今まで情報としては知っていましたが、今日届いた芸協のメルマガにご本人が書いていたので、私も書きます。
桂花丸さんが来春5月に真打昇進(三遊亭遊喜・春風亭鯉枝・橘ノ昇美依・瀧川鯉太さんと同時昇進)すると同時に、
三代目 桂枝太郎
を襲名することが決まったそうです
このブログでも何回か書きましたが、二代目の桂枝太郎師には子供の頃、本当に孫のように可愛がっていただきました。
祖父が都々逸・川柳作家だった縁で、川柳の会を主宰されていた枝太郎師と懇意にさせていただき、また祖父の死後は母に連れられて行った『東宝名人会』に訪ねたりもしました。
ある都々逸の会では数年に一度「記念大会」を行っていたのですが、その大会で優秀な作品には選者が檜山さくら師(うめ吉さんの師匠)の三味線で、句を披露していたのです。
幼心に覚えているさくら師は、物腰が柔らかい、優しいおばさん(ごめんなさい!)でした
ある夏、根津神社に程近い枝太郎師のお宅にお邪魔した時は、当時まだ笑遊を名乗っていた現在の三遊亭圓遊師匠がお中元を持って夏のご挨拶にいらした場面にも遭遇しています。
「大きくなったら落語家になりな」とよく言われました。
「桂枝坊(えだぼう)」という芸名まで決めて下さって、母を慌てさせたこともありました。
ちなみに中学卒業で入門してれば春風亭昇太師匠、高校卒なら春風亭柳橋師匠から「アニさん」と呼ばれているところでした
最近の落語界は“襲名ブーム”と言われるほど、懐かしい「看板」が復活しています。
正蔵・柳朝・今輔・歌奴・柳橋・・・という名前を見るたびに、
『枝太郎も復活しないかなぁ…』
といつも思っていたほどです。
「オレの目の黒いうちに枝太郎は無いかな?」
と考えていた矢先、今回のニュースを知り、飛び上がらんばかりに喜びました
来年5月、寄席に桂枝太郎の名前が帰ってくる!
そう思うだけで、今から真打披露興行が待ち遠しくてたまりません。
メルマガに書かれていた、「数年前に亡くなった先代のお弟子さん…」は桂枝助師、「一番弟子の師匠」とは桂圓枝師匠のことだと思います。
また桂歌春師匠にとっては、弟弟子が先(せん)の師匠の名跡を継ぐことになります。
お弟子さんたちの喜びはファンの喜びでもあります
花丸さんはこの名跡を継ぐにあたりかなり悩んだようですが、臆することなく『三代目』らしい『桂枝太郎』像を築いて行っていただきたいと思っています
桂花丸さんが来春5月に真打昇進(三遊亭遊喜・春風亭鯉枝・橘ノ昇美依・瀧川鯉太さんと同時昇進)すると同時に、
三代目 桂枝太郎
を襲名することが決まったそうです
このブログでも何回か書きましたが、二代目の桂枝太郎師には子供の頃、本当に孫のように可愛がっていただきました。
祖父が都々逸・川柳作家だった縁で、川柳の会を主宰されていた枝太郎師と懇意にさせていただき、また祖父の死後は母に連れられて行った『東宝名人会』に訪ねたりもしました。
ある都々逸の会では数年に一度「記念大会」を行っていたのですが、その大会で優秀な作品には選者が檜山さくら師(うめ吉さんの師匠)の三味線で、句を披露していたのです。
幼心に覚えているさくら師は、物腰が柔らかい、優しいおばさん(ごめんなさい!)でした
ある夏、根津神社に程近い枝太郎師のお宅にお邪魔した時は、当時まだ笑遊を名乗っていた現在の三遊亭圓遊師匠がお中元を持って夏のご挨拶にいらした場面にも遭遇しています。
「大きくなったら落語家になりな」とよく言われました。
「桂枝坊(えだぼう)」という芸名まで決めて下さって、母を慌てさせたこともありました。
ちなみに中学卒業で入門してれば春風亭昇太師匠、高校卒なら春風亭柳橋師匠から「アニさん」と呼ばれているところでした
最近の落語界は“襲名ブーム”と言われるほど、懐かしい「看板」が復活しています。
正蔵・柳朝・今輔・歌奴・柳橋・・・という名前を見るたびに、
『枝太郎も復活しないかなぁ…』
といつも思っていたほどです。
「オレの目の黒いうちに枝太郎は無いかな?」
と考えていた矢先、今回のニュースを知り、飛び上がらんばかりに喜びました
来年5月、寄席に桂枝太郎の名前が帰ってくる!
そう思うだけで、今から真打披露興行が待ち遠しくてたまりません。
メルマガに書かれていた、「数年前に亡くなった先代のお弟子さん…」は桂枝助師、「一番弟子の師匠」とは桂圓枝師匠のことだと思います。
また桂歌春師匠にとっては、弟弟子が先(せん)の師匠の名跡を継ぐことになります。
お弟子さんたちの喜びはファンの喜びでもあります
花丸さんはこの名跡を継ぐにあたりかなり悩んだようですが、臆することなく『三代目』らしい『桂枝太郎』像を築いて行っていただきたいと思っています