた事で、
やはりこれは、かなり腹をくくった姐さんであると
判断した人もいたかもしれないが)。
そういう意味では、本人にとって
このお披露目は大成功だったのかもしれない。
しかし、テレビ的には、え~~~、である。
テレビはまたしてものりPの実像に迫れなかったのだ。
テレビが酒井法子が本物のワルなのか否かを判断する材料を
情報としても映像からも、ほとんど示せない一方で、
週刊誌や、ネット上では
彼女に関するさまざまな情報が飛び交っている。
テレビ視聴者の中のどのくらいがこうした情報に触れていたかは定かではないが、
今やかなり多くの視聴者が、なんらかの形で知っているだろう。
ただネットの情報は、玉石混淆で、一概に信じる事ができない。
そこで、人々は、テレビを、より公共性が高いという理由で、
様々な怪しい情報をジャッジするための
「目安」にしているのではないか?
「テレビで言ったから、あれホントっぽいね」とか、
「とうとうテレビでも情報出て来たから、なんか動くね」とか
(もちろん本当にテレビ報道が正しいかはわかりません)。
そしてもう一つ、先にも述べた、
「被写体の無意識の発露の発見ツール」「嘘発見機」的使い方。
視聴者は、謝罪する酒井法子の表情やしぐさから、
彼女自身さえも気づかない無意識を読み解こうとしたはずだ。
映像というのは時に、言葉より饒舌だ。
ある人々は意識的にそうしたテレビの機能を認識し、
ある人々は、無意識にそうした機能を利用している。
そういう意味で、
もう誰も、テレビの取材や分析力など、
制作者側が意識的に報じている内容には期待してはいないのではないだろうか。
驚くべき事に制作者側も、もはや取材や分析に期待していないという見方もある。
先日、知り合いのディレクターもこぼしていたが、
ニュース映像やドキュメントの制作現場では、
「強い画、強い画!」、つまり、
目が離せない印象の強い映像の多用を求められる。
一方で、伝えるべきテーマとか
問題点はあいまいであることが(最近)多い。
報じられるニュースの社会的意味など興味を示さない制作者もいると聞く。
さっき、テレビは被写体の「無意識」を映すメディアだという話をしたが、
この「強い画」のセレクトというのも、「無意識」の産物だ。
何をもって強い画とするのか、それは言ってる本人でさえ説明できないだろう。
戦場で人が死んでる映像が強いと言って(実際の放送ではモザイクかかっちゃいますが)
それがなぜ強い映像かを説明できるだろうか。ショッキングな映像が
なぜあなたにとってショッキングなのか?言葉で言い表すのは難しい。
「血が流れてるから」とか、それは答えにならない。
「じゃあ血が流れてるのがなんでショッキングなんですか?」
「死にそうな人をみるのがなぜショックなんですか?」という話だ。
我々はそうしたものを「強い画」とひとくくりにしている。
制作者は、自らの「無意識」が反応した「強い画」を放送することで、
視聴者の「無意識」に訴えかけ、画面に目を留めてもらおうとする。
一方、視聴者は、そうした映像から、「被写体や世の中の無意識」を読み取ろうとする。
なんか無意識だらけだ。
視聴率という顔の見えない相手と格闘し続けて来たために
テレビというのは、顔のみえないものしか相手にできなくなったのかもしれない。
よく、視聴者の「俗情」に訴えるという言い方を聞くが、
それは、本人も気づいていない欲望つまり「無意識」に訴える事と同じだ。
なんだかまとまりがつかなくなってしまったが、
とにかく、酒井法子はうまいこと、人々の無意識の網をすり抜けた気がする。
問題意識も切り口も分析も捨てたテレビは、自らの最後の切り札である
無意識の領域さえ機能しなかった。路頭に迷わなければいいが・・。
でも、視聴率が上がるからいいのか?
いや、そんなことしてたらもっと悪いことが起こる気がする。