③ 57代陽成天皇~59代宇多天皇 綱渡りの継承劇
その1 狂気の天皇 陽成天皇
陽成院
歴史には、狂気の王がしばしば登場する。権力を握ってから狂気化する場合、狂気なるものが王権を持ってしまった場合、さらに狂気なる振りをすることで自らの命を守る場合など、色々ある。しかし、勝者が残す歴史は王統の変更(政権の交代)があれば必ず前政権の最後の王者を貶めている。それは、新政権の正統性を強調したい為に行われる歴史書の鉄則だ。陽成天皇もその例えである。しかし、宮中における殺人事件(自ら犯行を疑われる)など、史実に基づく真実も多く「若気の至り」どころではない激しいもので、相当荒れた性格であったらしい。何せ生後2か月で皇太子、9歳で即位したのだからその素質を見極めて天皇になったのではない。父の清和天皇同様、藤原氏の庇護があってこその即位であり、もしかしたら、自らの主義主張を持った人間であれば青春の一時期「荒れる」こともあろうかと推量する。その証拠に、陽成天皇の奇行の記録は、即位後数年から退位時までに集中し、退位後長寿を全うするまでは誠に常識的な老後(あまりにも長い)を送っている。従って、陽成天皇の狂気は、後世の藤原氏や藤原氏に取り込まれた歴史家の忖度により、過大に表現されたものだと思う。いずれにしても、すでに皇位は、奪うものでも素養適切を判断してなるものでもなくなっていた。ひとえに藤原氏の都合のみが決定の判断であった。