しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 Ⅱテサロニケ1章 <召しにふさわしい者に>

2019-09-28 | Ⅱテサロニケ

シュウメイギク「こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。」(Ⅱテサロニケ1:11新改訳)

キリスト者を「召しにふさわしい者」と整えてくださるのは神ご自身であって、自己の努力や生まれつき持っている何かによるのではない。そうでなかったら、私たちは神のためにこれだけのことをしたと自慢し、栄光を自分に帰してしまうであろう。▼パウロはエペソ書でも、「神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました」(エペソ2:10同)と述べ、信仰者の生涯においてなされる「あらゆる良きわざ」の源が神にあることを明言している。そこで私たちが天に行ったとき、なすべきことは、「神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられる」(エペソ1:6同)こと、ただそれだけであろう。教会は地上でその準備をしているのである。▼「また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。『ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。』御使いは私に、『子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい』と言い、また『これらは神の真実なことばである』と言った。」(黙示録19:6~9同)


朝の露 Ⅱテサロニケ3章 <パウロの署名>

2017-04-01 | Ⅱテサロニケ

赤ボケ「パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です。どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。」(Ⅱテサロニケ3:17,18新改訳)

たぶんパウロは視力が弱かったのだろう、手紙は代筆され、最後に自筆でサインだけを記したと思われる。これは彼の名を騙(かた)って作られた偽書を教会が見破るためでもあった。▼信徒たちに負担をかけまいと、昼も夜も労苦しながら働き、そのあいだに宣教を続けた使徒の姿に心打たれる。それを妨害する偽りの書簡、回心したふりをしながらパウロを苦しめるにせ兄弟たち、殺そうとつけねらうユダヤ人律法主義者、飛んでくる石、振り下ろされるムチ、各地の教会から届く相談や質問の手紙と、からだがいくつあっても足りないパウロだった。▼こうした信じられないほどの重荷と涙の中から、新約聖書が生まれたことを忘れてはならない。しかしやがて天に行ったとき、一切の労苦から解放され、神に賛美と感謝をささげている彼らを見るであろう。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(Ⅱテモテ4:7,8同)


朝の露 Ⅱテサロニケ2章 <堅く立って>

2017-03-31 | Ⅱテサロニケ

環状線電車「そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。」(Ⅱテサロニケ2:15新改訳)

当時、新約聖書はまだ成立しておらず、使徒たちの記した手紙や教えが個々に流布しており、さもパウロが書いたような偽手紙まで出回っていたとあるから驚く(2)。そこで彼は手紙の最後に自筆でサインし、これが本物であると言明しなければならなかった(3:17同)。▼後に教会は霊的な識別力をもって、祈りのうちに注意深く27の書を選び、現在の新約聖書にまとめたのだが、その内パウロが記した書は13ある。へブル書は著者名がないが、パウロだろうといわれ、これを入れると14書、つまり新約聖書の半分強を彼が記したことになり、驚嘆に値する。かつて大迫害者だったことを思えばなおさらのことだ。▼彼が書いた書簡は、じつは彼が書いたのではなく、御聖霊が書かれたものである。だからパウロは「堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい」と命じることができた。文章だけでなく、その思想全体も「神の作」である。彼の言う通りに・・。「私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」(ガラテヤ1:11,12同)▼終末を迎え、大混乱にある現代、聖書に「堅く、堅く」立つことが必要である。そうすればみことば自身があなたを守るにちがいない。


朝の露 Ⅱテサロニケ1章 <安息を与えてくださる神>

2017-03-25 | Ⅱテサロニケ

赤ひな菊「苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。」(Ⅱテサロニケ1:7新改訳)

テサロニケ書は第一書も第二書も再臨に関することが中心を占め、特に後者はそのときに起こる審判の厳粛さが強調されている。これは迫害下にある信徒たちを勇気づけ、同時に聖潔の生活を持続させたい、と願うパウロの思いがにじみ出た結果である。▼主が炎と栄光の輝きの中、御使いたちをともなって地上に来臨するとは、旧約も新約もひとしく強調するところで、読む人の襟を正さずにはおかない預言である。そこでテサロニケの信徒だけでなく、私たちを含むあらゆる時代のキリスト者は、「地上にしばらくとどまっている間の時を、恐かしこんで」(Ⅰペテロ1:17)過ごすのはもちろん、苦難や迫害の中にも大きな希望と喜びを抱いて終わりのラッパが鳴り響く瞬間を待つべきである。エノク、ダニエル、パウロたちがそうしたように。▼「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7:13,14同)