「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20新改訳)
これは復活された主イエスが弟子たちに与えた最後の命令で、一般に「大宣教命令」といわれる。▼伝道とは人々に福音を伝えれば、それで終わりというものではない。伝えられたその人が洗礼を受け、生まれ変わり、心からキリストの弟子となって成長していく、そこまで見守り、隣人として必要なことをしていくことだ、と主はおおせられる。▼教会はこの命令に従い、世界各地に福音を伝え、教会を建て、学校や病院、各種のセンターや必要な施設を作って、キリストの弟子たちを一人でも多く輩出(はいしゅつ)するよう、つとめて来た。私たちは自分がどんなに小さくても、与えられた力、賜物(たまもの)を働かせて、大宣教命令をはたす責任がある。というのは、やがて主がおいでになったとき、その活動報告をすることになるからだ。▼私の妻が中学生だった60年前、小さな地方の町で教会もなかったところに育ったが、ある日、学校の門近くにあった古い一軒家に教会の看板がかかげられた。ひとりの女性が下校時にトラクトを配り、それを見た彼女は友だち数人と、初めてもたれた礼拝にいってみたのである。そして聞いた福音を受け入れ、やがて近くの川で洗礼を受けクリスチャンになった。▼やがて献身して牧師となり、私と共に教会に仕えて50年以上になる。あのとき、ひとりの婦人伝道者が田舎に来て伝道を始めなかったら、妻はキリストを知らないまま、今日まで来た可能性、大である。私たちがだれかに手渡す1枚のチラシ、もしくは一通のはがき、それが奇蹟を生むかもしれない。あの子どもが差し出した小さなパンと魚、それが主の手を経たとき、数千人の食べ物になったように・・・。だから、私たちもごく小さなわざでいい、まずできることからさせていただこう。