京都検定日まで、いよいよ30日を切って来た。最後の追い込みだ。
京都の歳時記も日々更新は難しいが、この時期京都の神社・寺院では盛んに「お火焚き」行事が行われる。有名な狩野永徳作の「洛中洛外図(上杉本)」でも描かれている。新町通今出川辺りなので、現在の我が同志社新町校舎近辺での「お火焚き」の様子が描かれている。よく見ると子供たちが自ら火を燃やしている。
送り火や迎え火など、節目節目に火を燃やすのが京都の風物詩だが、筆者は単に炎が空に舞い上がる事で邪気を払い煙があの世に届いて現世との繋がりを持つという程度に考えていたが、誠に奥深い謂れが分かった。
そもそも「洛中・洛外図」ではお火焚きをなぜ、子供が行っているのか?また、昔から、おこし、ミカン、お火焚き饅頭も付き物だ。なぜこのようなものが付き物なのか?
お火焚きと言えばまず「伏見稲荷」が有名だが、それは何故か?調べてみた。
まず、イザナミ・イザナギの男女神が交接して数々の神を作り今日の八百万の神々の国の大本を作った。その最後にイザナミの神は「火の神」を産んだ。しかしその火で陰部を焼かれイザナミは死んだ。イザナギは怒って「火の神」を剣で刺し殺すが、その血から「水の神」が生まれる。そこから「火」を鎮めるのは「水」の力が必要となった。
一方、この時期、今年の稲の豊作を感謝し翌年の豊作を祈るのが、稲荷大社の「お火焚き」なのだが、稲の生育には適度な「雨(水)」が必要だ。そこで火の神には鎮まってもらう必要があるのだ。さらにまた、東寺などでは「雨乞い」祈祷が行われるが、その本尊は「宝珠」であり、それは水の使いである龍や火の神を現わす「火焔宝珠」などである。そしてその時配られる「お火焚き饅頭」には必ずその火焔宝珠の印が焼き印されている。
そして宝珠には「舎利」(お釈迦様の「遺骨」)が入っている。舎利は恵みの象徴である「米粒」を現わしている。お火焚きで「粥接待」などが行われるのはその年の新米を炊くことで感謝の気持ちを込めているのだ。「おこし」も当然米や粟で出来ている。大阪名物「粟おこし」はその典型だ。
天神さんを祀る天満宮でも「お火焚き」があるが、道真が九州に流される時、住吉の浜で船を待つ間空腹を「おこし」で凌いだという故事により「粟おこし」が振舞われる。現在もすべてのおこしの表装には、梅の御紋が入っている。
お火焚きの最高秘儀である東寺の「後七日御修法」では、玉体の安寧の為の祈祷が行われるのだ、そして最終日には紫宸殿にて直接玉体に秘儀の加持祈祷が行われる。天皇の健康による国家の安定は、イコール子供の成長に尽きる。
右近の橘・左近の桜と焼きミカン
そしてミカンは、「左近の桜・右近の橘」の「橘」を現わす。桜は皇室の繁栄を喜ぶものだが、橘は健康の為の薬なのだ。ミカンを火にあぶって食べるのはそのような意味がある。これですべてのキーワードが揃った。
水の恵みを願う為、火を焚く。火の神に鎮まってもらって水の神の恩恵を願う。「粟おこし」や「おかゆ」は釈迦の骨である「舎利(米)」の恵みに感謝する事で、国の宝である子供の成長を願う。ミカンは薬なのだ。
京都の「お火焚き」を軽く見てはならない。