今日も今日とて仕事が忙しく、休憩時間を少し遅れて取る事となりました。休憩時間中にツイッターを開けることが多いので、16時半くらいでしたでしょうか、訃報に気づいたのは。
僕が長年愛読していた「超人ロック」の作者の聖悠紀先生が、10月30日に亡くなっていたことを知りました。72歳だったそうです。
超人ロックは僕が学生時代に出会ったマンガのひとつで、出会った時にはすでに7〜8冊ほど単行本が出ていて、学生時代の僕には一気に集めることなど到底無理でした。今ほどお小遣いはもらえない時代だったしね。
そこで考えたのが「お年玉」でした。年末年始には田舎に帰っていたので、そこでお年玉がもらえます。そのお年玉を使って「大人買い(学生だったけどね 笑)」しました。
正月休みといっても、田舎の本屋さんはだいたい3日から4日には開店していました。田舎の家にいても大人ばかりでヒマだったので、書店が開くのを待ち望んでいた事を思い出します。
そんなこんなで青春時代にガッチリハマった作品であったのですが、割と近年まで連載されていました。もちろん掲載誌は毎月購入、楽しみに読んでいました。
しかし2020年頃に体調を崩し、休載となりました。その間も復調を期待しながら待ち続けていましたが、それも叶わない事となってしまいました。
青春時代を共に過ごして、大人になった今でも愛し続ける事のできる作品、それが超人ロックという作品でした。
聖悠紀先生に心からお悔やみ申し上げると共に、先生の生み出した作品をいつまでも大切に読みつけたいと思います。
聖悠紀先生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
僕が長年愛読していた「超人ロック」の作者の聖悠紀先生が、10月30日に亡くなっていたことを知りました。72歳だったそうです。
超人ロックは僕が学生時代に出会ったマンガのひとつで、出会った時にはすでに7〜8冊ほど単行本が出ていて、学生時代の僕には一気に集めることなど到底無理でした。今ほどお小遣いはもらえない時代だったしね。
そこで考えたのが「お年玉」でした。年末年始には田舎に帰っていたので、そこでお年玉がもらえます。そのお年玉を使って「大人買い(学生だったけどね 笑)」しました。
正月休みといっても、田舎の本屋さんはだいたい3日から4日には開店していました。田舎の家にいても大人ばかりでヒマだったので、書店が開くのを待ち望んでいた事を思い出します。
そんなこんなで青春時代にガッチリハマった作品であったのですが、割と近年まで連載されていました。もちろん掲載誌は毎月購入、楽しみに読んでいました。
しかし2020年頃に体調を崩し、休載となりました。その間も復調を期待しながら待ち続けていましたが、それも叶わない事となってしまいました。
青春時代を共に過ごして、大人になった今でも愛し続ける事のできる作品、それが超人ロックという作品でした。
聖悠紀先生に心からお悔やみ申し上げると共に、先生の生み出した作品をいつまでも大切に読みつけたいと思います。
聖悠紀先生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。