地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

阪神淡路大震災の日

2024-01-17 10:57:52 | 日記
今は能登地震の被災者の事を考える時かもしれないけど・・
29年前の1月17日に発生した「阪神淡路大震災」の記憶の量は膨大で、いまだに鮮明です。

当時、大阪に自宅が有り、徳島と大阪を行き来する生活だったし、仕事でも関係者が神戸に居てたので、自宅と神戸も毎日の様に行き来していました。

地震が発生して間もない時期に神戸に行った。
その時に見た光景はひどいもので、駅や公衆トイレは汚物の山。
道には焼けた車が放置されたまま。
倒れた高速道路の光景は恐怖を感じました。
住宅街では人々が外に出て、屋根にシートをかぶせる作業に追われていた。
犯罪も発生し、商店街の入り口にはドラム缶で火を焚いて暖を取りながら、徹夜で警戒する人たちの殺気立った顔・姿は、何とも言えない辛いものが有った。

悪い事は数え切れないほど有るのですが、今となっては笑える話も沢山あります。
早朝から働く市場の人で、仕事前にトイレに入っていた時に地震が発生した。
和式のトイレで、用を足している時に揺れが始まり、頭の上からタンクの水がバシャバシャとかかり、半ケツのまま外に飛び出した。
その話を聞いた、私たちが最初にした言葉は・・・
「市場のトイレは未だにそんな古いトイレなんだ」

家が壊れるくらい揺れたのに、まったく地震に気が付かずに寝たままの人も結構居てたのには驚いた。

私の様にほとんど被害にあわなかった人間は、時間と共に「思い出」になるのですが。
被害や受けた恐怖の大きかった人は、今でも人の何倍も恐怖を感じるようです。

能登の地震で避難している人たちに日常が戻るには時間がかかるでしょう。
そして、どんな災害の被災者も同じで、元の生活を取り戻すにも貧富の差が大きく出ます。
地震は止められないが、被災者は少なく出来る。
少なくとも二次被害は受けないようにするのが、人や国の最低限の義務。