私の青空☆彡

写真を通して、小さな事でも『感動』する素晴らしさを、貴方に送りたい

毛利両川

2015-11-16 | 風景
三子教訓状(広島城)


毛利元就が1557年に3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に書いた文書。

兄弟仲悪ければ、毛利は滅亡するだろうとまで
踏み込んで記されている。
毛利家を継いだ隆元は元就に先んじて亡くなるが、
吉川元春、小早川隆景は隆元の息子の輝元を助けて
強力な毛利両川体制を守り続ける。
その後、吉川、小早川という両川が欠けた状態では毛利家は力を
幕末まで発揮することが出来なかった。

そうせい侯と呼ばれた安芸毛利家25代 毛利敬親 
家臣の意見に対して意義を唱えることが無く、「そうせい」と答えていたことから称されたもの。
藩政は家臣任せだったが、重要段階では必ず、責任を持ち、自ら決断した。
家臣は殿様に迷惑をかけないようにするために奮闘した。
そのことにより、身分や年齢にとらわれず、優秀な人材が集ることにより
優秀な人材を抜擢して藩政改革を行った。
ここに長州藩は幕末における雄藩となっていく。
上司は鷹揚であっても、優秀な人材と決断力があれば十分な力になるということです。

うちの部下にも立派な三本の矢がいる。
知恵者の小早川隆景、勇猛な吉川元春、そして中立な毛利輝元(隆元の子)
私の期待値も大きいです。三人がいるその間は安泰です。
3人には心ばかりの、ご褒美をさしあげました。

EOS M3 うちにも漸くミラーレス M3は他社のミラーレスに比べ、フォーカスが遅いとかと言われていますが
通常使用では問題はない感じです。
EFレンズ群が併用できることが大きいです。
防湿箱で眠っているNewFDレンズの復活の兆しも見れそうです。


本日もご覧頂きありがとうございます。
ごきげんよう さようなら

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コメント (2)
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