地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

アマ・スポーツ協会の限界

2018-09-01 11:17:00 | 日記
アマ・スポーツ界のゴタゴタが続きますねぇ~。

組織において上の者から下の者に対する不満は、当然問題になりません。
しかし、その逆は原因によって大問題になります。

今回の宮川紗江選手の告発と言うか会見内容によれば、問題の根が深い感じがします。

ただ宮川選手の話には、使われている言葉に弁護士の言葉が多く出てきます。
本筋の意味は変えていないが、言葉が持つイメージがかなり違います。
相手を批判する時に、18才の女の子の言葉が良い時はそれを使い。

相手に悪いイメージをあたえる時は「高圧的」と、聞いた人のイメージを一方向に絞らせている。

また、集まった記者達を前にして、話の冒頭で「人生で最大の勇気を振り絞って、ここに居る」

言葉は少し違うが、そんな感じの発言がありました。

18才の女の子がこれ以上無い勇気を出して・・・・
そんなイメージですが、彼女は世界で活躍している選手です。
集まった記者とは比べ物になら無いほど大勢の前で
「私のスゴイ演技を見て‼」とやってる人です。
普通の18才の女の子とは違いますね。

また10日もすれば19才になる社会人です。18才の高校生とは違います。

弱者の声が多くの人に賛同を得て、いつの間にか強者の声に成って行き過ぎる。
有力選手のワガママが通用してしまう。
協会や私たちもオリンピックでの良い結果を求め過ぎて、有力選手の特権の様なもの認めてしまうのも大きな問題です。



だからと言って、今言われている事が事実なら、あの塚原夫婦は問題ありで許される事じゃない。

レスリングの伊調選手の場合と、今回の体操界の場合は同じ構図です。

クラブの監督(責任者)が協会の幹部に成っている。
全ての原因の根っ子はここにあります。

クラブを運営していく為には多額の費用がかかります。
そこで練習をする人達の負担だけでは賄えません。
ですから、資金の豊かな大企業や大学の後ろ楯が必要になってきます。

そうなると、、、、クラブの監督は良い成績を求めます。
競技で高いレベルに行くほど素質の差を痛感します。
地方で一番になるのは努力でも可能です。
しかし、世界ではどうでしょう❓

ダメですよね。

素質の良い人が限界まで努力するのですから、素質の平凡な人が限界まで努力しても、少し届かない。

ですから、、、、

クラブの監督が良い選手を集めようとするのは当たり前で、決して悪い事じゃない。

良い結果を出せば、 スポンサーの出資は増える

→→選手の練習環境が上がる

→→選手の力が伸びて良い結果を残す

→→その場を求めて良い素質の選手が集まる

スポーツクラブの責任者にとり理想の姿であり、多くの選手にとっても夢が膨らみます。

各競技の上部組織の幹部に、クラブの責任者がなると、その地位を利用したくなる。
選手も心のなかでソレを期待しています。

日本代表の選考に有利に働くなら、その場・その人に自分の身を寄せるのは仕方ない。

これは責められない。

こう言うアマ・スポーツ界の問題が発生した時に、協会にその競技とは関係無い人を入れればと言う案がでます。

まぁ、それもアリですが、その競技で素晴らしい結果を残した人でも。その競技から離れている人は大勢の居ます。

クラブの責任者や用具の販売など、そこに利益を求める事の出来る人を協会の幹部にはしない。

監督やコーチとして成功した人達が協会の幹部になる場合は、少なくとも元の地位は捨てて、協会の仕事に専念する。

アマ・スポーツは公共性が大きいので、ある程度は公務員に近いルールを協会側が取り入れても良いと思います。

もちろん、該当する競技に関係なければ、協会の仕事の他に仕事を持つのは問題有りません。