アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

1046回 俺にも言わせろ! 快楽と悦楽

2023-08-23 08:48:43 | 日記

㊱快楽と悦楽

悦楽 が見放題! | Hulu(フールー)/歓楽/享楽/逸楽/

快楽と悦楽は、どちらも喜びの状態を表現する言葉だが、快楽の中でも特別な喜び(悦び)の状態を悦楽と解釈したい。気持ち良い事、嬉しい事、おいしい事など心地よい事の総称を快楽と言い、必ずしも官能的快楽だけを表わすものではない。中には、夜な夜な貯金通帳の残高を見る事が「快楽」だと言う人もいる。さらに、スポーツ選手が優勝したり新記録を樹立するなどの達成感も「快楽」かも知れない。はたまた、会社など組織の頂点に立ち配下の者の人事や処遇を思うように行えるのを「快楽」とする人もいる。

しかし、それらは悦楽とは言わない。悦楽は明らかに官能的な悦びに限るようだ。快楽も性的意味を含むので、悦楽は中でも相当特別なものでなければならない。日常的に行われるパートナーとの行為では快楽にもならない。決して他人には言えない相手と特別な空間での背徳の行為でなければならない。これが複数のパートナーを駆使し一定程度継続すると「享楽」となり、酒や薬物に依存すると遂には「逸楽」に陥る。家族や友人はたまた人生を捨てることになる。

旅館の女将の写真素材 [36068264] - PIXTA本部とは関係ありません

筆者は、『若い時一人温泉に宿泊し、女将に酌をされて飲んでいたら世間話となり、遂には女将の下半身事情を知るところとなった。夫とはセックスレス状態で日々悶々としているのだと言う。はじめは冗談で話していた二人は妙な雰囲気となった。小生、酔いつぶれて部屋で寝ていたら、真夜中、我がふとんに侵入してきた女将。すでに下着を付けていない。仕方なく私は、意を決してその裾をまさぐる・・・・。「享楽の世界へ」続きはまた、

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1045回 俺にも言わせろ!  敵討ち 仇討ち 徒打ち  

2023-08-18 09:09:21 | 日記

㉞ 敵討ち と 仇討ち

仇討ち」「敵討ち」の意味と違い - 社会人の教科書

前者は、「かたきうち」後者は、「あだうち」と読む。同意語で特に区別はない。明治時代初期まで、公式に認められた「仕返しの殺人」である。しかし、武士に限られ、親や親族を殺された場合、所属藩に届けて「かたき討ち」の許可を得る。これを得ると諸国往来を許されるが、一方、かたき討ち成就まで家には帰れない。水杯を酌み交わし「武士の本懐」を遂げるまで親兄弟と別れて旅立つのである。それほど武士道とは、敵を討たないことを恥とした。目出度く敵(かたき)を発見したら、「いざ尋常に勝負を」となる。見物人は多ければ多いほど良く、証人となってもらえた。遺恨の詳細を朗々と読み上げる姿に見物人は、敵を憎み、打ち手を応援した。打った首を代官所に届ける道中は、赤穂浪士のように首を刀の先の掲げたのだろうか。沿道では拍手する人もいただろうか。ただ、江戸時代後半は、首を落とさず髷を切り落として届けるようになったようだ。

曾我兄弟の仇討ち - Wikipedia曽我兄弟のかたき討ち

勧善懲悪はいつの時代も庶民の留飲を下げる。しかし、実態はそのまま敵(かたき)を見つけられないまま、江戸や上方に隠れるように浪々の身となることが多かったようだ。勿論、返り討ちの危険性もある。情報手段の限られた昔の話、相手を見つける確率はほぼないのである。

なぜ、私たちは「半沢直樹」でスッキリするのか?──新時代の ...

現代のかたき討ちはもっと困難を極める。殺されることは無くなったが、かたき討ちをしたい相手は多い。ビジネス上で騙された。上司にいじめられた。恥をかかされた。不当に解雇された。出来もしない困難な仕事を強要されたり、現代社会では日常的にある。「サラリーマンの本懐」を遂げたいのは、昔の武士より現在の方が多いのではないか。しかし、「かたき討ち」は私刑として法律では認めていない。ハラスメントや不当解雇を法的に運用する時は、加えて加害者に対して公衆の面前で、「遺恨覚えたか?」と、その罪状を読み上げかたき討ちを行うことを認めてもらいたい。「百叩き」位が妥当かと思料する。(笑)

例『新法「敵討ち法案」主にサラリーマンが不当な事案を理由に経済的・精神的苦痛を受けた場合、従来の法的制裁に加え、被害者の私怨を晴らす希望がある場合、これを認める。

軽度の場合・・・百叩き  中度の場合・・・土下座1時間  重度の場合・・・土下座に対して罵倒1時間 以上の行為を被害者は加害者に対して公然の下、行うことが出来る。  即日施行』

今回は、笑えない冗談となった。(大笑) 

半沢直樹」。。。│好き勝手しほーだい!本文とは無関係

なお、「徒打ち」も、「かたきうち」と、読むが、これは当て字。むしろ芝居じみた演出の場合に用いる言葉かと思う。徒花(あだばな)など、現実ではないことを表わす。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1044回 俺にも言わせろ!  辞任と解任 辞職と免職 

2023-08-17 08:58:29 | 日記

㉝ 辞任と解任 辞職と免職 

退職、退任、退社、辞職、辞任、離職、解任、解雇の違い - 社会 ...

前者が役員(取締役)の場合、後者は一般社員の場合である。

定義は、辞職・辞任は自らの意思でその任を辞する事。解任・免職は本人の意思に反してその任から降ろすことであり一定の手続きが必要である。要するに馘(くび)である。法的には役員でも労働者同様不当なことがあればその地位は守られる。

しかし現実には、「辞めさせられる。」「辞めてもらう。」のである。定年制度のある社員は別として、役員のケースで言うとほとんどの役員の辞任(任期満了も含め)は事実上解任である。本人の意思に反して任を解かれると言う意味では解任である。独立性を問われる社外役員などは例外である。唯一、トップの社長だけが自らの意思で辞める。最近は持ち株会社である親会社のトップから辞めさされる社長も多い。また、稀にオーナー会長から解任される2代目社長のケースも散見される。結局、納得済みの辞任など無いに等しい。

ニデックがTAKISAWAをTOB「1株2600円」は高いか | M&A Online ...本文には無関係

まして業績不振や部下の不祥事があれば引責なのか任期満了なのか分からない。詳しく見ると役員の管掌分野を変更したり、その役員の本願地(営業系とか管理系)以外の副担当に棚上げされるなど、伏線を打っている会社もある。役員ともなれば高度の善管注意義務が求められるのだ。しかし役員の善管注意義務・勤務懈怠は主観の問題であり最終的にはケミストリーで決まる。好きか嫌いかである。出世してもサラリーマンは大変なのだ。

相性・合性・合い性」(あいしょう)の意味

対策は、こまめな経営トップへの報告である。役員ともなれば常務や専務が上司であるとは思ってはいけない。平役員は将来の常務専務候補なのだからむしろ彼らにとってもライバルである。あくまでもトップとのコミュニケ―ションだ。問われて答えるのは下の下、問われそうなことをあらかじめ答えるのが中の中、問われようが問われまいがなんでもかんでも言っておくのが上の上だ。今はメールと言う便利なものがあり土日関係なくご注進できる。

サラリーマンの矜持に限界はあろうが、ライバルはみんなやっていると心得る事だ。ただし、本業(自部門)のパフォーマンスが上がっている事と、稀にゴマすりを見抜く社長もいることはある。極めて稀だが。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1043回 俺にも言わせろ!  任せる?任せない?

2023-08-14 09:36:24 | 日記

 

仕事を任せるのは難しい。それが高位にある者が後継者育成を目的とするとなおさらだ。

そこで整理をしてみる、

Z世代の教育方法とは?特徴や接し方のポイント | アルー株式会社

一般的な「任せる」

定義、目的は成果と部下育成である。大筋仕事の手順を説明するがあとは、定期的な報告レポートを求め時には修正するが、日常は口出ししない。

評価、もちろん成果は部下の評価に大きくプラスするが、失敗は自らが負う覚悟をする。虚偽報告など重大な瑕疵があったとしても自らが能力を見込んで指名した部下なので庇うのが基本だ。

よくある「任せっぱなし」

定義、目的は成果で、部下育成の意識は希薄である。仕事の説明も不十分なうえに途中の報告もあまり受けない。受けても成果のみ詰める。

評価、自らの評価とアピールする傾向にある。部下への関心が薄いので成果を部下の育成に役立てようとしない。

そして「任せない」

定義、任せないので説明不要だが、部下を手足としては使う。仕事の手順のみでその意義や教訓などは教えない。あくまでも手足である。

成果、もちろん自らに帰属する。失敗の責任も負うのが普通だが部下が手足なので勤務懈怠を理由にする場合がある。勤務懈怠がなくても成果が出なければそれを理由にすることも多い。

平成の名経営者、トップ3は「孫、稲盛、柳井」の3氏:日経 ...歴史に学ぶ

最近新型「任せる」が見受けられる。「任せっぱなし」の発展形である。

定義、本当に途中の経過や報告は受けず全責任だけ負う上司である。もちろん成果も100%部下のものである。仕事のスタートは丁寧に手順と注意点やノウハウも伝授する。会社全体におけるその仕事の意義まで詳しく教え込む。そのあとは「腹をくくる」のである。実は、間接的に進捗は把握していて失敗へのマネジメントは行っているのだが、重大でなければ口出ししない。もちろん部下から報告や相談が来れば快く応じる。本当に任せるのである。

評価、完全部下のもの。失敗しても部下のプロセスを高く評価し責任は自らが負う。しかし、あまり大きな失敗はしない。信頼性が担保されるので部下たちは自主的に細かく相談に来るのである。まさに当事者意識が芽生えるのであろう。

Z世代は、懇切丁寧にコミュニケーションを図る必要があると聞く。しかし本来の地頭はよく古い世代の話は聞かないとも言う。実は我々世代(新人類)も同様だが、昔は簡単には会社を辞めなかったのである。今は、就職と同時に転職活動している時代である。

現代は、改めて「任せる」度量が求められる。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1042回 俺にも言わせろ! 晩節と有終

2023-08-13 09:44:59 | 日記

㉛ 晩節と有終

晩節を生きる 老いの愉しみ方の通販/汲田 克夫 - 紙の本:honto ...

晩節は汚すもの、有終は美を飾るものだ。

まず、有終は晩年とは限らないので飾るしかない。定年のある通常のサラリーマンは、それに向かって自分の勤め人として仕上げにかかる。汚す晩節がないのである。アスリートならば体力と技術の集大成を最後の闘いに求める。そして自ら引退を決める。ピークを過ぎても一定の成績を残せば長い現役を続たことに有終の美がある。

ジャニー喜多川の性加害と戦後の日本芸能史(3)~松尾潔と山下 ...死後、汚す御仁も。

昨今、晩節を汚す御仁が多い。時代について行けない老政治家や芸能界では自らの事務所のタレント達を私物化したり、また、企業経営の世界では後継者を決められず引き際を見失った老経営者など。

そもそも晩節とはいつの事か。年齢の定義はないが、死ぬ(引退する)間際の事であろう。と、すれば長壽社会においては晩節の年齢は上がる一方だ。昔の経営者は、後進に道をゆずる頃には体力的にも限界であり残りの寿命も短い。晩節を汚す間もなく死ぬのである。しかし、現在はどうか。一般社員が65歳か70歳までで退職する一方、経営トップには年齢制限はない。如何に優秀な経営者でも、年齢とともに知力、体力が落ちて時代の感性に遅れて行くのである。ここでも劇的な長寿社会の影響がある。死ぬ間際まで、経営者なのだ。

歴史には、「豊臣秀吉」に見られるように極端に晩節を汚す英雄が出現する。筆者は、飛びぬけた出世をした人は成り上がり者の本性を表わすのだと見る。本質的な貧乏性が、過度な権力と金力を得て判断を狂わす。世には分相応と言う言葉があるが、生まれながらの武家育ちの「徳川家康」とは晩節の過ごし方には大きな違いがある。限りなく上昇志向を続けるのか、どこかに自らの挑戦に天井を設定するのかは誠に難しい。

さて、令和の時代に昭和の経営者が跋扈する老害企業がまだいくつも見られる。輝かしい成功体験に裏付けられた自信は誰にも批判できない。トップ自ら引退年齢に制限を設ける見識を持つのは本当に難しいのか。

永守重信氏の「後継者難」に映る日本電産の泣き所 「優秀な外様」と ...

晩節の美を飾る経営者は稲盛氏など僅かな例しかない。ここから、京都の老経営者の晩節に注目する。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする